第2話 服を買うのに金が要る


 ブラムなんでも相談事務所には『おしおき部屋』が存在する。

 これは依頼で盛大なヘマをやった職員を罰する場所、という訳ではない。強いて言うならば、この異能が浸透した社会の価値観に於いては、事件の加害者をすぐに警察に突き出すことに不都合が生まれることが稀にあるために用意した場所だ。


 特に何でも屋は、出来れば警察沙汰になる前に事を済ませたい人間が来ることも珍しくない。もしもの時の訳あり事情用に用意していれば何かと便利なのだ。

 ちなみに使うことは少ない上に完全防音なので、時々職員のカラオケ練習ルームになっていたりもするが、まるで使わないよりはまだ有効な活用法だろう。


 数則と護は大陸系ヤクザ感のある犯罪者を警察に突き出さず、一旦拘束して『おしおき部屋』に監禁した。異能社会前であればこれも明確な犯罪であるが、何でも屋に必須の幾つかの資格と条件が揃えばギリギリ合法になる。


 ちなみに拘束したのは護。意識も薬品で改めて奪い、念のための拘束も抜かりない。護衛家業は裏の相手との戦いも多いため、そのあたりの知識は豊富だった。


「こんなものか。さて、依頼主をいつまでも待たせるのは良くないな」

「そうだな。やれやれ、常駐の事務員が欲しいぜ……雇う金さえあれば」


 二人の視線は依頼者の方へと向く。

 家の奥でそのような非人道的な行いがされているとは知らない依頼者の少女は、体に対して不相応に大きなワイシャツと下着しか身に着けていない、いたいけな少女だった。


 肌の浅黒さは生まれつきと思われる。顔立ちを見るに外国人か、或いは混血。靴すら履かず裸足だったために汚れた足を拭いてあげたが、触られることに恐怖感があったのか拭かれている間ずっと固く目を閉じていた。


(かといって自力で拭こうとする素振りなし。どんな環境にいたんだ、この子?)


 ついでに体を簡単に調べたが、暴行や拘束を受けた形跡はなし。顔色は悪いがその原因は恐らく精神状態の所為で、肉付きは健康的。念のため子供の迷子や行方不明のデータも探ってみたが、該当する子はいなかった。


(児童性犯罪の被害者ってセンは可能性が低そうだが、監禁されてた可能性はあり。いくら夏とはいえこの格好で子供が出歩いて訳ありじゃないなんてあり得ないよな……)


 追っ手が追っ手なだけに組織的な児童買春や人身売買という線を想像したが、どうもしっくり来ない。こういう言い方は嫌らしいが、わざわざ比較的治安の安定した日本に彼女のような子供を売買するのは商売としてリスクが上回る。


 ともあれ、そろそろ事情を聞かなければ、ソファの上でちょこんと縮こまる彼女は居心地が悪くなる一方だろう。護は彼女に着せる服を買いに出かけたため、所長が直接接客だ。


「俺の名前は梅小路数則。カズノリか、カズでもいいよ。君の名前は?」


 少女は躊躇いがちに、消え入りそうなほど小さな声で答える。


「アビィ……って、呼ばれてます」

「よろしく、アビィちゃん。それで君の依頼なんだけど……君がこの事務所に助けを求めてきたのは、あの怖い黒服のおじさんと関係あるのかな?」

「……はい」


 不安そうに上目遣いでこちらの顔色を伺いながら、アビィは頷く。助けを求めてきたとはいうものの、未だに怯えているようだ。


 別段、それ自体はよくあることだ。

 何でも屋とは言っても一見さんからすれば赤の他人だ。自分の悩み事や秘密をいきなり暴露するのには相応の勇気がいるし、もし拒絶されたら、という恐怖とも戦わなければならない。これ以上彼女を不安がらせないよう、なるべく気楽に振舞う。


「花瓶のことなら気にしなくていいよ。割とよくあるから」

「よく、あるんです?」

「相談者が暴れたり同僚がふざけたり、変な人がやってきて暴れたりでもう十回以上は割れてるね。それに今回あの花瓶を割ったのは君を追いかけてきた黒服だから、君が責任を感じることはないさ」

「……」


 反応は思わしくない。渾身のギャグが不発に終わったような胃の痛みが襲うが、ひとまず話を変える。彼女は何者なのかを把握することで事情が見えてくるかもしれない。


「アビィちゃんって名前からして外国の人っぽいけど、日本に住んでるの?」

「……分かりません」

「そっか。日本語が上手だから日本暮らしが長いのかと思ってたけど……君の親御さんは?」

「オヤゴ……?」


 馴染みのない言葉だったのか、アビィはきょとんとした顔になる。


「ええと……お父さんとお母さんの事さ、親御さんっていうのは」

「……分かりません」

「分からない? んー……はぐれたってこと? それとも最初からいないの?」

「分かりません。おとうさん、おかあさん、意味は聞いたことあります。でも、覚えてないし知らないです……周りで同じ肌の色の人、見たことありません。みんなカズと同じ肌の色で、チュウトウ……どこかという場所から来たって」


 声が次第に萎んでいき、アビィはシャツの袖を強く握って俯いた。それが彼女の出せる情報の精一杯なのだろう。


 恐らくは孤児で、施設のような場所にいたために外界と接点がなかったのかもしれない。チュウトウという言葉から一瞬中東を連想したが、周囲の人間の肌の色からすれば恐らく本当の意味は『中統連』――海を挟んだ大陸の国、中華統一連邦の事ではないかと数則は推測した。


 今も昔も非合法組織にとって人売りは代表的な資金獲得手段だ。発展途上国では戸籍もしっかりしていないから子供を攫うのは容易だし、そう考えると彼女は物心つくかつかないかでどこかの国から攫われ中東連に居たと考えるべきだろう。

 その理由について少々の心当たりが生まれるが、先に別の事を確認する。


「ここに来る前にはどこにいたんだい? 元居た場所に友達とかは?」

「分からない……外の事は、あまり教えてもらませんでした。いつも四角くて狭い部屋から出たり入ったり、大人に世話されたり……トモダチって、よく分かりません」

「寂しかったね……その人たちに変な事されなかったかい。お注射されたり、美味しくないもの無理やり飲まされたり」

「……」


 彼女は沈黙した。というよりも、怯えていた。

 恐怖の記憶を思い出すというより、真実を伝えることを怖がっているように思える。それを打ち明けることで目の前の大人にも見捨てられるのではないかという内なる恐怖に睨まれているようだ。


 数則は、自分の推測が次第に真実味を帯びてくるのを感じた。


 海外の子どもを誘拐して日本に連れ込むことはデメリットが大きい。ではそのデメリットを呑み込んでまで子どもを連れ込む理由は何か。


 ――子どもに特別で固有の力があるのであれば、話は変わってくるのではないだろうか。


 人類のベルガー化は世界的に広がっているし、霊素機関が異能発現の原因なのは社会常識だ。しかしインターネットの普及した社会と、数キロ離れた川で水を汲まないと生活できない社会では常識の前提が違う。そうした社会で生まれたベルガーは――。


「化け物って呼ばれると、傷つくよな」

「え。な、なんで……それ……!!」


 変化は劇的だった。全身の産毛が逆立って歯がカチカチ鳴るほど震えるアビィの様子を見て確信する。嗚呼、彼女もやはりそうなのかと。


「俺も化け物呼ばわりされる側だからさ。たった一つ人と違うだけで酷いよね。だからかもしれないけど、俺は人の役に立つことで、俺も人間なんだって認められたいとずっと思ってた」


 彼女は、ベルガーだ。

 ベルガーの孤独は同じベルガーにしか理解出来ない。

 数則は静かに、自らのベルガーとしての能力を解き放った。


「「どうだい。君は俺を化け物だと思う?」」


 アビィは数則の異能に驚愕し、怯え、しかしそれに害がないことに気付くと食い入るように見つめた。自らの意思で近づき、触り、そしてそこでようやく――。


「私だけじゃ、なかった……!」


 仲間を見つけたように、心底安堵した表情を見せた。

 それは年相応の、可愛らしい笑顔だった。



 ◆ ◇



「じゃあ、ここには私みたいな人もいるの……?」

「流石に皆が皆そうじゃないけど、この辺は日本の中でもかなり多い方さ」


 用意されたホットココアをふうふうと息で冷ましながら、アビィは数則の話に耳を傾けた。


 アビィは、自分のいた施設から出たことはない。外という世界を断片的にしか知らない。ただ、世話をする人や、定期的に変な実験をさせる大人たちが自分をどう思っていたのかは知っていた。


 ――化け物。

 ――本当は関わりたくない。

 ――とっとと離れたい。


 自分が他者にはない力を持っている自覚はあった。

 故に、この力を知れば皆が離れていくと思った。

 数則がアビィに見せた力は、アビィのそれとは全く違い、アビィには逆立ちしたって真似できない不思議な力だった。そんな力の持ち主が沢山いると聞いて、アビィは不思議な高揚感を覚えた。


(ここなら、わたしの居場所出来るかな……特別でない生き方って、できるのかな)


 もう十分すぎるほど閉じ込められた。

 これ以上、死ぬまで閉じ込められるなど嫌だ。

 力に縛られない生き方をしたかった。


「……君の話を聞いてちょっと事情が見えて来たよ」

「え?」

「つまりこうだ。君は周囲の大人たちに、その特別な力の所為で外に出してもらえなかった。でもそこで……なにかしらの事情や心境の変化があって逃げ出した。すると大人が追いかけてきたから、君は捕まりたくない一心で誰かに助けを求めてこの事務所に来た。違うかい?」

「ち、違いま……せん」


 悪戯っぽく笑う数則に、アビィは驚く。

 そんなことは説明していないのに、彼の口にした経緯はほぼ正解だった。それすら実は数則の特殊な力なのではとさえ思うが、数則は「そうじゃないかと想像しただけだ」と笑い、「アビィもそのうち出来るようになる」と頬を優しく撫でてくれた。


 こんなにも優しい笑みと温かい手は初めて触れる。

 感じたことのない、ふわりとした暖かなものが胸に込み上げる。


(この人なら――檻の外に、連れて行ってくれるのかな)


 アビィは自分の知る限りのことを話すことを決意する。

 自分が自由になるための最後のチャンスを、彼に託すために。

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