第3話 健康維持にも金が要る

 数則はアビィの話を反芻し、顎に手を当てる。


 彼女はそれなりに丁重には扱われていたようだが、人間を健康な状態で軟禁するには相応の資金が必要だ。彼女を日本に連れ込んだのは組織的な犯行と見ていいだろう。

 やはり、相手は下手人の言語と人種からして、近年日本にまで勢力を伸ばし始めた中華統一連邦――略称『中統連』の犯罪組織である可能性が高い。


(今や東南アジア最大のならずもの国家と化し、ついたあだ名はどっかのマンガから取ってか修羅の国。さて、どこの組織か心当たりが多すぎるな……)


 嘗て大量の人口と資金力を抱える大国だった中国は、自ら推し進めた霊素機関普及によって生み出したベルガーを大量に抱え、一党独裁の時代は崩壊した。


 あらゆるパワーバランスが崩壊し、その勢いは周辺国家にまで波及。血で血を洗う闘争の末に国境も崩壊し、連邦国家になるまで周辺各国は枕を高くして眠れなかった。


 連邦という形にこそなっているが、実際には連邦を構成する六つの国家で睨み合い、更にその中に潜む無数の犯罪組織と小競り合いを繰り広げているため治安は東南アジア内でも最悪と言っていい。


 当然、イカレた環境で戦う人間は倫理観も消失するし、数の利を覆す異能を欲して海外から子供を拉致してもおかしくはない。その裏には、アビィの異能を利用したよからぬ企てがあると見るべきだ。


 実験場所が自分の国ではなく日本なのは、ひとえに治安の差だろう。海外にわざわざ居を構えるリスクは大きいが、中国本土の荒れ具合を加味すればむしろ日本の方が設備を整えやすく、隠蔽さえ上手く行けば敵対組織に狙われる危険性も低い。


(しかしその組織、何をやらかす気だったんだ……?)


 アビィの異能は一通り聞いた。

 正式な鑑定がされていないので彼女の言葉のままにするならば、感応系異能『意識結合ユナイテッド』。自分と他人の意識を結合させ、言葉を超えた感覚や経験の疎通が図れるというものだ。


 数則の知る限り、稀少な異能ではあるが、探して見つからない程ではない。問題は希少性ではなく、 歪曲度ステージの方だ。


 ベルガーの異能は鍛えれば熟達し、付加能力の追加、アイテール操作キャパシティの向上、出力上昇等、能力の強度が上昇する。この強度の度合いが歪曲度ステージだ。


 異能のスタートラインを第一歪曲ビギンとし、幾つかの条件を満たせば第二歪曲セカンド第三歪曲サードと上昇する。ただし、同じ異能でも第一歪曲と第二歪曲では大人と子供ほどの力の差が存在し、第三歪曲ともなると同じベルガーから見ても人外に近い領域となる。


 数則は彼女に異能の話を聞いた時、「どれくらいの事が出来るのか」と先ほど確認した。

 それは意思の送信、受信、特定の感情や記憶を伝えることが出来るのか等を少しでも確認できればいいかなといった程度の意識だった。だが、返ってきた答えは予想外のものだった。


『百人くらいなら試したことがある。秘密の言葉を全員が一つずつ持っているからそれを聞き出して書けっていうの。でも、言われたことは出来たのに誰も私を褒めたり助けようとは思ってくれなかった……』


 寂しそうにつぶやくアビィに対し、数則が口にした言葉は、「凄まじい」だった。


 彼女は一斉に百人の意識を一方的に覗き、必要な情報だけ見て、その上で自分の味方かどうかを瞬時に判断するほど意識に潜り込むことが出来る。それは数則の予想を遥かに超える末恐ろしい力だった。


(アビィはもしかしたら、第三歪曲に到達してるのかもしれん。そうであればリスクを抱えてまで日本に軟禁していたことに得心が行く。第二歪曲でもベルガー全体の10%前後しかいないのに、第三歪曲ともなると世界中探しても百人に満たない。周囲に知れたら大騒ぎだ)


 使い方によっては一国家の軍隊の運命さえ左右するほどに強力無比で、他人の運命を大きく翻弄するだけの事象。もし本当にそのような異能をアビィが使えるとすれば、幼い少女が背負うにはまだ早すぎる力だ。


(彼女の奪還は組織にとっては恐らく急務。スピード勝負になるかもしれん。護が戻り次第行動開始だ)


 相手の組織の規模が分からないが、組織的に動いていたとすれば、アビィを直接追っていた構成員が一人音信不通になっている状況だ。発信機や通信機器は傍受の可能性があったのか一切身に着けてはいなかったので時間の猶予はあると思うが、悠長にしていられるほどではない。


 唯一こちらに有利な点があるとすれば、ここがアライバルエリアだということ。


 ベルガー集まるところ犯罪あり。

 アライバル・エリアの異能犯罪率は高いが、それ故に何でも屋、民間警備会社、警察などの組織の対応も極めて迅速だ。裏組織も当然、それに対抗して精強な連中ばかり。この町は様々は組織と思惑が重なり合い、絶妙なバランスを保っている場所なのだ。たとえ大きな後ろ盾を持ったマフィアであっても、この町の中では迂闊に行動できない。


 アライバルエリアのベルガーは、その立場に関わらず町に害を為す存在には容赦がない。数則は携帯端末を弄り、信頼できる知り合いに情報を一斉送信した。


 敵を退ける手は考えた。

 となると、肝要になるのはアビィをどうするかだ。


 この場合、一番楽な選択肢は彼女を警察に受け渡すことだろう。

 明確な国家権力が相手となればマフィアも流石に諦めざるを得ないし、稀少な異能を持つベルガーであれば警察も相応の待遇で保護するだろう。

 しかし、そうなればアビィは一体どんな扱いを受けるのだろうか?


 国籍なし、戸籍なし、異能は高位。

 警察がこの少女の才能を自国の為に最大限に利用しようとする可能性は否定できない。国も警察も今や有能なベルガーの発掘に必死だ。普通の女の子の普通の生活を叶えさせてくれないのではないかという漠然とした予想があった。


 今、アビィはポップキャンディを舌でぺろぺろと舐めている。初めて食べるらしく視線は見事に釘付けになっており、こちらの熟考を気にしている様子はない。彼女が何を望むか、依頼を受けたからにはしっかり確認する必要がある。


 と、階段を上り廊下を歩く靴の音が近づき、事務所のドアが開く。入ってきたのはよく見知った顔の女性だ。


「服と下着、買って来たぞ」

「おーおーご苦労さん。これで漸くアビィにまともな服を着せられる」


 事務所に上がり、近所の呉服店の買い物袋を机の上に置いた女性は、ふう、とため息をつくと冷蔵庫の中から見ていて不安になるほど安い栄養飲料を一気飲みし始めた。如何にも健康に悪そうな飲み方であるが、見慣れた光景なので気にしない。


「アビィの着替えが終わったらすぐに話し合って行き先決めるぞ。あんまりのんびりすんな」

「承知している。話は進んだか?」

「狙われてる理由には予想がついた。後はアビィがどうしたいかを確認だ」

「結構。それじゃアビィ、着替えようか」


 女性は優しい笑みでアビィに近づいた。

 アビィはキャンディを取り落として、猫のように跳ねて逃げて数則の背後に回り込む。その目にはありありと警戒心が表れていた。


「……だ、誰ですか?」

「誰って……おいおい所長殿。まさか説明していなかったのか?」


 呆れるような視線に、ああ、と数則は己のうっかりを自覚する。

 余りにも見慣れた光景過ぎて説明をすっかり忘れていたと反省しつつ、アビィの頭を優しく撫でて警戒心を解く。 


「そういえば説明してなかったな。こいつはさっきまで店にいた護だよ。護は異能の力で自分の姿形を変えられるんだ。今は女になってる。ほら、服とかモノクルとか護のままだろ?」

「そういうこと。つまり俺は男であり女でもあるのだ」

「要はオカマだ」

「勝手に固有のカテゴライズをするな。プライベートゾーンだってちゃんと変わっている。あ、それと女の時は区別するためにマモリと呼んでくれると有り難いな」


 アビィは数則とマモリの言葉にきょとんとし、女性の姿になった護、もといマモリを見て、改めて自分の頬をつねった。ちゃんと痛いので幻聴や幻覚ではないという事実を確認したアビィは――。


「ええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」


 男が女になるという驚愕の体験に、この事務所に来て初めて遠慮なしに叫んだのであった。

 ちなみに護のスーツは男になっても女になっても問題ない特殊な伸縮素材で出来ており、飾りボタンの裏にあるスイッチで調整できる超高価なスーツだ。これもまた護の浪費癖が為せる業である。



◇ ◆



 しばしアビィが落ち着くのを待って、着替えさせて数分後。

 一端の女の子らしいに身を包んだアビィは、ひとまずあからさまな訳あり姿から解放されている。当人は着慣れない服に落ち着きなくもぞもぞ動いているが、表情の明るさを見る限り気に入ってはいるようだ。

 数則とマモリは話を進める。


「敵は恐らく中統連系列の犯罪組織。アビィの異能が狙いだ」

「どんな異能だい?」

「精神感応系。恐らく第三歪曲サード

「それは……どこの組織も欲しがるな」

「問題はそこだ。警察に連れていくことも考えたが、今度は警察が欲しがる。彼女には国籍も戸籍もパスポートもない。一度警察に渡せば教育内容をあっちに掌握される。子供は親に従って、あっという間に警察以外の将来が見えなくなるだろうな」

「……かつて、親父が俺の将来を護衛者として決定付けようとしたように、か」


 式綱家は皇家の護衛も務めた護衛者一族だ。当然の如くマモリも幼少期から護衛者として育て上げられた。しかし学生時代には他者を守ることに価値を見出せない葛藤を背負っていた時期もある。


 今のマモリは様々な経験を経て護衛職を自らの生業に選んでいるが、アビィは違う。組織に連れ戻されても警察に保護されても、自ら選ぶことは出来ない環境になる。

 迷い悩むとさえ奪われるのは残酷なことだと、少なくとも数則たちは思う。


「だから、そんな思いは後の世代にさせたくないだろ? お前もさ」

「年寄り臭い事を……だが、そうだな。散々縛られてきた人生なのだから、そろそろ世間を学んで将来を考えるくらいの自由は持っていい。俺達にはそれを手伝う力と伝手がある」

「そうだな――だからアビィ」

「……はい」


 アビィは服のすそを指で弄るのを止め、緊張した面持ちでこちらを見た。


「君は今、三つほど選択肢がある。一つ、『プラムなんでも相談事務所』に正式な依頼を申し込んで埒を開けること。二つ、より確実に安全を得る手段として警察の庇護を受けること。三つ、……諦めること」

「……」

「俺達は君の依頼を受けようと思っている。ここで君が助けを求めないと言うのならばそれまでだが、困ってる人間を放っておくってのは俺達の流儀にそぐわない。それが子供なら尚更だ」


 こうすべき、と決めつけはしない。

 提案はしても、勝手に依頼主の求めるものを決定するのは三流の何でも屋だ。例え相手が子供でも、主義主張は彼女自身が決めなければならない。


「二つ目の選択肢……警察に保護されれば俺等と一緒にいるより安全かもしれない。警察は国を支える大きな権力だからね。でも、結果的にはその力を利用されることになるかもしれない。施設に居た頃よりは自由があるだろうけど、君の期待に必ずしも沿っているとは限らない」


 小さな檻の中から、より大きな檻の中へ。

 選ばされる道を、選ぶべき道だと教えられる。

 それをどう捉えるかは人次第だが、少なくとも数則はそれが良い選択肢だとは思えない。警察内には知り合いもいるが、警察に所属しないベルガーを一緒くたに犯罪者予備軍のように考えている人も少なくない。


「三つ目の選択肢だけど、諦めれば当然、そこですべては終わりだ。ここまで駆け込んできた君の大冒険も無意味に終わる」

「……せーしきないらい、を頼んだら?」

「俺たちが君の要望に沿う道を、全身全霊で確保し、連れていく。ブラムなんでも相談事務所の誇りに懸けて」


 依頼料の出ない、採算の合わない依頼だ。

 でも、所長が受けると言ったらそれが事務所の総意となる。

 一度受けた依頼は最後までやり通すのが、何でも屋の基本だ。


「言ってごらん、アビィ。君は何を求めてここに来たんだい?」


 アビィはぎゅっと両手で服を握りしめて俯き、ゆっくりと顔を上げる。


「私、まだカズたちのこと信じきれません」

「うん」

「だから、確かめさせてください。信じさせてください」


 彼女の周囲のアイテールが濃くなっていく。異能発動の前段階だ。彼女の能力の前にはあらゆる虚構が意味を成さない。その力を以て最後の確認を行う気だ。


 彼女も本当は気を許し、頼りたいのだろう。それでも最後の一歩に自信と確信が持てないから、最終手段に出た。数則は彼女と目線を合わせ、受け入れる準備をした。


 意識が、結合していく。

 アビィの心、想い、記憶が数則の頭に流入してきた。

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