第16話 閃きはプライスレス
アビィは必死に考えていた。
追っ手である
――カズノリを助けなきゃ。
子供心に、彼女は自分が何かを果たさなければならないと感じた。
これまで彼女は言われるがままに受動的に行動し、その隙を縫って他人の思考を読み取ることくらいしか自由がなかった。
だが、今。
彼女の行動に制約はなく、目の前には自由を約束した人が苦しんでいる。人の生き死にや暴力の光景を見たことのないアビィは精神的に動揺していたが、息を荒げて尚あの恐ろしい男を睨む数則を前に、アビィは自然とおのが為すことを心に定めていた。
息を整え、アビィは『
「――ッ!!?」
直後、無意識に意識が切断された。
否、自ら断ったのだ。
――アビィは知る由もなかったが、それは彼女が実験の中で仕込まれた本能的な防衛行動だった。『
特に異常なまでに精神力が強かったり、狂気を帯びた存在に対して、彼女は過敏になる。それを防ぎ、アビィに素体としての純真さを残すためのものだった。
結果的に、それは正の効果を齎す。もし彼女が
だが、彼女は落胆した。
この極限の状況に置いて、これほどまでに求められている自分の異能が何の役にも立たないという事実は、彼女に少なからぬ失望を与えた。
しかし、アビィはふと気付く。
ここに居る人間はアビィ、数則、梦想の三人。遠くから二つの気配が近づいているが、この場にはいない。なのにアビィは能力の範囲内に、四つの接続先を感じていた。
『貴方は……だぁれ?』
その問いかけに、第四の人物の意識が飛んでくる。
『だれ? だれでもいいから、ここから出して……出してよう……』
= =
敵の異能の正体はだいたい想像ができた。
恐らくは、自分から離れた場所に、自分の行動の結果生じた現象を力場のように発生させる異能だ。
彼が腕を振った瞬間、その腕を振った結果が異能によってモノレールの壁に転写されて破壊されたと過程する。普通なら初老の男の腕力の力が転写されてもモノレールはびくともしないが、彼は異能の力で『腕はその空間を通過する』という事実を先に確定させ、それを現実に無理やり当て嵌めているのだ。
だからどんな強度の物体であっても空間が捩じれるように強引に引き千切られる。
数則を蹴った際のものは他の動きに比べて明らかに手加減した動きだったため、あの程度で済んだのだろう。全ては梦想の手加減次第。それ故にコントロールを間違えるとアビィを巻き込むために加減に執心だったのだろう。
霊素銃が効かなかったのは、自分の身体という力場を拡大して全身に纏っていたと考えられる。弾丸と当人の間にもう一人誰かがいたようなものだ。その分の減退によって弾丸を防いでいた。
歪曲度は威力からしても恐らく第二歪曲の最上位か、下手をすると第三歪曲に足を突っ込んでいる。抉る範囲の拡大のような追加付与効果もある筈だ。
つまり、攻防共に隙が無い。
例えモーションが読めても、力場の出現場所は見切れない。
今の数則ではどう足掻いても倒せない。
梦想はそんな焦りを知ってか知らずか、ゆっくりと数則たちに近づいてくる。
「貴方も強情ですねぇ。時々いますよ、貴方のように子供を守る自分に妄信的な人は」
梦想が両手を漢字の八を描くように振る。
瞬間、モノレールの床が八の字に大きく抉れ、数則たちの足場の左右が裂ける。モノレールはフレームが強固なせいで崩壊しないが、前にも横にも行けない数則たちは後ずさるしかない。
「でもね。その愛は言葉通りただの妄信です。子の為に動いているようで、実際には子供を思い通りにする為に動いている。そこに子供の自意識がありますか? 親の為の行動こそが子供の幸せという考えも昔はあったそうですが、自分の為せるを為さずに生き続けることが果たして幸せでしょうか?」
かつかつ、と梦想が足元を爪先で蹴ると、数則とアビィのすぐ近くの床が音を立てて抜ける。コントロールの精度が明らかに高まっていた。モノレールが穴だらけになり、漸く異常を検知したモノレールが甲高いブレーキ音とともに減速し、やがて停止する。
「私はそうは思いませんが、話をしても理解してもらえないのでしょう。面倒ですが、このままモノレールごと落ちて貰います。貴方は分身を生み出す異能らしいですが、海に落下するのに分身は役に立ちますまい。私はその間に
気が付けば数則とアビィの背中はモノレールの端に到達していた。もう逃げ場がない。
どうする、どうすれば――苦悩する数則に、アビィが消え入りそうな小さな声で話しかける。
「……カズ」
「……なんだ」
「あの人の背中のおっきいの、中にいる。出たいって泣いてる……」
「――それは、一体……いや、まさかAVIEシステム!? そういうことかよあのクソ野郎……!!」
一瞬意味が分からなかったが、彼女の異能である『
あの大きな背中のユニットは身体機能の補助か飛行用だと思っていたが、厳密には違ったのだ。あれは恐らくAVIEシステム搭載機の試作機だ。つまり、その中に肉体を奪われた脳髄が入っている。
かっと頭に血が上るが、努めて平静を心掛ける。
一つ、気になっていることがあった。その疑念がAVIEシステムの存在によってにわかに現実味を帯びていく。
「その子の特別な力は、何か分かるか?」
「……行動の結果を、離れた空間に転写する力だって」
「転写した力で物を壊したりは?」
「……転写した力はあくまで自分の力の分だから、壊すものじゃないって言ってる」
条件に当てはまるのは『
(システムで二つの異能を無理やり連結させてたんだ! だから第二歪曲に到達するだけの力があったのにあんなにコントロールが粗雑だったのか!!)
普通、どんな異能でも歪曲度を高めれば自然とコントロールも向上する。なのに梦想はやけにコントロールが雑で奇妙だとは思っていたのだ。だとすれば、前提が変わってくる。
(奴が生来持っている異能は『
数則はアビィを抱え、その耳元に口を近づける。
いくつか言葉を投げかけられたアビィは、それまでの彼女からは想像もできないほど強い覚悟をしたためた目で頷いた。
二人と梦想の距離はあと数メートルに迫っていた。
「おやおや、もしかしてアビィに手が出せないから彼女を人質に取る気ですか? 全く、本末転倒も甚だしい。
「お前は――」
「ん?」
「お前は本当に彼女を大事にしているようだな」
「……ああ、やっと理解してもらえましたか! 嬉しいなぁ、そうですよ! 彼女に怖い思いなんてさせたくないのです!」
梦想の顔がほころんだ。それは苦悩が解消されたというよりは、ダメもとで犬に教えた芸が成功したような深みのない無邪気な喜びだった。
この男はきっと、そういう男なのだ。
「どこよりも安全な場所に住まわせ、生きるに不自由しない環境を与え、今も傷つけないよう必死に外敵を排除しようとしている。あんたほど彼女を大事にしてる人はいないよ――部品としてッ!!」
瞬間、数則は持てる最大の力を用いて『
「なにッ、無機物の複製ですと!?」
梦想はこれは予想していなかったのか、驚愕の声と共に腕を振るう。愛車はものの見事に両断されたが、アイテールで構成されたものであるためそのまま虚空に消え去る。
『同時存在』は自分だけでなく物質も同時存在させることが出来る。条件は「現在この世界に存在し、場所を正確に知り、触れたことのあるもの」という厳しいものだが、条件さえ満たせば車程の質量も瞬時にBFを出現させられる。
そして、今のは攻撃ではない。
「……ッ!! 馬鹿なことを……!!」
「「「「「お前にアビィの真贋が区別できるかな?」」」」」
一瞬遮られた視界が開かれたモノレール奥には、空間が許す限りのBFとその手に抱えられたアビィがいた。
BFは数則本人と区別がつかない演技をさせ、アビィは全員が梦想から顔を逸らすことで表情から本物を読み取れなくする。更に、本物のアビィを本物の数則が抱いているとも限らない。
この時点で梦想は完全に本物のアビィを見失った。
「だったら!! 分身の強度はそれほど高くないなら、一人ずつ攻撃すればよいだけのこと!!」
もう数則を生かす余裕も失ったのか、焦りが隠せないまま梦想は腕を振るう。BFの頭が弾け飛ぶ――そんな光景をイメージしていた梦想は、再度驚愕する。
虚空に振った手の威力は、どこにも届かず空を切っただけだった。全く同時に梦想のコンタクトレンズ型情報受信端末が背に負うシステムの異常を検知していた。
「『
怒りに震え、モノレールを揺るがさん激昂ぶりを発揮する梦想に、アビィを下ろしてBFたちが一斉に殺到する。梦想はそれでも諦めないのか、少林寺拳法のような構えでBFに殴りかかり、消滅させる。
もうこの男はあの破壊力を自在な場所に出現させられない。
アビィを通してプロトAVIEシステム内部の脳髄と交渉し、彼女――アビィと同じ少女だったらしい――から依頼を受け取る代わりに異能の行使を停止して貰ったのだ。
本来ならAVIEシステムで思考の一部を抑制させられているのでこのような抵抗は出来ないが、アビィと感覚を共有すればシステムを無視しての思考が可能になる。
あの男は、このような細工をされない為にアビィたちを「いい子」に育てたのだろう。余計な事を考えないように一種の性善説的な教育を行った。しかしそれは、自由の剥奪と引き換えに、より短絡的な考え方をするように育てるということだ。
それは善人の育て方ではなく、傀儡の育て方だ。
だから、自分だけの意識を持った彼女の行動を予想できなかった。
「親の教育が裏目に出たな!! 子育てをナメてるからだ!!」
「黙れ愚昧な日本人ッ!! 命だけは保障してあげようとしたのに、つけあがりおってッ!! 平和な世界が貴方には見えないのですかッ!?」
「ああ見えるぜ!! 子供を生贄にした悪魔の兵器で他者をねじ伏せて独り善がりな満足に浸るドス黒いあんたの姿がな!!」
この男は、数則がカズノリと発音する名前だと認識しているのに、温和な態度を取りながらも一度たりとてそれを呼ぶ素振りはなかった。決まって口にするのは
彼は数則という存在が本当は心底どうでもいいのだ。
アビィの事も名前としてではなく自己判断能力を持つ貴重な生体パーツとしてしか見ていない。他人の意思など最初から考えていない。平和を求めているのでも、犠牲を避けているのでもない。
自分の思い描く夢に酔いしれ、自分の思い描く夢で全てを正当化し、自分の夢に存在しない一切の価値を無視する。
「夢に溺れて夢しか見えなくなったか。憐れなじいさんだ」
「貴方如きに憐れまれるほど落ちぶれた存在ではない!! 私は虎顎革新派の首魁、いずれ中統連を真に統一された国家とする者ッ!! 私の夢は母国の夢そのものなのだッ!!」
「そうかい、じゃあ現実の洗礼を受けな!! 世俗の『オヤジ狩り』を体験させてやるッ!!」
幾ら梦想が破壊力の一点で強力無比で、更に格闘の達人であったとしても、多勢に無勢は覆らない。しかも数則は仕事柄、人並み以上に格闘の実戦経験がある上に、BFはそのポテンシャルを更に高める。
梦想の抵抗から僅か十数秒、彼はBFに囲われていた。
目的は彼が纏うように装着しているプロトAVIEの奪取だ。これまで『
「返せ!! プロトAVIEを返しなさい!! それは私の子どもですッ!!」
「じゃあ虐待容疑で親権剥奪だ、この性根ドグサレ野郎がッ!!」
「ガハッ!!」
追い縋ってくる梦想をBFが容赦なく蹴り飛ばす。
モノレールを転がる初老の男と、それを取り囲むBFたち。BFアビィもオリジナルアビィも、誰もがこの男を敵意ある目で見下ろしていた。
形勢は、完全に逆転した。
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