第二部

プロローグ・2

 ランプの火が灯った。


「おはようございます、先生」


「うん、おはよう。今日もいい朝だね」


「相変わらず埃っぽい部屋ですね。せめて換気してください」


 眉間にしわを寄せる。


「そうだね、君が掃除してくれればいいんだ」


「私はいやです」


「相変わらず冷たいなぁ」


「お茶です」


「悪いね。今日はオレンジかな」


 二人で向かい合わせに腰掛け、茶を啜る。


「……さて。以前から話していたラヴェスケープについてなんだけどね」


「……」


 視線だけ投げかける。


「現象の効果が作用した人達。彼、彼女らには、幾つか共通点があったみたいなんだ」


「屋外にいた、なんて言わないですよね」


「うん、それは違うね。どのような形をとっていても、物体は粒子の集まりに過ぎないんだから」


「はい」


「家の中でベッドに隠れたとしても、一切波のたっていない水中に潜ったとしても、いつか光に触れてしまうからね」


「皆何かしらの病気にかかっていた、とか。生活習慣が似通っていた……?」


「うーん、残念。共通点があることは分かったんだけれど、具体的な内容についてはまだ調べ途中なんだ」


「……」


 ランプの灯が揺れる。


「あぁ、待ってくれ、面白いのはここからなんだ」


「なんでしょう」


「そんな不可避の光、君ならどうやって避けるかい?」


「避ける?回避のしようが無いじゃないですか」


「それが出来るんだよ。……未来を予測するんだ」


「はあ。確かに対処法を事前に模索することは出来そうですが、どうやって未来を覗くんです?」


「うん。大人から子供まで、人類の殆どが扱える“法術”さ。一人だけ居たんだ……時間を操る能力を持つ者が」


「……」


「彼女はこれから起こるであろうラヴェスケープに向けて対策を講じた。己が持てる力を余さず使い、一定範囲の土地に術をかける。その空間では時間の流れが極端に遅くなり、結果として、その周辺にいた人々は難を逃れたんだ」


「……でも、それではただ、光が降り注ぐタイミングが後ろへずらされただけではないのですか?」


「そう、彼女の力をもってしても、それが限界だったんだ。だから彼女は、半永久的に……ラヴェスケープの効果が完全に消滅するまで、術を行使し続けることにしたんだ」


 そこまで言うと。まだ茶の入っている陶器を取り上げ、ゆっくり傾けた。卓上に琥珀色の池が形成される。


「わ、何してるんです!?」


「術は彼女を中心に広がっている。だから、彼女はその土地から外に出ることが出来なくなってしまったんだ」


「……後で片付けてくださいね。私はいやです」


「相変わらず冷たいなぁ」


「……そんな訳で、術の名残からか、時代観が今と異なる、ラヴェスケープの被害を全く被っていない不思議な場所があるのを知っているかな?」


 こくりと頷く。


「アステル……時間の止まった街」


「正解!という話さ」


 立ち上がり、布巾を手に戻ってくる。


「今度アステルに出向いてみようかなと思っているんだ。君もどうだい?新しい研究材料が見つかるかもしれないよ」


「……そうですね、ご一緒させて頂きます」


「うん、そう言ってくれると思ったよ。それじゃあ僕は書斎に戻るから、部屋の掃除でもしておいてくれると助かるな。また夕食で会おう」


「……」


 言葉を挟む暇も与えず、廊下の奥へと姿を消した。


 部屋に一つ残された溜息と重なって、微かにつぶやく声が聞こえた気がした。


「……見えるが故に、可能性は閉ざされてしまうものかもしれないね」






「だ~か~ら~!!」

 語気を強めた声が、荒々しく一人の少年に向けられる。


「いやだって言ってるでしょ!何回言われても絶っ対に行かないから!」

「ま、まぁ、一回落ち着いて……ほら、あの人をがっかりさせたくないだろ?」

 そう宥める少年の顔をキッと睨み付け、

「ふん!」

 手近な距離に転がっていた人形を思い切り投げつけてきた。そこから少年は体勢を崩し、尻餅をついた先には更なるぬいぐるみの山。


「うわっ」

 色とりどりの雪崩に飲み込まれて、身動きが取れなくなってしまう。そんな彼の前で少女は仁王立ちし、まくし立てた。


「そうよ、指揮官が帰ってくるの!考えてみなさい、あの人が傷ついてふらふらで帰ってきて、もしあたしがこの場にいなかったら、一体誰があの人を癒してあげられるの?誰が話を聞いてあげられるの?」


 彼女の説教を聞きながら立ち上がり、人形の海をそれぞれの山へと戻してやる。こいつたちもそろそろ整理してやらないと、歩くことすらままならなくなりそうだ。


 軽くため息をつきながら天を仰ぐ。半球型の部屋の天井には一面硝子が張られており、一面の星空が空間を青白く染めていた。主な家具と言えば中央の大きなベッド一つくらいのようなものなのだが、部屋中に濃い赤や緑のカーペットが敷き詰められていたり、極彩色のぬいぐるみの山々が各所に存在するため、窮屈なうえに息苦しさを覚える。


 これがあの人の趣味なのかは分からないが、目の前で仁王立ちしている少女ーーレオナが大事そうに保管(山積み)しているのを見ると、そういう事になるのだろうか。ともかく、彼女が不在の機会を狙って、こっそり処分しておくしかないか。


「……ちょっと……ねえ、聞いてるの?」

 その呼びかけで我に返り、彼女の深紅の瞳が、すぐ近くでこちらをのぞき込んでいるのが見えた。慌てて視線を逸らす。


「あ、あぁ、ごめんね。聞いてたよ」

「ふん。これだから……」

 呟き、少年の周りをぐるぐると歩き出した。


「いい?アドレット。あんたがあたしの側付きになれてるのは、あんたの持ってるその術法のおかげなのよ。それ以上でもそれ以下でもないの」

 彼女の後ろをついていくようにして、山吹色に輝く髪が流れる。


「だから、アドレットがあたしに指図するなんてこと、許されるわけないんだからね。あんたはただあたしの言うことを聞いてればいいの。分かったかしら?」

 全くもってその通りなのだ。アドレットはただ頷くことしか出来なかった。

「…………うん。分かったよ」


 しかし、その返事を聞く素振りも見せず、少女はパッと顔を輝かせたかと思うと、そのまま部屋を飛び出していってしまった。


「帰ってきたわ!」


 厚い扉の向こうから、楽し気な話し声がきこえてくる。少年は再びため息をつくと部屋の掃除に取り掛かった。いつもこうなのだ。彼女はアドレットのいう事には聞く耳を持たないし、自分中心の言動で彼を困らせる。しかしレオナの言い分は最もである。アドレットは、元々王宮なんかに出入りのできる身分ではない。ただの下級貴族の使用人として生きていた彼を、どういう星の巡りあわせか、彼女の愛する指揮官に拾われて偶然少女の側付きとして仕えることになっていた。だからアドレットはレオナに従うことしかできない。そんな自分に落胆している自分と、それを受け入れてしまっている自分とがいて……


「はあ……」

 何度目かのため息をつくと同時に、背後の扉が勢いよく開かれた。


「アドレット!」

「わっ、急に大声出すなよ……」

「いいから、ちょっとこっち見なさい」


 そう言いつつ、ツカツカと歩み寄ってくる。やがてお互いの鼻が触れるのではないか、というほどの至近距離まで顔を近づけ……


「……!」

 その桜色の唇を、少年の唇へと重ね合わせた。


「ん……」

 触れた部分を通して、彼女の身体に変化が起こっていることが、アドレットにも鮮明に伝わる。

 何度体験しても、一向に慣れることのないこの感覚。


 やがて離れた唇をぺろりと舐めると、レオナは可憐な少女に似つかわしくない、獰猛な笑みを浮かべたのだった。


「じゃあね。行ってくるわ」

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