25・黒い国
「あの……お二人とも、起きて下さい……」
遠慮がちな声が耳に届く。
肩を揺すられて目を覚ました。隣ではエリスが寝惚け眼を擦っている。
「ん……なんだ……って、やべぇ」
慌てて周囲をキョロキョロと見回した。どうやら、見張りの番に出てそのまま眠りこけてしまっていたようだ。思わぬ醜態を晒したことに申し訳なさを感じつつ、こちらを見上げるエドワードに向き直った。
「なんと言うか、済まなかった……今どのくらいだ?」
「大体、夜明け前辺りかと……」
彼らとの交代の時間になってもそのまま寝かせてくれていたらしい。追加で謝罪を述べると、焚火の跡を消したキースが立ち上がった。それを見て道化も腰をあげる。
「そろそろ出発しましょうか。日が高くなる頃には検問を越えたいですねぇ」
手早く荷物を纏め、馬を歩かせる。先のお礼にと俺が手綱を握り、二人には中で休んでいてもらうことにした。ついでに未だねぼすけ状態のエリスも車に放り込む。苦笑い気味のキースに介抱される姿を覗きながら馬を進めていく。
数時間もすると渓谷を抜け、脇を走っていた崖の上に出た。そこから街道に入ると、後は真っ直ぐ進むだけとなる。
いつの間にやら俺の横に座っていたエドワードに声をかける。
「国に入るのがちょっとばかり難しいんだったか。別段怪しいものは持ち込んでいないつもりだが、大丈夫なのか?……色々と」
「えぇ、ご心配無く。手形などはこちらで準備しますし、お嬢様の家は顔がお広いですから」
「それもそうか……なら、そちらに任せてしまう形でも良いか?」
こちらを見てニコリと笑う。
「お任せください。元より、依頼している我々の仕事ですから」
日が昇るにつれて、道行く商人の群れや馬車の数が増えてきた。とは言っても、これからリアーナへと向かおうとしているのは俺たちくらいなものである。
気力復活したエリスが、頭を長い髪ごと窓から覗かせた。
「なんだか、出て行く人たちがやたらと多いみたいだけど……」
「移民や、出稼ぎに出て行く者の跡がたたないのです……“あそこ”では、日々の暮らしを支えていく事は難しいですから」
「……よっぽど酷いみたいだな」
道化の帽子が横に振られる。
「ところが、必ずしもそうという訳では無いのです。お嬢様のような位のお高い方々や軍に所属する民に対する待遇は、むしろ戦争以前よりも良くなっているとも思えまして……」
「凄まじい貧富の差が形成されているんだな」
何にせよ上を回せば充分な政治体制なのだろう。そんな事では、次に何処からか攻められてしまえばお終いな気もするが……
こちらの考えを読んだ彼が言う。
「他所の国は、ラヴェスケープの光を浴びる事を恐れているのだと思います」
「光を……ねぇ」
話をする内に大分近づいてきた国を見やる。
「リアーナは、あの光を受けてからおかしくなってしまったのですから。浴びたら最後、どうなってしまうやら、誰にも分からない……ハピルの民は“あれ”に救われました。ですが、我々からしてみるとラヴェスケープは絶望を運ぶ光です。……おっと」
不意にこちらをちらと見、咳払いする。
「別に気にして無いさ。……だろ?」
「え?……あ、ん、うん」
俺が振り返ると彼女も頷いた。
「とにかく、今まで何十年と姿を現さなかった現象が起きたとなれば、何処も警戒するのは必至だもんな」
その言葉に彼が同意する。
「そうですね……私が死ぬまでは、当分遠慮願いたいものです」
そうこう話すうちに脇に連なっていた木々が途切れ、リアーナの街が一望できるようになった。その光景に思わず息を飲む。
国の中心にある、長大な円形の城壁を取り囲むように、雑多に建物が乱立している。細い路地が幾重にも織り合い、建材は布や板を拾って寄せ集めたかのようなものが殆どだ。
そして城壁内部。中央には天を衝く程巨大な漆黒の城が聳え、それを取り囲むようにして、邸宅やら商店やらが存在していた。どれも金銀輝く絢爛な装飾が施されており、そのあからさまな内外の差が、国の状態をはっきりと見せてくれていた。
エドワードが眼を細める。
「まあ、見ての通りです。頭領が交易商をお立上げになられたのも納得します……さて」
視線を前に戻す。大きな城門と、兵達が詰める小屋が近づいてきた。すると、窓の外に身を乗り出していたエリスが懐をまさぐり、スカーフとマントを渡してきた。一応、腰に吊るした愛剣の感触を確かめ、それらを身につけた。
「……どうかしたか?」
こちらを見つめていた道化に尋ねる。
「……いえ、確かにその方が良いかもしれませんね」
「おっと……」
暇そうに立ち話していた兵が馬車に駆け寄ってきた。
「止まれ!積荷と手形を改めさせてもらおう」
エドワードは車から降りて彼らに歩み寄る。そして何やら印のようなものを取り出し、彼らに見せた。
「お久しぶりございます、私どもは……」
兵達の胡散臭そうだった表情が一変する。
「これはこれは。先の無礼、お許しを」
「いえいえ、お気になさらず。少々急ぎのようでして、早く頭領の元へと向かいたいのですが……」
兵の一人がううむ、と唸る。「そう申されましてもですな……私達も仕事ですので。なるべく手短に確認しましょう」
すると、説得するのは難しいと判断したのか、赤白のズボンのポケットに一瞬手を突っ込み、お辞儀しながら差し出した。
「……一先ず今日のところは、これで……」
僅かに頬を緩めながら、その手を握り返した。
「む……そうですな、特に問題はありますまい。……門を開けろ!」
エドワードが車に戻り、一行が門から入ると、物々しい音を立てて再び閉められる。
「兵隊さんの中には貧民街の出の方々も多いですから……」
「なるほどな……」
そのまま道なりに馬を進め、貧民街を抜けていく。勿論道の舗装などはされておらず、車の中ではキース達が尻に毛布を敷いているのが見られた。
「なあ、こっちにも放ってくれないか。まだ何枚かあったろ」
「えー。キミがこっちに来れば良いんじゃない?」
丁重に招待を断っておく。
街は、想像していたよりも人口が多い印象だった。この環境下でも人々の息遣いをしっかりと感じられた。ただ単にここから出て行く術を持っていないだけかもしれないが。
ふと、車の屋根からカツンと音が聞こえた。
「アスタ様、少々中へ」
隣で馬を操っていた彼に促され、窓から中に飛び移った。キョトンとしてこちらを見つめるエリスと顔を見合わせる。耳を澄ませると、子供の喚く声と、それを止めに入る声とが聞こえた。先の音からするに石でも投げられているのだろうか。
キースが申し訳なさそうに言う。
「ごめんなさい、余りお気を悪くなさらず……」
エリスが笑みで返した。
「ううん、謝らないで。えと、なんと言うか……」
「軍事国家と謳われたのも数年前までのことです。城下の復興も、私達なりに尽力しているのですが……」
彼女の表情が曇っていく。こちらも返す言葉を探すが、上手く言えずに沈黙が続いた。
抽象的ではあるが、黒い印象を与えられる街だった。
城壁を潜って大通りを突っ切ると、前方に大きな屋敷が現れた。どうやらあそこがキース達の住まう邸宅のようだ。道化が守衛に向かって手を挙げると、それだけで敷地内へと通される。
「アスタ、それ、つけたまんまにしててね?」
不意に声をかけられ彼女をみると、俺のものと同じ布で口元を隠していた。
「流石にそれは失礼だろ」
「でもでも、こっちは招待されてる側だし、その、疫病とか……とにかく、そのままね」
それで納得しろというのは難しい話だが、とりあえず言いつけは守る事にする。キースに中へと案内され、応接間に通される。
剥製や絵画が一面に取り付けられたその部屋でいくらか待つと、恰幅の良い壮年の男が顔を見せた。彼女の父親だと名乗った男と握手を交わし、娘を助けた礼を述べられ、顔に巻いたスカーフを笑われながら、本題に移る。中々に陽気な人物だった。
一通り話し終えると、休む間もなく目的の蔵のある所へと向かう。今夜は大事な商談があるため、大半の衛兵をそちらに回しているのだそうだ。その代わりとして、一晩だけ見張りを頼みたい、という話だった。
「では、明朝迎えを寄越しますので……どうかよろしくお願いします」
そう頭を下げるエドワードと別れ、他の守衛達と挨拶を交わす。彼らと緊急時の手筈を打ち合わせてから持ち場についた。
俺達が見張る蔵は、他のものに比べると一回り大きい様子だ。ふうと一息つき、誰にともなくぼやいた。
「さて、何をして暇潰しするかだな」「む、真面目に見張らなきゃダメだよ」
西日で橙色に染まる空を見上げながら、エリスが言った。
「でも、一晩立ってるだけであの額だもんね。なんだか……」
「ちょっと待った。確か前にも似たような話をしたような記憶が……」
「んー?そうだっけ?全然覚えてないや」
「別に良いんだが……」
何か引っかかるものを感じるが、今更気にしても詮無いことだろう。
他愛ない話で盛り上がりながら更に数時間後。
おかしな言い方になるが、俺の予想通りに、予想外の事が起こった。
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