第12話 戦いに価格がつかない哀しみ

 人通りの少ないアライバルエリアの住宅地付近。

 現在、その住宅地は二人のベルガーによって決闘場と化していた。


「圧縮大気、解放エミッション


 大風ダーフォンの掌にアイテールが瞬時に収束し、荒れ狂う暴風の弾丸がマモリに飛来する。

 異能の弾丸はマモリを微かに逸れ、街灯の根元を粉砕する。支えを失った街灯は電線数本を道連れに、マモリの真横をギロチンのように通り過ぎて地面に激突した。


 周囲の住民は警察に連絡しつつも家から一歩も出ず、対ベルガー防犯シャッターを閉めて室内で震える。数名のベルガーが彼の鎮圧に駆け付けたが、悉くが無力化。分が悪いと感じたベルガー達は負傷者を連れて即座にとんぼ返りした。

 吹き荒ぶ風と放たれる弾丸の二重奏が町の防犯シャッターを激しく揺らす。


 アイテール濃度を瞬時に上昇させたてそこらの物質を弾丸代わりに圧縮大気で撃ち出す大風ダーフォン。迫撃砲並みの威力を放つ高位ベルガー相手に、マモリは霊素銃で迎撃しつつ隙を探る。互いに一歩も引くことなく、一方が発砲してはもう一方が躱し、一方が攻め込んではもう一方が躱す。


 だが、その趨勢は明らかに空を支配する者――大風ダーフォンに偏りつつある。

 マモリの霊素銃に比べて大風の暴風の弾丸は威力、初速共に勝っており、撃てば撃つほどに風景から何かが抉り取られては破壊されていく。マモリの使用したABチャフも既に無力化され、大風を縛るものは何もない。むしろこの怪物を相手に霊素銃一丁で対抗するマモリの技量こそが異常だった。

 解き放たれた風の化身は、得物を追う狩人のように容赦なくマモリを追い立てた。


解放エミッション


 ドウッ!! と、大風の掌に集められていた大気が圧から解放され、また暴風が迸る。

 直線状にいたマモリが回避した場所に命中したその烈風は、道路脇の街路樹を平然とへし折り、奥にあった住宅の門を突き破った。人間に命中すればおそらく空高くに巻き上げられて落下死するか、壁に叩きつけられて死亡するだろう。


 最悪の予想を顔色一つ変えずに回避したマモリと同じように、大風も攻撃が外れたことに特別な感情はない。放ったのは所詮牽制に過ぎないのだから。


解放エミッション


 避けた方角へ、大風が飛ぶ。

 足の裏や腰を起点に圧縮した空気を噴出し、瞬間的にF1スポーツカー並みの推力が空を切った。十メートルはあったはずの距離が一気に詰まり、マモリの目の前に暗殺者の影が迫る。


「身持ちが硬いな、マモリ。地を這う者の苦労は俺にはわからない」

「……もう一発ABチャフをぶちかましてやろうか?」

「やってみろ。不意打ちでなければ突風で幾らでも吹き飛ばせる!」

「これだから風使いは……はぁッ!!」


 長年の勘から大風の三次元機動を予測し、霊素銃を構えて発砲。

 直撃コースを辿る弾道はしかし、大風の飛来する軌道が突如として変化し、弾丸は虚しく空を切って対向車線の家の壁を穿つだけに終わった。最接近する大風の突撃を横っ飛びに躱しながら、マモリは舌打ちを漏らした。


(高速で移動しながら複数の空気の流れを作り、路線を切り替えるように自身の軌道を変化させている。真っ当に銃で撃っても勝ち目がないか……)


 常人を逸した段階まで強化した脚力を用いて狙いを定めさせぬよう移動するが、高速で空を切る大風を振りきるには余りにも不十分。大風は足先、足首、膝、腰、肩を圧縮大気による噴射で的確に加速しながらマモリとの距離を詰め、身体の回転と速度のすべてを踵に乗せたギロチンのような蹴りを叩きつけるように放った。

 跳躍時間に一瞬だけ生まれたその隙に的確に放たれたその一撃に、今度は捌ききれない事を悟って咄嗟に身を丸めて衝撃を逃がそうとする。


「背骨ごと叩き切れろッ! 解放エミッション!!」

「この――ッ!!」


 純粋に空力的に飛行している大風に対し、跳躍しているだけのマモリでは空中の動きの自由度が違う。その隙を、大風は的確に突いていた。文字通り殺人級の威力を乗せた踵がガード越しにマモリの横腹へ叩き込まれる。

 猛烈な衝撃にアバラが軋み、内臓が揺れ、マモリの体がワイヤーに引っ張られるように横に吹き飛んで街路樹に激突する。


「かはッ……!! ご、ぐぅぅ……!!」

「あのタイミングでガードを間に合わせたか。まぁ、僕が認めた戦士なのだからそれぐらいはやってもらわねば興ざめだ」

「ぐっ……言って、くれるな。乙女の横っ腹に……蹴りを叩き込んだ罪は、重いぞ?」

「僕がいまさら罪を気にする人間に見えるか? 組織の裏切り者を始末した数など数知れず。相手が老婆であれ子供であれ妊婦であれ、あのお方の為ならば等しくあしだ。お前に対しては戦士としての敬意こそあれ、命の方は俺にとっては葦でしかない」


 大風の言葉には熱も躊躇いもない。

 あるのは目の前の戦士を殺し、虎顎のエージェントとしての矜持を示すことだけ。


 大風は思う。

 目の前で苦悶の表情を浮かべながらも銃を油断なく握り敵から目を離そうとしない目の前の女の目は、まだ死んではいない。常人なら痛みに耐えきれずにその場でもがくか、力の差に絶望して戦意を喪失するところだ。


 蹴った瞬間に感じたが、あの細身の体はあり得ないほどに鍛え上げられ、絞り込まれていた。

 いや、あれは単純に鍛錬を積んだものの肉体ではない。あれは自身の筋肉をナノマシン管理の人工筋肉に置き換えたり、『身体強化ブーステッド』の類で筋肉を強化したような、通常の人間では持ちえない筋肉の『質』を持っている。


(だが、どれほどに肉体を強化しようとも、僕とお前とでは土俵が違う。お前は地を這う存在だが、こちらは空を舞う風そのもの……貴様に勝機など微塵もありはしない)

 

 確かに相手は油断のない人間だ。だが、霊素銃の弾道予測は容易。ABチャフも、所持している事さえ理解すればどうとでも対処できる。

 こちらが隙を見せず正面から打倒すれば、何も問題ない。


(お前に勝ち目はないぞ、マモリ。さあ、お前の戦士としての最期の意地を見せてみろ。僕はそれを凌駕し、素体へと向かう)


 手持ち無沙汰の手に小刀を構えながら、大風は再び飛んだ。


 樹木に激突した振動でダメージを受けたマモリは、ここが正念場と歯を食いしばって体に鞭打つ。


(虎顎のエージェント……恐ろしいまでの速度と体術だ。あれだけの機動に振り回されない体捌きは見事としか言いようがないな。だが……無敵のベルガーなどこの世には存在しない!)


 マモリは考える。

 大風の機動力は凄まじく、霊素銃への対応にも慣れているのか隙を見せない。このまま戦い続けても劇的な逆転は見込めない。

 それに、彼は決着を急いてはおらずとも引き伸ばす気もないらしい。風では決定打に欠けると判断したか、小刀を手に取った。周囲の建物ごと風で吹き飛ばそうとしないのであれば、勝機はある。


(……どうも護衛でない戦いは久しぶりなせいで動きが鈍っていたか? まったく――『俺らしい戦法』で仕留める他ないない)


 ただ、その『俺らしい戦法』には多大なる問題があるのだが――まあ、非常事態だし使わせてもらうことにするか、とマモリは自分を納得させる。おそらく世界中でもマモリくらいしか実行できない、一撃必殺の技を。


 再び空を飛んで襲い来る大風がまた掌から烈風を放つ。今回は一発ではなく複数だ。

 姿勢を低くして疾走しながらそれを躱す。瞬間的にならば台風の風速を超えるその突風に、外に停めてあった自転車、ブロック塀、花壇などが次々に宙を舞う。まるで空気の爆撃が降り注いでいるかのようだ。


 その爆風に晒されながら、マモリは静かに全身にアイテールを巡らせ、霊素銃を放り出して大風のインファイトを再び迎え撃つ体勢に入った。両手の拳を握りしめ、真正面に得物を据える。


「ふん、覚悟を決めたか? だが――次の一太刀が貴様の生命を刈り取るッ!!」


 今度は蹴りではなく右手に握られた小刀。肘を起点に噴出された大気によって加速され、かまいたちのような刃が頬を掠る。刃の先端が音速を超えたのか、真空波のみでマモリの頬が裂けた。


(まずい……ッ! これは、タイミングが取れる前に両断されかねんッ!!)


 次々に飛来する剣の衝撃波に引き裂かれる身体。いくら最強の肉体を持ったマモリであっても、音速以上の速度で振るわれる刃を生身で完全に防ぎきるのは不可能だ。

 マモリに刀を防ぐ手段がないと理解した瞬間に、大風は勝負の決着を確信した。


「さあ、この決闘に幕を引こうか!!」


 煌めく刃が、一直線にマモリの喉元をめがけて突き出された。

 そしてマモリ喉に凶刃が――突き刺さる寸前で、停止した。

 その光景に大風の目が見開かれ、馬鹿な、と呟いた。


「貴様……自分の腕を盾に……!?」

「最後の最後に刺突を使ったのが仇になったな、大風……!」


 大風の刀の柄を、刃で貫かれたマモリの左掌ががっちりと固定し、動きを止める。自らの手を態と刃に突き刺すことで強制的に刃を停止させる荒業だ。

 しかもその細い指は刀の鍔を握り潰し、万力のような握力で刀に絡めていた大風の手を掴んで離さない。引き抜こうとした瞬間、指は大風の掌を抉って深く突き刺され、鮮血が漏れ出した。『身体改造』によって得られた人外の握力だ。


 今度こそ捉えた――と確信したマモリの笑みに、しかし手を抉られている大風の言葉は冷めていた。


「……残念だが、マモリ。戦いとは二手三手先を読んで行動するものであることを失念していないか?」


 刀を握った手とは逆のもう一方の左拳が、開かれる。圧縮された暴風とアイテールの奔流――しかも、今まで放っていたそれとは比べ物にならないほどの力が一点に圧縮された必殺の一撃。

 目に入りやすい刃を囮に、本命の圧縮空気を叩き込む。

 とてもシンプルで、確実な手段だった。


「これ誘っていたのか!? いや、違う! 俺が捨て身になろうがなるまいがどちらにせよ殺すためにッ!!」

「気付くのが遅すぎたな……この勝負、僕が貰ったッ!!」


 左の拳に溜め込まれた圧縮大気が、拳によって間合いが詰まった隙を逃すまいとマモリの胸元に強引に手が伸ばされる。今の一撃で決着がつくと油断したマモリは、それを防げない。


 命中するかどうかわからない突風よりも、こちらの必殺が手っ取り早い。暴風の力がこの至近距離で炸裂すれば、逃げ場も防ぐ術もない。


(最後はあっけない結果に終わったが、これで散るがいい――日本人の戦士よ)


 勝敗は遂に決した。


「……とでも思ったんじゃないか? だが残念。俺が待っていたのはだよ」

「――ッ!!」


 その更に一手先を読んでいたマモリは、妖艶な微笑を浮かべる。


「戦いにおいては最低でも四手は先を読むことをお勧めする。それと――俺の捨て身を見くびりすぎだ。一度身を捨てたからには命一個分の一撃が待っていると思えッ!!」


 最初から、マモリは攻撃を『全て』受けることを前提として動いていた。

 地に足をついた状態で、相手が確実にこちらを仕留められると確信する距離まで近づくことを狙った――完璧なカウンターを叩き込むために。


 瞬間、限界まで瞬発力を上昇させたマモリの拳が、体を捻るようにして大風の横腹に放たれた。大風はそれを知りつつも止まることが出来ず、自らの左手を放つしかない。


 二本の腕は槍のように交錯し――圧縮空気が放たれるより僅かに速く、ドゴンッ!! と、マモリの拳が轟音を立てて大気を揺るがす。


「ご、ぶ……!?」


 まるで巨大な鋼鉄のハンマーを叩き付けられたような衝撃が大風の腹部を貫き、全身の筋肉をズタズタに引き裂かれたかのような猛烈な衝撃が襲う。衝撃の余りに意識が遠のき、左手に収束させたアイテールが予定の効果を発揮できずに拡散していく。

 想像を絶する破壊力を受けて意識を保つのが精一杯の大風に、マモリは静かに呟く。


「さっきの借り、特別サービスにこれで返したことにしておこう」


 ミチミチ、と音を立ててわき腹にめり込むその拳は、『身体改造モディフィケーション』によって極限まで強化された岩をも砕く右拳。人体構造上の理想的な能力を超え、筋骨の構造まで作り変えた人外のブローだ。


 地に足のついた鉄拳の衝撃は、大風が身に纏う戦闘用の衝撃吸収スーツでもなお殺しきれない。マモリは叩きつけた拳に更に力を籠め、全身を捻って殴り抜く。


「吹き……飛べぇぇぇぇぇッ!!」

「がはあああああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」


 完全に振り切った起死回生のボディブローは、大風の肉体を吹き飛ばした。

 大風はそのまま斜め上方に吹き飛ばされて十数メートル向こうにあった民家の壁に背中から衝突し、そして、それ以上動くことはなかった。


 拳の速度というのは、実は時速に直すとそれほど速くない。

 プロボクサーの本気の拳でも速度は時速三〇キロ程度だ。

 だがその限界も『身体改造モディフィケーション』は覆す。

 現にマモリはさっき時速八〇キロの速度で跳躍して見せた。


 そして彼女が今放った拳の速度は時速一〇〇キロ――既に並の交通事故を凌駕する威力だ。


 この勝負、至近距離に入られた時点で大風の負けは確定だった。その事をマモリが常に意識した上で一発逆転の瞬間をギリギリまで待ってたことに、大風は最後まで気付けなかった。

 敢えて挙げるならば、それこそが大風の敗因である。


 吹き飛ばした大風にこれ以上戦う力がないことを確認したマモリは、やれやれと溜息を吐いた。大風は微かに痙攣し、むせる。


「き……さま……こふっ!」

「ひどい男だ……スーツが台無しになってしまった。もっとも、カロリーのかかる骨の修復の方が高くつくのだがな……ああ、また出費がかさんだとカズにどやされる」


 大風はまだ辛うじて意識を繋ぎ留めているが、もう異能を発生させるだけの余力は感じられない。激戦で痛む身体を異能で多少なり修復したマモリは、大風の近くに歩み寄る。

 大風は、敗北したというのにどこか清々しさすら感じさせる表情でマモリを見上げていた。


「まさか……体術で、女に負ける……とは。任務も、他の連中任せか……俺もまだまだ……功夫クンフーが足りん……」

「女、女と言うものじゃない。世の中意外と女の方がおっかないものだ。分かったらその女性軽視の発想を止めるんだな」

「ふふ、ふ………強く、気高く、美しく……お前に……げふっ! ほ、惚れてしまいそう……だよ」


 微かに微笑みながらそう告げた大風は、それを最後に意識を失った。気絶した彼を抱えたマモリは、大きなため息をついて体に隠し持っていた拘束紐で彼を縛って事務所の方へ歩き出す。

 死合を挑んで来たり告白紛いの事を言ったり、騒がしい男だ。


「時々いるな……こういう手合い。冗談だと思うが、本気にしているようなら暫く女の姿は止めておくか」


 マモリは男としても女としても生きられる体を持っている。だが、それが時々このようなややこしい事態を巻き起こすのが、『まもる』という人間の数少ない悩みだったりする。

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