第8話 強力な装備には金がかかる
モノレール駅まであと数分にまで迫っている現在、周囲に虎顎らしい存在は確認できない。途中で見かけもしたが、数則たちと接触する前に既にほかの何でも屋や不良などに目をつけられ、みすみすアビィを見逃す羽目に陥っていた
だが、このままで終わるとは思えない。
その予想を裏付けるようにBFが数則に報告する。
「さきほど報告した例の不審人物たちがモノレール駅に到着した! 虎顎のエージェントであると警戒した方が賢明だろうが、人数は少ない」
「警戒はするわな。それに
「それなんだが……さきほど事務所から脱出した男が飛行しながら高速接近している。空力系の能力者か、それとも念動力の類か……どちらにせよ
数則より優秀なBFに完全な奇襲を仕掛けて殺害した、あのエージェントだ。暗殺に加えて車以上の飛行速度まであるとは、確実に強い。
もし、空を飛ぶ男を無視して進んで前方に新たなエージェントが出現したら挟み撃ちだ。汎用性の高い風や念動力持ちが相手となると車では完全不利。逡巡の末、バックミラー越しにマモリに指示を飛ばす。
「マモリ! 悪いが足止め頼んでいいか?」
「任されたよ、カズ。漸く出番到来だ」
車の後部席でアビィと一緒にポテトスナックを齧っていたマモリはティッシュで指を拭きながら頷き、そのまま横の窓を全開にした。おかげでポテトの匂いが車の外に放出される。
アビィが人生初のお菓子を楽しむ横で自分もちゃっかり楽しんでいたマモリだが、短期間でカロリーを溜め込んだことで準備は万全といったところだろう。
「では、俺は少し行って来るよアビィ」
「マモリ、行っちゃうの?」
「おいおい、そんなに不安そうな顔をするなよ。なぁに、ちょっとしつこいストーカーさんにオシオキするだけさ」
不安そうに見上げるアビィの頭を軽く撫でたマモリはにこりと微笑んだ。
「そうだ、今回の件が片付いたらお菓子以外にもたくさんの食べ物を食べさせてあげよう! 楽しみに待っていてくれたまえ!」
「……お、オカシ以外の、たくさんの!? ふわぁぁぁ……!」
まだ見ぬ高カロリー粗食品たちの存在を初めて知ったアビィの目が期待に輝く。あまり子供のうちからジャンクフードを食べさせるのはいかがなものかと思うので、栄養価の偏りが出ないよう査察すべきだろう。
「ふふ……現金な子だ。残りのスナックは全部食べて良いから、ちゃんとカズの言う事を聞くんだぞ?」
マモリはそんな彼女を愛おしそうに抱くと、その手にスナックの袋を手渡した。アビィはひしっとそれを受け取った。ちらりとミラー越しにそちらを見たが、女の姿のマモリの笑顔は素直に綺麗だと思う。
(綺麗だけど、中身男なんだよなぁ)
顔立ちは元がいいだけあって美人なのだが、あれを素直に美人と呼んでよいものか。学生時代からの知り合いを女を見る目で見ることに抵抗しかない数則であった。
「あの男はきっちり足止めしておく! そちらもしくじるなよ!」
「当然! 俺とお前、何年の付き合いだと思ってやがる!」
「来年で十周年になるっ!」
言葉には出さず首肯した数則をミラー越しに確認したマモリは――そのまま車の窓を抜けてするり、としなやかに車の屋根に乗った。普通なら危険極まりない行為だが、彼女にとってはよくある事だ。車を止めて降ろしているのではタイムロスが生まれるが故のこの方法、使った経験は一度や二度ではない。
「あれ? マモリ、どこ……?」
「もう外に出たよ。ま、気にしない事だ」
一瞬の動きに目がついて行けなかったアビィの困惑の声がマモリの耳に届く。普通なら風切り音で耳まで届かない筈だが、『
周囲を眺めつつ、マモリは車の後方約一キロを飛ぶ影を目視で確認した。
「……さて、と。車の時速はおおよそ八〇キロか。なら必要な速度も同じくだな」
極限まで強化された肉体は、例え形こそ細身の女性のままであっても超人的な身体能力を発揮する。マモリは車の上でしゃがみ、脚を踏ん張らせ――凄まじい瞬発速度で車を蹴って進行方向とは反対に跳躍した。
「ふんッ!!」
車はその衝撃に少々揺れ、ガコンッ! という音と共に車体表面にくっきりと衛の履いたシューズの跡が残る。もっとも、車体表面に使用されるナノコーティング済みの形状記憶プラスチックならば電力さえあれば元通りに修復できるので傷などどうでもいいが。
車の現在の走行速度が時速八〇キロ。
そしてマモリが瞬間的に加速した速度が――時速八〇キロ。
結果、慣性の法則による移動エネルギーが打ち消されて、マモリは『ごく自然に』コンクリートの路上に着地した。
それを人間の所業と呼んでいいのかは甚だ疑問だが、現に彼女はそれを実行できる能力がある。身体強化系の能力ならば或いは真似できるかもしれないが、それを車の上という不安定な場所で平然と行える人間はそういない。
最強に強化された肉体。
最強を維持する精神。
最強を支える経験。
その三つが複合的に絡まった存在――それがマモリという男……もとい、今は女だ。
マモリはそのまま懐から拳銃を取り出す。
(まずはアレの足を止めるところから、だな。そのまま頭上を通り過ぎられては格好がつかん)
相手はアビィの確保を最優先事項に据えている筈だ。その為ならば態々足止めだと分かりきっている人間になどかかずらってはいられない。相手にするだけ時間の無駄とばかりに上を通り過ぎようとするだろう。
だからこそ、どのようにして相手の動きを釘付けにするかが肝要だ。
今の状況で取れる手段を装備と照らし合わせて考慮すれば、取れる作戦は一つしかない。
懐から一つ、コーヒーの缶にレバーを取り付けた様な鉄製の筒を取り出したマモリは、素早くレバーに刺さっていたピンを引き抜き、既に前方百メートルほどに迫る追跡者に向かって投擲した。
= =
「――? あの女、確か素体と共にいた……一体何のつもりだ?」
追跡者――
こちらにその投擲物を命中させようといった投げ方ではない。進路上に添えるような山なりの投擲だ。手りゅう弾の類かと思ったが、余りにも爆発する場所との位置関係が遠すぎる。
だが、投擲された物体のシルエットを確認した時、大風は痛烈なまでの悪寒を覚えた。その形状、進路上に投げるという行為、その二つがあるものを大風に連想させる。
かつて、一度だけ『それ』に酷い目に遭わされたことがある。日本で開発された対ベルガー装備の一つの中でも最も利便性が低く、だが短期間であれば異能に対して非常に有効な装備の一つ。
「まさか……!? 不味いッ!!」
轍を踏みたくないという本能が咄嗟に身体を動かし、確信もなく飛行を断念して瞬時に地表へ着地する体制に移る。
瞬間、パァァァァンッ!! と耳を劈くような破裂音と共に虚空に銀色の飛沫が舞い散った。
異能の力によって空気をクッションに着地した大風は、空気の収束に必要な霊素が散逸していくことに気付き、表情を歪めてマモリを睨む。正面には狙い通りと言わんばかりに大風へと肉薄するマモリの姿があった。
マモリの構えた霊素銃が計三発、立て続けに発砲。
身体をかがめて一発目を避け、二発目を懐から取り出した小刀で弾きながら三発目を回避。掠めた高濃度アイテールの弾が着ていたコートを軽く引き裂いた。
拳銃の銃口を避けるように疾走して銃を狙った蹴りを放つが、寸でのことろで身を引いて避けられた。流れを殺さずに連撃を放つが、的確に防がれる。
一瞬の攻防を区切るように向かい合う二人人の間に、ぴんと張りつめた緊張感が漂う。
「ABチャフとは味な真似をしてくれたな、女……!」
「それはこちらの台詞だ。事務所への侵入、備品の破壊、児童誘拐、監禁、殺人未遂……おまけにこんな高価な装備を消費させてくれるとはな。高~くつくぞ?」
「ほざけ! 貴様も僕の邪魔をするか……つくづく不愉快な!」
ABチャフ――別名、霊素結合片散布弾。
ABとは「Aither Bonding」の略であり、この弾頭にはチャフのように空中に大量の金属箔を散布することを目的とした対ベルガー装備である。
チャフと呼ばれてはいるが、それはあくまで仇名であり本来のチャフとは大きく用途が異なる。
ABチャフの金属箔は、大気中にばら撒かれることによって急激に大気中のアイテールと結合を起こすよう極めて特殊な加工が施されている。それを捲くことによって大気中のアイテール濃度は急速に減少し、霊素――アイテールを原動力とする異能の多くがこの環境下ではその効力を大幅に減退させる。
大風は過去にこれを受け、高度を維持できずに落下したことがある。
弟のフォローで任務は成功したものの、自分自身は膝や肋骨などを損傷して満身創痍。余りの無様に舌を噛み切ろうかとさえ思ったほどの苦い経験だった。故にあのタイミングで高度を上げたり旋回して避けるのではなく、すぐさま着陸するという対応を取れたのだ。
だが、ABチャフの効果は長続きしない。
今は上空の金属片が降り注いでいるために大風得意の異能は使えないが、少し時間が経てばアイテールと金属箔の結合も落ち着いて再び異能を行使できるようになる。今から走って範囲外に出れば直ぐにでも再び空を飛ぶことが出来た。屋内ならばこれほど有効な対ベルガー装備はないが、屋外ではほんの一分程度しか効果が無かった。
しかし大風は直ぐに駆け出すような真似はせずに、ゆっくりと範囲外へ移動した。
理由は先ほど仕掛けてきたマモリにある。
(この女、隙がない。先ほどの射撃も然ることながら、間合いの取り方と足運びが素人のそれじゃない)
少々腕が立つだけの民間ベルガーとは決定的に違う、強い意志が見え隠れする眼光が大風を射抜く。殺気とも敵意とも違う使命感と、ひしひしと感じられる相手を打倒しようとする意志。
貪欲にもこの状況下で何をすれば己が目的を達せられるかに神経を集中し、決して捉えた獲物は逃さない。蛇を連想させるその気迫が大風の警戒心を増大させた。
小刀を逆手に構えたまま、相手との間合いを測る。相手も油断なく霊素銃を構えて間合いをゆっくり詰めてきた。
一瞬でも背を向ければ彼女は容赦なく冷酷無比な射撃で大風を貫くだろう。霊素銃が発射する高濃度圧縮アイテールはABチャフ散布下でも威力の減退が少ない。その上、先ほどのABチャフが最後だという保証もない。
――この女は間違いなく戦士だ、と大風は認識を改めた。
平和な国のぬるま湯に浸かっていた人間ではない。
こいつは、実戦を知っている。
「――俺の名は
「……今は
自らの名を名乗り、相手の名を聞くのは大風なりの相手への敬意だ。
エージェントとして以前に、大風は戦士としての誇りがある。例え大風が内心では戦うべきでない存在だと考えている女性であっても、戦士としての誇りは重んじる。それが彼なりの美学だった。
そして、その美学は一つの意思表示を同時に内包している。
すなわち――。
「マモリ。我が戦士としての誇りにかけて貴様を打倒する。素体の回収は、口惜しいが他のエージェントに任せよう」
「いいだろう。そこまで熱烈な誘いならば、断るわけにもいくまい――それに、元よりここは通行止めでな」
――その方が好都合だ、とマモリは内心でほくそ笑む。
測らずとも時間稼ぎは成功した。
後は、目の前の男を無力化するだけだ。
ゆらり、と小刀を持った手をぶらさげるような独特の構えを取る大風。
少々厄介な相手ではあるが――
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