第6話 タダより怖いサービス

 既に敵の目が事務所を発見している可能性を考慮した、『とあるトリック』は成功した。


 刺客の心理をまんまと読み取った二人は、アビィを連れて事務所の避難口から退避した。念には念を入れて、と『仕込み』をしておいたのが幸いしたと数則はほくそ笑む。だが刺客が一人とも限らないので気は抜けない。むしろ襲撃する相手の方が行動の自由度は高いだけに油断は禁物だった。


 今、三人は事務所外の駐車場に駐車していた軽自動車で既に町に出ている。運転席に数則、後部席にマモリとアビィ。なお、マモリは未だに女性のままである。


 なるべく車の渋滞が起きにくく信号に捕まりにくいルートを選んでの走行になるが、それでも歩きよりは遙かに効率的だ。暗殺紛いの真似をするような連中相手となると、なるだけ乱暴で交通ルール無視の運転が利くルートがいい。遠ざかっていく事務所を振り向いて眺めながらマモリが呟く。


「ふむ、上手く閉じ込められたようだな。とはいえ無力化が成功したとも限らんが……やれ、また事務所を造り替えねばならん」


 遠隔操作もさることながら、シャッターも滞りなく閉まったのはマモリとしては幸運だった。というのも、実はあの仕掛けはまだ作ったばかりであり、碌にテストもしていなかったのだ。


 何事もぶっつけ本番というのは不確定要素が絡む物である。心臓に悪い戦いは出来るだけしたくない。それでもこんな策を実行するのは、無茶をしてでも叶えてあげたい願いがあるからだ。

 そう、例えばこの車が余程物珍しいのかきょろきょろ目配せしている小柄な少女の願いなんかが、特に。


「カズノリ、このスイッチはなに?」

「それはドアのロック。赤い色が出てるときは下のレバーを引いてもドアが開かないの。運転中は触っちゃ駄目だよ?」

「じゃあその横にあるパネルは?」

「窓を開閉するためのものだよ。試しにちょっと下に押してみて?」


 言われるがままにパネルを触ったアビィは、それに反応して解放された窓から吹き込んできた風に驚いて、きゃっ、と小さな悲鳴を上げた。が、すぐにその隙間から流れ込む風圧に興味を持ったのか、風に手を翳してその心地を無邪気に笑う。


「すずしい……なんだか風に手が押されてるみたい!」

「そりゃよかった。でも危ないから窓の隙間に手を入れたりしないようにね」

「うん!」


 素直で元気な返答が帰ってきた。

 この姿こそが彼女の本来の姿なのだろう。

 年齢相応に微笑ましいその姿に、こちらも自然と笑顔が漏れる。


 アビィは人生で初めての乗車経験が余程新鮮なのか、他にも窓を触ったり座席下のレバーを触ったりしてはではなくへ興味津々に用途などを尋ねている。

 元来は好奇心旺盛な少女だったのだろう。それが今までの異常な状況の所為で表に出せなかっただけに違いない。年相応な可愛らしさに自然と頬が緩むが、直ぐに顔が引き締まることになった。


「……ん? こいつは……」

「どうした?」

「いや、事務所に置いてきている『俺』が、室内でのアイテールの収束を感知した」


『運転席の数則』の質問に、は軽く返事を返した。


 運転席に数則。

 助手席に数則。

 そして先ほどの事務所にも、実はこっそり数則が潜伏している。

 更に言えば、既に数則が車を走らせる前から無数の数則が町に駆け出して不審者の情報を集めていたりする。


「こちら俺。虎顎の構成員らしき人物を発見。俺と共に拘束に移る!」

「手を挙げて銃を捨てろ! さもなくばこの場で召し取るぞ!」

「うわぁ!? な、なんだコイツら! 全員同じ顔してるぞ!?」

「まずい、霊素銃を持ってやがる! 撤退だ、てった……ガハァッ!?」


 店の近くの街角で勇ましく戦う数則。


「こちら俺。橋の方面に不審者が目撃されたとのタレコミあり、気を付けられたし!」

「ダンナぁ、それはそれとして前の情報代のツケは……」

「前に偽情報を売りつけたろ? それとこれで差引チャラだ。文句は?」

「……ありやせん」


 路地裏の胡散臭い情報屋相手に睨みを利かす数則。


「こちら俺。老人を狙ったひったくりを発見。近隣の俺は確保に協力しろ!」

「あ、あたしのバック返さんかい! ……返せ言うとるやろゴルァアアアア!!」

「何っ!? 被害者のヒョウ柄シャツのオバさんの方が俺より速いだとぉ!?」

「うわああああああ!? 伝説の初期ジェネシスベルガーのターボババァだああああああ!!」


 ひったくりが恐怖する速度で追走するばあさんに追い抜かれてショックを受ける数則。


「こちら俺。今日はスーパーで米を安売り中との情報を手に入れた。すぐさま確保に移る!」

「おひとり様一袋までとなっております!! 一列に並んで! 一列……梅小路さん、異能使って増えない!」

「くっ、バレたか!!」


 常習犯の所為ですぐさま正体がばれて悔しがる数則。


「こちら俺。チンピラに絡まれてる女性を助けたら逆ナンされた。どうにか傷付けず断ってみる!」

「ねぇ、お礼ぐらいさせてくれたっていいでしょ……?」

「い、いや……生憎彼女持ちで……」

「……どうしても、ダメ?」


 勘弁してくれ! と内心で頭を抱える数則。


 道端で行動する別の数則を車内から見かけたアビィはぽつりと呟く。


「不思議……カズノリの力。あっちにもこっちにもカズノリだ」

「世にも奇妙だよな、カズの能力――『同時存在バイロケーション』は」

「うるせーぞマモリ。お前だって摩訶不思議能力持ってるくせに!」


 不貞腐れたようにケッと漏らす数則をたしなめるように、助手席の方の数則がまあまあと声をかけた。


「そう荒れるなよ、『俺』。自分が沢山いるんだぞ? 面倒なことも押し付け放題だし、俺達の行動を知りたいときは聞けばちゃんと答えてる。こうして役に立っているからいいじゃないか」

「よくない! 何でよくないか分かるか!?」

「ん? どのことだ? 俺は常に極めて紳士的かつ社交的で先を見据えた行動が出来るよう心がけているつもりだが? ……とはいえ、自分が多数存在し、自分の与り知らぬ場所で自分のように振る舞っている、といった現状に対する不快感や忌避感は俺も承知している。その上で頼ってもらえることは嬉しく思ってるよ、『俺』」


 相も変わらず歯が浮くようなお世辞を言いやがる、と数則は内心で吐き捨てた。自分の顔で、自分の声で、その癖して自分の言いそうにもない事を平気でのたまう自分のしもべ。

 助けられることは多いが、それでも数則はその自分を自分としては許容できない。へらへらと笑うの笑みが、心底数則をうんざりさせる。


「そういうお前らの『俺っぽくない所』が嫌いなんだよ、『BF』……!!」


 『同時存在バイロケーション』。

 世界中を探しても数則しか保持者がいない希少度Sランクの異能にして、数則が世界で一番気に入らない異能。


 その能力は言葉通りの意味で、能力だ。


 本体と同時存在体(Bilocation Figure)は明確に区分され、BFはアイテールによって構成される。

 この能力の最も奇怪で不思議なところは、分身とも表現できるこのBF達が本体である数則のコントロール下にある訳ではないという点に尽きる。


 彼等BFは数則によってこの世界に生成された瞬間から本体である数則の意識を読み取り、数則が求めている、若しくは求めているであろう行為を各々勝手に行う。

 より正確には、数則が望む理想的な展開を実現させるための一種の自己犠牲精神を以って行動するのだ。


 一度形成されれば原動力となるアイテール外殻が崩壊するまで行動をし続ける。何事もなければ凡そ三時間程度、力を多く籠めれば丸一日、そしてナイフに刺されるほどのダメージを受ければ外殻を保てず崩壊。行動中のBFの記憶は数則には知ることが出来ないが、BF同士の情報は交換される。


 簡単な例を挙げよう。

 例えば数則がその相手をぶん殴りたいほどに怒っているが、流石にそれはまずいと自制を利かせている時にBFを生成すれば、BFは数則に代わって相手をぶん殴る。それは、数則が本当に求めているのは怒りの抑制ではなく解放だからだ。


 だからもし殴ることによって後で面倒な事態に陥ると分かっていても、BFは相手を容赦なく、躊躇いなく殴る。ただし、自らの正当性を主張できる情報が生み出せる際はそれを使って、理知的にだ。


 例えば目の前に落ち込んでいる女性を見た数則がその女性を慰めたいと考えた際にBFを生成すれば、BFは数則の持つ知識と語彙を本人以上に総動員してその女性を慰めて見せる。

 数則自身に口説きや女心をつかむテクニックがなくとも、オリジナルというハードをフル活用可能なBFならば女性の心を掴むことも可能だ。


 彼らは数則の能力を基に生成され、彼に1%以下であってもそれを実現出来る可能性がある行為ならば何でも実行する。本来引き出されることのない数則の能力を100%如何なく発揮できる。


 はっきり言って、彼等は数則より優れている。

 数則からすれば、それはまるで自分以外の人間が自分の分身をコントローラで操って助けているような嫌な感覚を覚える。


 数則と違う言動なのに数則無しには存在できず、しかも数則より高性能。こんな連中が目の前で活躍していても数則はちっとも楽しくないわけで……それゆえ数則は昔から自分の能力が生み出すBFが好きになれなかった。


 そして、BFはそのことを承知の上で、それでも献身的に数則のために行動する。気に入らないと思われていることを意にも返さずに。

 その自意識の有無が曖昧な所も、数則は好きではない。


 なお、BFは自分以外の存在も生成が可能だが、他人のBFは極端に自我が薄くて自立行動はほぼできない。

 虎顎の刺客を騙すのに使った偽のアビィはそれだ。

 ほんの目くらまし程度ではあるが、それでも一瞬騙せれば囮としては上等だろう。


「お前も別人のBFみたいに無愛想なら良かったんだがな」

「はっはっは。同族嫌悪はよくない……む? 『俺』、少々まずいことになったぞ」


 不意に、BFの声に深刻なニュアンスが籠った。


「何事だ?」

「まず一つ。事務所に閉じ込めた虎顎の尖兵が自力でシャッターを突破した。恐らく追撃してくるだろう」

「それなりに頑丈には作ったが、異能の力でこじ開けられたか?」

「はっきりしたことは言えない。事務所内の俺は確認する前に崩壊したし、脱出の瞬間は別の俺が確認したから……ただ、十中八九異能だろうな。別にそれ位なら想定の範囲内だ。出来れば永遠に閉じ込められたままでいて欲しかったがな」


 厄介事とはなかなか思い通りに泊まってくれないからこそ厄介事なのだ。

 約二〇年の人生で物事が思い通りに運んだことが碌にない事を鑑みても、神様が数則を嫌っていることは明白だろう。しょうがないので寛容な心でそれを受け入れる事にしている。

 尤もそれは数則とマモリの話であり、幼いアビィはそうもいかない。


「諦めて、なかったんだ……なんで放っておいてくれないの?」


 スカートを握りしめて俯いたアビィが不安に震える。

 マモリは励ますように、細い指で彼女の頭を優しく撫でた。


「……そう不安そうな顔をするな。ちょっかいは出させないさ、俺達『プラムなんでも相談事務所』の名に賭けてな」


 一瞬ビクリと震えたアビィだったが、その暖かい掌を求めるようにそっとマモリによりかかる。こういう時だけ、マモリは異様に女性的だ。男の癖に。


 しかし、あの追手の脱出はこちらにとって都合が悪いのもまた事実。これからの行動を決める上でまだBFに聞いていなかった別の報告を聞く。


「で、他はどうなんだ、BF?」

「二つ目として、虎顎らしき怪しげな人物を複数発見した。そのうちの一部の居場所がモノレール駅の近くだから、このままかち合う可能性が大きい」

「ちっ……どっちも有り難くない報告だな。アビィの護衛に俺が着く以上はマモリがオフェンスだが、果たして一人で足りるか……?」


 苛立たしげに車のハンドルに人差し指をこつこつとぶつける。こちらの動きが読まれているのかもしれない。

 だとしたら、迎え撃つ必要が出てくる。

 こっちは異能者三人、うち一人が要防衛。

 対してあちらは手の内も人数もはっきりしない。


(俺も前に出るか……? リスキーではあるが、BFと連携すれば不可能ではない筈だ)


 腰に差した自分の獲物に意識をやりながら、ふと数則は不意にBFの言い方に引っかかりを覚えた。


「……ちょっと待て。さっき二つ目って言ったな。その言い方じゃまさか三つ目の報告があるのか?」

「ああ。……その、『彼女』のことだ」


 『彼女』、という言葉に、眉が無意識にピクンと動いた。

 BFがこのように含みを持たせて呼ぶ『彼女』とはすなわち、数則がBFに名前を呼んでほしくない程度に特別だと思っている『彼女』のことであり、同僚にして数則の『カノジョ』のことだ。じろりとBFを見ると、少々言いづらそうに顔を逸らした。


「また依頼者と喧嘩したらしくて橋の麓で落ち込んでいた。メールも見ないほどの落ち込みぶりだったから、励ますために勝手ながらオリジナルとのデートの約束をしたらようやく立ち直ってくれた」

「おいコラぁ!! この忙しい時に勝手に人の予定を増やしてるんじゃねぇ!! というかデートくらい俺に自分で誘わせろやッ!!」


 ちょっと油断すると人の恋路にまで変なフォローを入れられることの恥ずかしさというか惨めさというか……そのような形容しがたいもやもやした怒りを爆発させた数則は、沸き立つ衝動のままに全力でアクセルを踏み込んだ。

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