28・ラヴェスケープ.3

「大きくなった私には、お祈りを捧げる理由が、更に二つ出来ました」

 再び引かれた幕の裏。ぽつんと佇み、宙を見つめる影があった。


「一つ……祖国リアーナが、隣国のハピルへ侵攻を始めたのです。実質的な指揮権を握っていたお父様は、我が家に帰れません。無力な私には、何時ものように祈る事しか出来ませんでした」


「一つ……皇子様に惚れ込んでいた私は、いつの日か、あのお方と結ばれる事を夢見ていました」


 両手を胸の前で握りあわせる。


「数度見舞いに訪れて頂けた程度で……と思われるのは無理ないことでしょう。しかし生まれついて病床に着いていた私の目には、あの方は神からの遣いの如く映りました。私に生きる意味を与えて下さった方なのです」


 表情が陰る。


「どれだけ時が流れても、神は私の祈りに応えてはくれませんでした。お願い事が多過ぎたのでしょうか。自ら行動を示さない私に嫌気がさしたのかもしれません。もう諦めようか……弱り切っていた私はそう考えました。ですが、それは唐突に起こりました」


「久し振りに庭に出て、神像にてを合わせていた私は、ある事に気がつきました」


「空が、天が揺らめいたのです。当然、目を疑いました……遥か遠くの青が七色に変化し、波となって押し寄せてきました。街を虹が飲み込み、降り注ぐ光が私にも降りかかりました」


 笑みが浮かぶ。


「私の祈りが届いたのだ……そう確信しました。身体中に力が溢れ、病が癒えていくのを感じましたもの」


「残念ながら、叶わなかった願いもありました」


「父は……我が国は戦争に勝つことは出来ませんでした。ラヴェスケープによって、国は闇に呑まれてしまいました」


「そしてもう一つ。愛するお方……皇子様が姿を消してしまったのです。ハピルの仕業に違いないと、直ぐに勘づきました」


「三日三晩悲しみに暮れ、私は決心しました」


「必ずや張本人を見つけ出して復讐し、皇子様を取り戻そう。彼が帰ってきた暁には、この想いを打ち明けて一つになろうと……」


「光を浴び、神にも等しい肉体を手に入れた私は、術法を駆使し、父や数多の国家権力者の記憶を繰り、様々な策を弄し、遂にはこの国の頂点へと登りつめました。肉親を術にかけ、罪無き民を乱暴に扱う事は、途方もない苦痛となって私を苦しめました」


「ですがその程度、あのお方を失い続ける事に比べればどうという事もありません。力と憎しみ、そして愛が、私を突き動かしていました」


「今やその願いが届く時も近い……さあ、長かった悲劇は、自らの手で終幕としましょう」




 軽快な三拍子の調子に合わせて、ぎこちなく足を運ぶ。そんな俺の様子に気づき、エリスはくすりと笑った。


「あんまり足元見てるとかっこ悪いよ?」

「うるせえ、これでも頑張ってるんだ」

「あはは……ほら、曲に集中して、流れに身をまかせるだけでいいの」


 ふむと頷いて、流れ来る旋律に耳を澄ませる。ひとまず形式は思考外に放り出して身体を動かしていくと、自然と気持ちがついていく様な気がした。


 相棒と呼吸を揃え、身体の向きを入れ替える。


「おっ、ちょっとかっこ良いんじゃない?」


 うむ……これは中々悪くないかも知れない。試した事のない動きもーー全て初体験なのだがーー上手い具合に成功した。エリスがひらりと回転し、それを追うようにドレスの裾が翻る。楽隊の奏でるテンポが徐々に速くなるが、それさえもどこか気持ち良いものだ。


「キミはさ」

「ん?」

 不意にエリスが呟いた。


「キミはさ、自分がどこの誰で……何で拾われたのかとか。知りたくないの?」

「どうした、藪から棒に」


「だって……そりゃ最初は、色々質問攻めにされたよ?世界の事とか、国とか、私の事とか。でも、」

 その事か。確かに彼女に話したことは無かったな。


「知りたくなかった、って言ったら嘘になるよな……」

「じゃあ、どうして?」


「単純に、過去を知るのが怖いから……だ。もし記憶をなくす前の自分が大罪人だったら嫌だろ」

「ふうん?君に限ってそんなこと……」


「それに、態々知る必要も無かったしな」

 不思議そうにこちらを見つめる。足運びを乱さないよう注意を払いながら、言葉を紡ぐ。


「現状にに満足出来てたんだよ。あまり調子の良いことは言わないが……俺を見つけてくれて感謝してるぞ」

「……なになに、口説いてるの?」


 驚いたように一瞬だけ眼を開いたが、すぐに悪戯っぽい笑みに変わった。

「く……人が折角……いっっづ!」


 言葉を返そうとした途端、左足の指先に激痛が走った。突然の出来事に思わず声が出る。


「あっ、ご、ごめん!痛かった……?」

 俺の靴の上から見事に刺さったヒールを退かしながら気まずそうに尋ねてきた。


「つつ、死ぬかと思った。もう踊れない……」「ほんとにごめんってば……それで、ええとね、アスタ?」「便所か?それなら階段脇の……」「最低!……とにかく、ちょっと待ってて」


 逃げたのか俺の足に気を遣ったのか、彼女はそう言い残してつかつかと歩いて行ってしまった。


 一人取り残された俺は広間隅に放置されていた椅子に腰を落ち着かせた。一先ず負傷部位の養生を優先するべきである。黄金の空間を華麗に舞い、或いは和やかに談笑する色とりどりの人々を眺めてグラスを傾けていると、ふと横に一人の影が並んだ。


「ん、帰ってきたのか……って」

 椅子を回してそこまで言いかけると、その人……銀髪の女性がすらりとした手を差し出した。


「あら、相方様はどちらへ?」

「少し用事だとさ。まあ、すぐ戻るだろうしな」


「そうなのですね。でしたら、ひとつご一緒に如何でしょう?貴方程の殿方が一人で過ごすなんて、勿体無いですわ」


 おおー……と、いつの間にやらこちらのやり取りを遠巻きにしていた男性陣が羨望の眼差しを向けてくる。中には指笛を鳴らす者までいる始末だ。その様子に若干苦笑いして、俺はその手を取った。


「そうだな、お願いしても大丈夫か」

「お誘いしたのは私ですもの。さあ、行きましょうか」


 皇女様がドレスの裾を摘んで会釈すると、自然と広間の中心が先程よりも空けられる。エリスが戻ってきたらまた何か言われそうだなと考えつつ、曲を変えた楽隊の演奏に耳を澄ませた。


 流石一国の主とでも言うべきなのだろうか。ノエルは周りの連中よりも飛び抜けた優雅な踊りを見せつけ、言葉にはせずとも、こういう事に不慣れな俺を丁寧に先導してくれているのが分かる。これならば指を踏まれる心配も無い。


 ノエルが言った。


「アスタ様、今宵は踊り明かして、どうかこんな私をお許し下さいませ」

「急にどうしたんだ?べつにあんたから何かされた覚えは無いのだが……」


 彼女はかぶりを振り、こちらを見据える。


「恐らく、この国の現状は把握していらっしゃるのでしょう?恥を忍んで申しますが……私は所詮、紛い物のお飾り。不安と混乱の渦から我らが抜け出すためには、一度民を見放すしか無かったのです」


 急な話題転換に脳を追いつかせる。彼女は見放したなどと言ったが、単に国民より、御国中枢の復興を優先したというだけでは無いだろうか。皇子失踪の事実が広まってしまったのならば、民の士気信頼はがた落ち。加えてラヴェスケープというお伽話紛いの現象だ。全体を立て直すのは難しいか。


「一刻も早く復興を完了したいのは山々です。しかし国の支えとなっている者達の、いわばご機嫌伺いも行わねばならず……こんな宴に招かれたことを不愉快に思っていらっしゃるのではと……」


 そういう事か。しかし余所者の俺が意見するなんて余りにも恐れ多い。


「いや、あんたは良くやってると思うぞ。国の再興を念頭に動いているのは理解出来るし……早い所、その皇子様が見つかると良いんだろうけども……何かあては無いのか?」


 言葉を選んだつもりではあったが、やはりどうしても軽くなってしまう。この数年間、特に不自由なく過ごしてきた俺には彼女の辛さは理解し難かった。だがノエルは微笑んで感謝の意を示してくれた。


 気を取り直して、と話題を戻す。

「アスタ様、本当にお上手なのですね。ここまで心地よく舞えるのは何時ぶりかしら……この様なご経験が豊富なのでしょうね」


 先刻エリスに尋ねたことと同じ質問をされる。


「それがからっきしで……そもそも貴族の邸宅に招かれるのも人生初なんだ」

「あら。本当にそうなのかしら?」


 不意に、和かに返してくる彼女の瞳の中に、何やら歪なものを見た気がした。


「貴方はあの女と出会う以前は何処で何をしていたの?何故記憶が無いの?彼女が何者なのか、真剣に考えたことはあるの?」


「何が言いたいんだ……?あんたは、」


「先程の問いに答えて差し上げましょう。あのお方を探すあては有るのか……えぇ、既に目星はついておりますわ。四年前……ハピルの薄汚いこそ泥が連れ去り、私が涙を枯らして捜し求めた愛しのお方……やっと、やっと逢えたのです」


「お帰りなさいませ、アスタ・ブルームーン陛下」

 次の瞬間、上階から爆炎が押し寄せ、舞踏会場は火の海と化した。

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