27・宴の始まり

 時刻は夜半を回ろうとしていた。


 だだっ広い中央通りを横に逸れ、左右には上流階級の人間達の豪奢な邸宅が建ち並ぶ。そこから漏れ出る灯りや街灯によって暖色に包まれた風景は、そう言った類のものには縁がない俺にも粋に感じられる。その中でも一際輝く、小さな城とでも呼ぶべき建物が今宵の会場だ。


 会場へと伸びる石段の麓で相方を待つこと半刻。黒の正装に身を包み、頑張って良い感じに髪を固めた俺は、今晩数度目のため息を小さく吐いた。


「ちょいと長いな……」

 確かにここで待っていろと言われた筈だ。女の身支度は我ら漢の数倍長いのは承知しているつもりなのだが……もしや。


「お互いに見逃したんじゃないよな……」


 沸々と湧き上がってくる不安を抑えて通りを見渡す。次いで顔面に装着してある仮面に手を触れた。こいつのせいで気づかれなかった可能性は……まず無いか。


 加えて、俺にはエリスと思しき人物を特定できる自信がある。


 彼女は多分都会慣れしていないのだ。傭兵として働く中で、城下や帝都に足を踏み入れた事がないと言えば嘘になるが、それについては除外して良い。少なくともこの数年間、彼女が諸用で大都会を目指したところを俺は見ていない。


 俺を拾ってくれる以前の事は殆ど知らないわけだが。今度、思い切って根掘り葉掘り尋ねてみるのも良いかもしれない。


 そうこうしている内に、往来する人の数が増えてきた。俺の横にある階段を登る紳士淑女の皆様は、艶やかなドレスや派手な仮装衣装などを着こなし、優雅に通り過ぎていく。特に際立っているのが、やはりその仮面だ。色とりどりの羽や装飾で飾り付けされており、目元のみを隠すものもあれば、頭からすっぽりと被り、衣装と相まって、もはや着ぐるみ同然の者まで居る。


 そんな方々と時折会釈を交わしたりしながら、めかし込んでくるであろうエリスの姿を想像していると。

「……や。お待たせ」


 不意に背後から呼びかけられた。


「遅いぞ。一体どんだけ待たせ……」

 エリスは少し照れたように手を振った。


 控えめにフリルがあしらわれた、夜空の如く深く透き通った黒のロングドレス。彼女の雪のように白い肌がより一層際立っている。片目を覆う小さな仮面は衣装に併せた艶のある紫と漆黒。


 振り向きながら威勢よく発した文句が急速に尻すぼみになる。それ程までに、相棒の変身した姿は魅惑的だった。


 中々喋らない俺の顔を見つつ、少女が後ろ手に話しかけてくる。


「……ど、どう?」

「その、なんだ。めちゃめちゃ似合ってるからあんまり弄るな。折角着付けたんだろ」

「えへへ」


 ほっとしたとでも言いたげににっこり笑うと、こちらの手を握って会場へ突撃を開始した。


「ほら、行こ!早くしないと始まっちゃうよ」

「待たせたのはどっちだ」


 軽口をたたき合いながら、受付の女に招待状を見せる。そうするだけで、すんなり中へと通された。


 既に大広間では、多くの客が酒のグラスを片手に賑やいでおり、会場の明かりも含めた眩しさに僅かに眼を細める。まるで金で作られたかのような大きなシャンデリアに、微細な彫り込みが眼を引く大理石の広間だ。前方を丸く囲うように伸びる階段に赤や金の絨毯が敷かれ、その更に上には主賓席と思しき座が設けられている。


 辺りを見回しながらエリスが呟く。

「まだ始まってないみたいだね」

「そうだな。主催も顔を見せていないようだし」


 猶予があるとわかると、傍の卓に大量に並べられた豪華な料理達に自ずと視線が向いてしまうのは、人として生きている以上は許して頂きたいところだ。


「先に飯食って待とうぜ」

「もお。何だか雰囲気台無しだなぁ。これから動くんだから、お腹痛くなっても知らないからね?」

「おう。任せとけ」

「ちょーっと答えがずれてるんだよね」


 普段なら会話する機会ももらえない貴人達の間を通り抜けて、丹精込めて作られた高級料理に舌鼓をうつ。すると、こちらに気づいた一人の女性が、数人の談笑の輪を抜けて歩み寄ってきた?


「あら?貴方がたは……」

「……ほら、キミががっつくから不審に見られちゃったんだよ」

「んな訳あるか。……ええと、会うのは、勿論初めてだよな。俺は、」


 俺の言葉をやんわりと制し、その女は優雅にくるりと回って会釈してみせた。

「えぇ、存じ上げております。オーエン様の代理でご出席なされた……」


 輝く銀髪を綺麗に纏め、髪に合わせた薄い青のドレスが、どこか退廃的で美しい女性だった。


「そうなんだが、そんなに畏まらないでくれ。あんたの方が遥かに目上だろうに」

 隣でエリスもこくこく頷く。


 お互いに名乗ろうとしないのは、この宴が仮面舞踏会として開かれているからだ。当然そのような決まりは存在しないはずだが、向こうから尋ねられない限りは名乗ってしまっては無粋だろうか。


 こちらの様子を見て、髪と同じ銀色の仮面の奥で彼女の目が細められた。

「そうですわね、今夜は無礼講ですもの……遠路遥々、大変だったでしょう。先ずはお飲みになって?」


 そう言って、浅黄うすき色の酒が注がれた二人分のグラスを差し出した。それをエリスが、ひょいと二つとも受け取り、一方をこちらに渡そうとする。危なっかしい手つきだ。


「ありがとうございます。まだ飲んでいなかったので……はい、キミも、わわっ!?」


 すると何に躓いたのか、体の向きを変えた拍子に転倒しそうになる。

「おわ、馬鹿!危ないっての」

「あはは……ごめんね?」一旦卓上に置き直し、改めて渡してくれた。


 その光景を微笑ましそうに見つめていた彼女も自分の酒を取ってくると、小さくグラスを掲げてみせた。「では、私達の出逢いを祝してーー」


 俺達もそれに唱和する。「今宵の宴に乾杯」


 軽く打ち鳴らし、揺れる液体を口に運ぶ。


 ……むむう?


 途端、予期せぬ強烈な苦味が口一杯に広がり、思わず顔を顰めそうになった。


「お味は如何かしら。この日の為に特別に開けた逸品なのですよ?」

「そうだな、確かに中々の……」


 エリスもにこにこ笑って返事する。様子を見る限り愛想笑いなのだろう。

 こちらの曖昧な反応をどう受け取ったのか、満足そうに頷くと、もう一度お辞儀をしてこう言う。


「では、私はこれにて。後ほどご一緒させて貰おうかしら」

 くるりと踵を返し、優雅に去っていった。


「さっき“この日の為に開けた”って言ってたよな?」

「ううんと、そうだっけか?苦味で忘れちゃった……」

 俺をみて困ったように笑う。


 やがて、賑わっていた場内がゆっくりと静まっていった。皆一様に主賓席を見上げる。ようやく主催者のお出ましらしい。奥に引かれていた幕が左右に割れ、従者を引き連れた人影が前に進み出た。エリスが驚きの声を上げた。


「あの人……」

「さっき言ってたろ。あの人が酒やら何やら用意していた口振りだったからな」

「成る程、そういうこと……」


 合点がいったと一人頷く。銀髪の女はそこから俺達を睥睨すると、両の手を広げて話し始めた。


「招待致しました皆様、良くぞお越し下さいました。既にご存知でしょうけども……この場を借りて、改めて名乗らせて頂きますわ。私がーー」


 その後に続いた言葉に、俺は眼を見開いた。

「リアーナ女皇……ノエル・デア・ザルフェダートです」


 会場が一息に沸き立った。「ノエル様、万歳!」「こちらこそ、お招きにあずかり感涙の極みですぞ!」とあちらこちらから歓声が上がる。言葉遣いや端々から滲み出る品の良さから、そこいらの令嬢などでは無いだろうと考えてはいたが、まさか自分が隣国の女帝と酒を交わしていたとは夢にも思わなかった。横では、エリスが同じく呆気にとられた面持ちで主賓を見上げていた。


「形式ばった口上は、今宵の空気に相応しくありませんわ。挨拶はこのくらいにして、熱が冷める前に……」幕が更に大きく引かれ、上階の左右に楽隊が現れる。


「さあ、存分に踊り明かしましょう」


 その声を合図に、酒や料理の乗った卓が片付けられた。人々は互いに手を取り合い、舞踏曲が軽やかに、広間を満たしていく。


 淡い金の髪の少女は、可愛らしく会釈をすると、こちらに手を差し伸べた。


「さ、アスタ。頑張って」

「む……」


 少々不本意ではあるが、その手を取り、他の組とぶつからない程度まで距離をあける。


「ちょっと聞きたかったんだが」「どうしたの?」

「……もしやこう言う経験が割とあったりするのか?」


 一瞬だけ考える素振りを見せて、彼女は首を横に振った。

「ううん。だけどね、楽しみたいじゃない。……折角ここまで来たんだから……」

 そう独りごち、良くわからない表情をする。


「はい、それじゃ私に合わせてみてね?おしゃべりは踊りながらでも可能です」

 まあ、彼女の言う通りである。ここでうだうだ言ってももう手遅れだ。


 エドワード達の馬車の上で密かに勉強していた知識を必死にり合わせつつ、俺はエリスともう片方の手を取り合った。

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