第1話 花瓶を買う金がない
ベルガーは世界的に発生した異能者――とは言うが、異能者発生の原因とも言える霊素機関は厳密にはどこにでもある訳ではない。都会には物が溢れているから当然あるが、物流の少ない田舎では当然数が少なくなる。となればベルガーは必然的に都心や大型施設の周囲に多く出生するようになる。
ベルガーとして生まれた人間は特殊な教育課程を経なければならないため、ベルガーの為の学校やベルガーの為の施設が必要になる。それらにも当然、高度な設備や技術が必要になる。また、ベルガーの少ない地域では未だ異能を犯罪者予備軍か化け物のように見る人間も存在するため、ベルガーは自然とベルガーの多く住む町に集まりたがる。
つまり、異能者だらけの街がそこに誕生する。
通称、アライバル・エリア――日本の技術・人材のホットスポットであり、ベルガーやアイテール研究が最も捗る場所であり、暇を持て余した犯罪者ベルガーとそれを取り締まる行政や民間警備会社のドンパチに、それを面白がる人々の最前線だ。
当然、何でも屋の競争が最も激しい場所でもある。
そんな日本に点在するアライバル・エリアの一つに存在するくたびれたテナントの片隅に構えられた小さな事務所の、そのデスクで。
「金がねぇ……仕事があるのに貯まらねぇ……黒字よ貴様、さては俺のことが嫌いだな?」
一人ぶつぶつ呟きながらホロモニタに映し出された帳簿に数字を入力し続ける男が一人。弾いても弾いても事務所の利益が安定して黒くならず、次第に作業に疲れた男は椅子に身を投げ出してため息をついた。
男の名前は
ただ、彼の事務所には借金がない。高卒で立ち上げた何でも屋という眉唾物の経緯でありながら借金もせずに経営が立ち行くというのは、このご時世容易なことではない。
事務所の名前は『プラムなんでも相談事務所』。堅苦しさのない愛嬌のある名前だが、悪く言えばチープ。それでも激戦区である都心の中にあって競争相手の少ない場所にあるためか、それとも敏腕な社員のおかげか、依頼は常に一定数はある。
普通の何でも屋なら一般的な仕事は住民の仲裁、猫の捜索、浮気調査、ストーカーからの護衛など大小様々で些細な要件も多い。そんな中で名指しで報酬の高い依頼が舞い込んでくることもあるのは有難いことだ。
されど暮らしは豊かにならず、数則の昼食はこのままだと格安のカップ麺と少量の野菜ジュースになる予定だ。何故仕事があるのに贅沢が出来ないのか……その理由は至極単純。
この事務所は、故あって全体的に出費が激しいのだ。
不意に、事務所のドアが開く。入って来るのはスーツをびしっと着こなし、今時珍しいモノクルをかけた美男子だ。数則の元同級生にして部下の
丁度事務所が昼休憩に一時間店を閉める時間だったため、護は入り口に鍵をかけてデスクの近くに悠然と歩いて近寄ってくる。
「随分不景気なツラをしてるな、カズ。幸せが逃げるぞ?」
「逃げてるんじゃない。お前が俺の幸せを食ってるんだ。キャッシュにして食った分返せ」
「開口一番随分な物言いだ。親友に金をたかるなど人格を疑うぞ? 外道に堕ちるお前など見たくなかったな……くっ」
「くっ、じゃねえよ笑うなぶっ殺すぞ!?」
護が今口にした「くっ」は、葛藤や苦悶ではない。
失笑しているときの物言いである。
「おお、怖い怖い。我らが所長をこれ以上怒らせると噛み殺されかねんな」
「ガルルルルルルルッ!!」
面白がりながら事務所のソファに腰かけてネクタイを外す護だが、彼も当然の如くベルガーだ。しかも学校時代は頭脳明晰容姿端麗の完璧人間で、主席卒業という誰もが欲しがる人材だった。事実、彼を雇いたいと考えた人間は数多いたし、今も勧誘は来ている。
護はそれを全て蹴った上でここにいる。
それは確かに嬉しいことだ。
しかし、その嬉しさを打ち消す二つの欠点が彼にはあった。
「で、依頼は!? 失敗したとでも言ってみろ、そのモノクルにポテチ食った後の指で触るぞ!」
「やめろ馬鹿者。依頼はしっかり完遂した。極道の跡取り息子の護衛任務をこなして依頼料の三〇〇〇万円は振り込み済みだ。さあ、崇め奉れ」
「ほうほうふむふむ……で、そのうち幾らを使い込んだんだ?」
「貯金の三〇〇〇万に今回の報酬から二九〇〇万を上乗せして、漸く最新の量子プリンターに手が届いた!」
「ああそうかそうかいそうですか……ってドアホぉぉぉーーーッ!! シレっと依頼料ガッポリつぎ込んでなにしくさっとんじゃぁぁぁーーーーーッ!!」
欠点その一、浪費癖の酷さ。
実は護の実家である式綱家は歴史古い良家であり、お坊ちゃんである護は金銭感覚が色々とおかしい。趣味の工作や機械弄りで唐突にとんでもない買い物をすることもこれが初めてではなく、酷いときは依頼料を完全に使い切っている。
流石に自分の指名依頼以外の依頼料を勝手に使うほど見境ない訳ではないが、工作機材の管理費と改造費を合わせると残り少ない収入さえ儚い灯だ。
更に、護にはまだ欠点がある。
「で? 今回の仕事で消費した食費は?」
「……しめて四〇万円」
「お前もう霞食う修行しろ」
護が携帯端末で送ってきた領収データを眺める自分のこめかみに血管が浮き出るのを自覚しながら、数則は深いため息を落とした。
「もう少しこう……何とかならんのか、その大食い体質は?」
「俺の異能がとんでもなくカロリーを消費するのはお前も知っているだろう? 今回はかなりハードだったからな……食べなければ依頼は完遂できん。ついでに大食いメニューの褒賞をいくらかもぎ取った代償にその全てで出禁を喰らった」
「知ったことか! どうせその褒賞も当の昔に使い込んだんだろう!」
スーパー浪費野郎に加えてミスター大食い野郎の称号が上乗せされるのがこの男の凄い所。
食費四〇万という数値は高級店ばかりを回ってこの値段ならば納得は無理だが理解は出来る。だが、この男は違う。安価なファミレスや格安のファストフードを中心に貪り続けて四〇万円だ。単純に考えると格安ハンバーガー千個以上は余裕で食べた計算になる。
そして、このように食費ばかりが膨れ上がるのにはれっきとした理由があった。それは、彼の持つベルガーとしての異能だ。
「変異型異能『
「ふっ、まさか極道相手にこの式綱護があそこまで追い詰められるとはな。世の中まだまだ広い」
「お願いだから無茶は止めろ。うちの事務所の金庫のために!」
「前向きに検討しよう」
「決・定・事・項・だっ!!」
平均的な男性の一日に必要とするカロリーはおおよそ二〇〇〇kcal前後とされているが、護のそれは利便性の代償として更に莫大なカロリーを要求する。傷を治すにもカロリーと言う代価を払う必要があるのだ。
そして護の実家、式綱家は多くのSPや名護衛を輩出した家系故、護に舞い込むのもほぼ護衛依頼。護衛が必要ということは狙われている訳で、必要あらば護はどんな暴力や凶器にもその身一つで立ち向かわなければならない。
この食費のおかげで入院や手術になることがないと思えば相対的には安い出費なのかもしれないが、こうもバカスカ万札を飛ばされてはたまらない。おまけに改造した肉体はカロリー消費が激しいから改造後には元に戻すので、それにもカロリーが必要だ。次の仕事で肉体を強化するには当然別途カロリーが必要。カロリーを蓄える臓器を自分に作っている護は有事に備えて日常的にカロリー摂取量も多いと、まさに無限のカロリー地獄である。
「てめぇ、量子プリンターなんぞというクソ高価な買い物した以上は事務所の為に活用しろよ。でないとコンクリに詰めて海の底に沈めてやる」
「肝に銘じておくよ、所長殿。君を本気で怒らせるほど僕も身の程知らずじゃない」
数則の言葉の節から感じる本気度は流石の護も無視できなかったのか、素直に頷いた。仲が良いからこそこれで話を終わらせることが出来る。
「しかし、僕だけ責められるのは納得いかないな。この事務所に金がないのはもう一人の問題児の影響も多いのではないか?」
「言うな……あんなんでも貴重過ぎるほど貴重な戦力だ。必要経費だなんて甘いこと言う気はないが、あれはもう『起きるもの』と思っていないと心と懐が持たない……」
「むぅ……」
「はぁ……」
背に腹は代えられないと言うが、お腹と背中がくっついてしまえばもうどっちがどっちでも身の破滅に変わりはない。こうなってくると安易で儲かる話はないかと危険な方向に思考が偏っていく。
事務所内をどんよりとした空気が立ち込めていく――丁度、そんな時だった。
ドンドン、と、事務所のドアから激しくノックする音。
そして子供特有の高く悲痛な声が事務所に響いた。
『助けて! 誰か、お願いしますっ!! 見捨てないで……!!』
しばしの無言と共に、数則は護と目を合わせる。
「どう思う、カズ?」
「雰囲気で分かる。多分、よくある『金にならない依頼』だろうな。それに営業時間外だ」
「では?」
「ああ」
金にならない依頼などにかまけていられるほどこの事務所の財政に余裕はない。
ならば答えは決まっている。
「時間と金より大事なものがあるとすれば、やっぱりそれは人間だと思わないか?」
「それでこそ俺の雇い主だ。さあ、客人を招き入れるとするか」
『プラムなんでも相談事務所』の信条は、たとえ依頼人が文無しだろうが子供だろうが、その人が心の底から困っているなら依頼を受けること。数則は足早に入り口に赴き、ロックを解除して扉を開け放った。
「ようこそ、プラムなんでも相談事務所へ。ご用件をお伺いしよう」
こっそり練習中の営業スマイルを浮かべた俺の眼前に待っていたもの。それは依頼者と思われる女の子――の背後に佇む黒スーツの男が突きつける冷たい銃口だった。
「いやっ……駄目、伏せてぇッ!!」
「……へ?」
「
問答する猶予すら一切なく、黒服はオートマチックの拳銃の引き金を引く。引き絞られるトリガーと振り下ろされる撃鉄がひどく鮮明に見えた。乾いた発砲音と共に飛来した弾丸は――。
「っとぉ危ねぇッ!?」
辛うじて反応が間に合い屈んだ数則の頭部の上を通り抜け、事務所の花瓶を一つ粉々にした。高い壺じゃないが従業員のお気に入りに一つだったのに――と内心でごちつつ、叫ぶ。
「護ッ!!」
「取り敢えず、その拳銃は没収しよう」
「なっ……ガッ!?」
数則の声が聞こえるより前に既に動き出していた護は体術を用い、たった一歩で黒服との間合いを詰めて拳銃を持つ手を掴み取り、容赦のない肘撃ちを襲撃者の腕へ突き刺す。男が痛みに拳銃を取り落とす――ことはなく、逆に近づいてきた護を隠し持ったナイフで刺突しようとする。
「
「マナーのなってないお客様だ」
しかし、それはしようとしただけに終わる。ナイフを抜くか抜かないかの瞬間に、護は死神の鎌のような鋭いフックを男の顎にお見舞いした。拳に脳を揺さぶられた男は、操り糸が切れたようにかくんと力が抜けて失神する。
「う、ぁ……」
「ふん、素人が……ナイフを使うなら最初から抜いておけ。尤もそれをしたところで俺に勝てる道理もないがな」
崩れ落ちる男から手早く武器を奪った護は、発砲した拳銃を手袋越しに掴んで眉をひそめた。
「安全装置もないとは随分と粗悪な拳銃だな。中統連製か? 今時国内の暴力団でもこんなポンコツは使わないぞ」
「そもそも銃規制が緩和されたこのご時世、国外からわざわざ銃仕入れなくとも国内でもっといいの手に入るだろうに。こいつ海外マフィアか何かか?」
異能犯罪の増加に際し、日本は国民の身を守るために銃規制を緩和した経緯がある。
今では民間警備会社も国のチェックさえ受ければ武器を所持できるし、銃器メーカーもいくつかある。それなりの組織力を持っていれば国内で違法に拳銃を手に入れるのはそこまで困難ではない。尤も、流通している弾丸の7割がゴム・スタン弾なので実弾を手に入れるのは難しいが、それは余談だろう。
ともかく黒服は一旦拘束するとして、この男を警察に突き出す前に済ませなければならないことがある。事務所の外でぺたんと地面にへたりこんで動かない少女に、数則はなるべく優しい笑顔を向ける。
「ひとまず事務所の中においで。そんなところで座っていたらお尻が痛くなってしまうよ、小さな依頼者さん?」
「あ……」
不安げにこちらを見上げる少女は、差し伸べた手をおずおずと、ゆっくり時間をかけて握った。
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