29・真意と嘘と

「ようやく見つけた……私の愛しのお方」


 二人の足が止まり、握る手に力が込められる。

 一体どういう事だ?いや、彼女の言い方から察するに、導き出される答えはこれしか無いのだろうが……


 次の瞬間、主賓席から爆音が轟き、広間玄関から剣を抜いて大量の兵がなだれ込んできた。


「おいあんた、これは……!」

「ふふ、今まで長かったでしょう。苦しかったでしょう。辛かったでしょう。でも安心なさって。これからは私が……」


 その言葉と共に、彼女の歪められた唇が近づく。と、


「……っ!」

「アスタ離れて!逃げてぇ!」


 ノエルの顔目掛けてグラスから酒がぶちまけられた。同時に手を振りほどき、必死の形相でこちらに駆け寄るエリスの元へと走った。


「アスタ……あの」

「教えてくれ。一体何がどうなってるんだ……?」


 俺がリアーナの前皇帝?そんな馬鹿な話があってたまるか。


「俺は記憶を無くして行き倒れていたところをお前に助けられたんだろう?お前なら何か……」


 それじゃあこいつは?俺もこの少女も、普段なら皇どころか配下にすら御目通り叶わない、一介の傭兵に過ぎない筈なのだ。


 思考が混乱し、エリスの華奢な両肩を掴んで捲し立てる。当の彼女はこちらをじっと見据えたままだ。やがて静かに、まだ、と口が動かされた。


 一度だけ溜息をついて、素早く背中合わせになる。理由はなんであれ、突然袋の鼠となってしまった事実に変わりは無い。エリスから事情を聞き出すためにも、ここから脱出するのが最優先だ。エリスがドレスの裾を跳ね上げ、太腿に巻いた鞘から短剣を引き抜く。


 こちらの様子を見つめていたノエルの眼が哀しげに伏せられた。すっとその手が挙がり、

「勅命よ。女は捕らえて頂戴、そして陛下をお救いして差し上げて……ですがあの方に指一本でも触れてみなさい、その時は……」


 かなり難易度の高そうな命令に、己がその対象である事を抜きに思わず苦笑が溢れる。


 背後からは炎が迫り、完全に挟まれた格好である。


 漆黒の軍衣を身につけた兵が押し寄せてきた。いつかの平野で剣を交えた者達とさほどの差は無いだろうが、外に待機しているはずの者を足せば、数はあの時の数倍は居ると思われる。だが彼女はそれにも臆する事なく、繰り出される刃の間をすり抜け、果敢に応戦した。


 俺も念の為にと懐に忍ばせていた投げナイフをありったけ投擲し、その援護に回る。

 しかし数の差は歴然だ。このままでは逃げる事すらままならない……何処かに活路を探さなくては。


 背後から声が投げかけられた。


「どうして……?信じてくれないのですか?私はこんなにも……」


「どうしても何も、無理があるだろう!ましてや見ず知らずの人間に、」

「しかし陛下はついて行かれたのですよ?面識の無い女に誑かされて……それなのに私の言う事は聞いて頂けないのですか?」


 返答に詰まる。だが彼女は命の恩人だし、彼女について行くしかその時の俺には選択肢が無かったのも事実だ。


 すると。


「アスタ殿!!」


 頭上から凛とした声が響き渡った。聞き覚えのあるこの声はーー

「ホノカか!どうしてここに……!」


 壁沿いに走る階段から綺麗に飛び降りた黒髪の少女は周囲の兵を蹴散らすと、こちらへ向けて駆けてきた。だが俺の質問を遮るように周囲に視線を飛ばすと、渦中で奮闘しているエリス目掛けて猛然と突っ込んでいった。助けにきてくれたのかと抱いた淡い期待は呆気なく消えてしまった。


「っく、待て……!」

 慌てて後を追い、黒い壁へと攻撃を仕掛ける。加えて、これまでの流れからして、ホノカがこの場にいるという事は当然あの男もいると予想されるわけで……


「お前達、陛下を連れ戻して!」

 俺達の後方で皇女が手を振りかざし、傍に控えていた分隊を向かわせようとする。


 俺まで敵陣に突っ込むのは悪手だったか。更に分厚い囲まれて身動きが取れなくなってしまう、と踵を返したその時、


 ドカカカッ!と、天から降り注いだ鈍色の光が連中をその場に叩き伏せ、縫い付けのだ。


 次いで、白銀の鎧に包まれた巨体が、軽い地響きを起こして俺とノエルの間に立ちはだかった。

 再び剛弓に矢を番えながら、例の如くざらざらした低音が兜の中から響く。


「あれは我等の獲物だ。貴様ら程度の負け犬に喰わせる餌では無い」

「へえ、貴方達ハピルから遥々いらしたのね。けれども、あれは私の手で殺さなければ……復讐を果たす事は出来ないの。お引き取り願えるかしら」


「私怨であろう。こちらには無関係な話だ」

「あら、それは貴方もなのでしょう?……話にならないわ。分隊、陛下をこちらに」


 もう一度出された合図で、敵が偉丈夫の横を通り過ぎこちらへ迫ってきた。やはりこの男にとって重要なのはエリスのみで、俺の事は眼中にも無いらしい。自分の身は自分で守るしかない。広間中を駆け回り、どうにかして兵の塊をホノカの所へとぶつけてやろうと試みる。


 次第に火の手が広がってきた中、広間奥に残されたノエルと白鎧が対峙しているのが微かに確認できた。彼女も自ら戦えるのだろうか?


「ってそんな気にしてる場合じゃないだろっ!……ホノカ!」

 どうにか彼女を発見し、全力で走りこむ。そのまま床を滑って兵の脚の間を抜け、エリスと隣り合わせになることに成功した。


「アスタ!」

「よし、切り抜けるぞ!」


 俺が現れたことで彼らの手がぴたりと止まった。今が好機と、二人がかりで兵達を次々になぎ倒して道を作ろうとする。すると、「うおっ……!」突如として足元から閃光が迸り、敵もろとも巻き込んで炸裂した。何とか飛び退き、窮地を脱する。


「術士か……!」


 恐らく術法での攻撃を専門とした術士隊がどこかに潜んでいるのだろう。己の精神をカタチとして繰り出す為、術法の形式は十人十色だ。隊中にどの様な輩が居るのかは見当もつかない。だが今の一撃は味方にも予想外だったのか、あちこちから非難や罵倒の声が飛び交っている。俺がエリスの傍にいれば下手に手出しはしてこないだろうと踏んでいたのだが……


「どうしよ、アスタ……」

 少女が不安そうにこちらを見つめる。武器による間接攻撃は予測出来ていたのだが、今更どうする事も出来ない。俺は彼女の頬に手を添え、


「何も変わんねえ、正面突破するしかないだろ!」

 唇同士を重ね合わせた。その意図を察したエリスはされるがままになる。全神経を集中させて、彼女の全身に力を送り込む。眼に見えて闘気が溢れ出す。


 そして俺達は一本の矢の如く、敵の壁へと二度目の突破を敢行した。


 攻めるか否か、未だに尻込みしている彼らを斬り、殴り倒して突き進む。エリスが前衛となって、彼女が討ち漏らした者を俺の投擲で射止める。術士達はもはや見境なく、こちらを仕留める事に全力を注いでいるらしい。上空に炎球が弧を描き、影や木の根が辺りの敵を呑み込む。


「あとちょっと……!」


 エリスが息急き切って叫んだ。前方に塞がっていた肉壁は半分以下までに切り裂かれ、僅かに開いた正面扉から宵闇が顔を覗かせていた。

「このまま行くぞ!」

 叫び返した直後、


「アスタ殿!!」

 悲鳴とも雄叫びとも取れない呼び声が耳に届いた。はっと我に返り、床が大きく揺れている事に気づく。「なん……!?」「止まっちゃだめ、走って!」と、今度は別の方向から誰かが叫ぶ。


「上だ!逃げろぉ!」


 つられて天を仰ぐ。何者の仕業か、華美な模様の描かれた天井に亀裂が入り、瓦礫となって崩落する直前であった。


 広間は瞬時に混乱した。玄関に押し寄せる者達、這いずり回って逃げ場を求める者、呆然と頭を上げ続ける者。


「アスタ!私達も早くしなきゃ!」

 彼女が髪を振り乱して俺の腕を引っ張る。だが先程俺の名前を叫んだ声が引っかかる。混沌とした広間を見渡し……


「……」「だめ、急いで!」「……先に逃げてろ、すぐに追いつく!」


 エリスを無理やり頷かせ、ぼろ切れのように蹲っているホノカの元へと疾駆した。


 天井からは大小様々な岩石が落下してくる。当たれば重症、打ち所が悪ければ即死だ。

「間に合え……っ!」


 あと少し……!互いに、必死に手を伸ばす。やがて指先が触れーー


 彼女に覆い被さった瞬間、無数の塊が俺達に降りかかった。余りの衝撃と痛みに意識が飛びかける。


 どれだけ時間が経ったのか……数時間?或いは数秒の出来事だったのかもしれない。奇跡的に落下からの直撃だけは免れたらしい。どうにか瓦礫をどかし、ホノカを外に押し出す。丁度そこで身体が言う事を聞かなくなってしまった。限界だった。


「アスタ殿、何故……」ふらふら立ち上がった少女が問うてくる。声がきちんと出せるか怪しいところだが、息を胸いっぱいに吸い込んだ。激痛と一緒に血の味が広がる。


「呼んだのはそっちだろうに……さて、助けてやった分、俺の言う事を……聞いてもらうぞ」


 俺を救出しようと岩に掛けていた手が止まった。


「因縁があるんだろうが、エリスには、もう手を出すな……あんたの上司さんにも伝えておけ。それと……あいつが無事に、ここから逃げられるように……協力してやってくれ」

「…………相分かった」


 逡巡した末、噛みしめるようにそれだけ言う。直後、「アスタああぁっ!」エリスが躓きながらもこちらに走ってくると、そのまま即座にホノカに飛びかかっていった。


「ぬ……!」

「お前が!!お前のせいでアスタが……!」

 脇目も振らずに短剣を振るう少女に向かって言う。


「待て!そいつはもう敵じゃない!」

「え……?」


「とにかく、もう大丈夫なんだ。……早く一緒に逃げろ!」

 俺の言葉に首を振る。


「いや!」

「いやって……そんな事言ってる場合じゃ、」

「いやなの、キミがいないと……キミが……私は。キミの保護者なんだから……」


 鼻声でそう言い、瓦礫を掘り返そうとする。その必死さに、ホノカもただ立ち尽くすしか出来ないでいた。既に火の手も広まり、俺達のいる大扉付近にも火の粉が舞い始めていた。


 新たな事象が襲いかかってきたのはその時だった。


 金属質で異質な音が、広間に響き渡った。無理矢理に首を動かして、音の発生源に眼を向けると。


 炎に照らされ白銀に輝く鎧から鮮血が飛び散り、その巨躯が崩れ落ちる間際だった。ノエルの手に握られた銃身から煙が上る。すっかり朱に染まった仮面の奥で、両眼が愉快そうに細められた。


「っ…………貴様あぁぁ!!」

 怒号を発し、ホノカが地を蹴った。


「あっははぁ!陛下、もう少しの辛抱ですわ……今連れ戻して差し上げますからね」

 放たれた銃弾を刀を立てて弾き飛ばし、神速の刃を幾太刀も浴びせかけた。しかし皇女はそれをまるで嘲笑うかのように躱し、彼女の脇をすり抜けようとする。


「何を惚けている!急げ!」


 一瞬だけ背後に目をやり、ホノカが言い放った。「言われなくたって……!」エリスにかけた術は効果を保っているらしく、彼女は俺を押し潰している瓦礫を撤去していく。


 漸く人ひとり通れる程の穴が開いた。彼女が動けない俺を引っ張り出し、あとは逃げ切るのみとなる。


「ごめんね……私のせいで、こんな……」


 その小さな背中でしっかりおぶる事は出来ず、半ば引きずられる形になってしまう。しかし覚束ない足取りではあるが、襲ってくる敵兵も既にいないようであった。


「あらあら、何処にも行かせませんわ。直ぐに其方に……」

「このっ……、貴様の相手は私だ!」


 背後で銃声と金属音が交錯する。ホノカが食い止めてくれている内に遠くへ逃れなくては。


「大丈夫だ、俺も歩ける……」

「キミは休んでて!私には、君を拾った責任があるんだから……」


 そして俺達は瓦礫と焔が覆い尽くす邸宅から脱出し、星空の広がる世界へと踏み出した。

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