15・常冬の大地
ランザッドに近づくにつれてまず目についたのは「雪」だ。
数日前に出航したニルグレスとは相当な距離があるため別に不思議ではないのだが、それにしたって気温の低下が早すぎる。
「……くしゅんっ!」
船室のベッドに腰掛けていたエリスが小さくくしゃみをした。
「ちょっと寒くなってきたね……だいぶ厚着してきたつもりなんだけど」
そう言いながら洟をすするのにつられて、俺も腕をさする。
白鎧の大男との戦闘から数時間。嵐は去り、あと少しで港に到着する予定になっていた。この部屋の壁には巨体が突っ込んだ際の大穴が空いており、そこから吹き込む風が俺達を冷却し続けていた。
「向こうに着いたらさっさと宿に……と思ってたんだが」
「思ってたんだけど?」
「そういや、その秘境って大体どの辺にあるんだ?場合によっては自分らで新しく宿を探すことになるが」
大丈夫だよと彼女が笑う。
「温泉地のある『アルマ』はヨモルのすぐ近くの筈だから」
「そりゃ助かる」
「ん、頑張ればエドワードさんの用意してくれた宿から日帰りできるくらいの距離だよ」
「頑張ればね……」
俺が苦笑すると慌てて補足してきた。
「あ、徒歩での話だから。早馬なら本当にすぐだからね」
「ふうむ。まあ様子を見つつだな」
俺も手持ちの都合上余計な宿代を出すのは避けたいが、それだと中々に慌しい日程になりそうだ。最悪帰路で湯冷めして仕事前に風邪を引く。
「や、待て。お前出航する時、その辺は任せてって言ってたよな」
「むっ」
「仕事まで三日空くんだろ?やっぱりアルマにも宿はとるぞ」
「……わかったー」
余計な事を口走ってしまったといった感じで渋々ながらも承諾してくれた。
そうこうしているうちに乗組員の一人が大穴から顔をみせる。もう着くから準備をしていろとの事だ。同じく穴から甲板にでたエリスが歓声をあげた。
「わぁ!まっしろ!アスター!」
俺もあとに続き、彼女の指差す方向を見る。
「これは、凄いな……」
その光景に息を呑む。ランザッドの地と俺たちの漂う海をいつの間にやら黒雲が覆い、そこから降る雪、積もる雪が陸地を白く照らしている。岸沿いにずらりと設置された街灯からは山吹の光が溢れ、まるで御伽の国の入り口のごとく幻想的である。
すると見惚れるエリスの横に男が並び、教えてくれた。
「綺麗なのは沿岸の国々と『秘境』くらいなものですね……奥に進むほどにたたら場の数が目立ってきます」
「そうなのか」
「はい。ですがヨモルは宿場町としても知られた場所が多いため、そう言った巨大な建造物は比較的少なめですね。コルリア側の方々と地域構造の把握等、しておくと良いかと」
「でも、例の人攫いさん達はどうしてヨモルなんかに?」
さあ、と男が肩をすくめる。
「そこまでは分かりかねますが……」
暫くして、商船もどきは岸につけられ、俺達は数日ぶりに地面の感触を味わった。
船着き場から既に雪が積もっている。背後にかたまっていた乗組員達がこちらに向かって言った。
「さて、私達はこのまま船に留まっております。緊急時に対応が遅れますので……」
「分かった、ここまで世話になったな。てっきり一緒に来るもんだと思ってたが……」
そのうちの一人が進み出てくる。
「宿はこちらになります」
道すがら、男が細かい段取りを伝えてくれた。
「明朝、ヨモルのとある宿に向かってください。例の商団の人達が先に到着して待っているはずですので。そして三日後から……」
サクサクと雪を踏みしめながら道を折れ続け、一軒の古びた宿に辿り着いた。
短い挨拶を交わして男と別れた後、俺達は通された部屋の小さな寝具に身体を投げ込む。お互いの疲労からその夜は特に会話をする事もなく、泥のように眠った。
翌日。
ヨモルのとある宿場町の中、隠れ家のようにひっそりと佇む宿で、俺達は商団の面々と対峙していた。
揃いも揃って悪趣味な格好をし、如何にもイケナイことを生業としていますとでも言いたげな顔だ。その中から頭領と思しき人物が前に進みでる。
「お前らが荷の護衛についてくれる人間か、長旅ご苦労だったぞぉ」
その喋り方にエリスが一瞬だけ顔をしかめた。
「他にも護衛の者が四人、既に着いているぞぉ。顔合わせでもしてくると良い」
そう言って男は奥を指す。
「部屋はあっちだからな、何かあったら呼ぶからな。後は自由にしていいぞぉ」
「分かりました、ではまた」
素っ気なく返事をすると、俺達はそそくさと男達の部屋を後にした。
コルリアからの連中との話し合いを終え、用意されていた部屋に入る。少し違和感を覚えた。
「うお、ベッド一つかよ」
「あれ、何かな、その反応?いつも一緒に寝てるじゃない」
「まあそうなんだが……」
その夜支給された夕食も質素なものだった。乾いたパンに、野菜の切れ端が浮いたスープが少量。これなら手持ちの携帯食をかじっていた方がマシだ。
「傭い兵ごときに使う金なぞないみたいだな。部屋も明らかに一人用だろ、これ」
「流石悪徳商人だね……やっぱりアルマに泊まろっか。当日にひょっこり帰って来ればいいよ」
「そうするか」
彼女はむくれながらパンをスープに浸す。
コルリアの兵達との段取りは大まかにしか組んでいない。あまり緻密に策を練ると予定外の事態に対処しづらくなるからだ。隙を見てエリスが煙幕を使い、その隙に向こうが手当たり次第に荷車を調べ、目標のお嬢様を助ける。俺達は殿だ。
俺はため息を吐いた。
「タダ働きになっちまったなぁ」
「もうお金貰ってるじゃない。それに船の人たちの話だと荷車も多いみたいだし、向こうの方が人数いるから仕方ないよ」
そこで彼女がふと疑問を口に出す。
「そう言えば、馬も荷も見当たらなかったね。どこかに隠してるのかな?」
「そうだろうな……見つかる場所に置いてたらそれはそれで問題だろ」
その後もニ、三程度会話し、食事が済むとすることが無くなる。二人並んでベッドの縁に腰掛け、そのまま幾らか時が流れた。三年も共に過ごしていると沈黙が気まずいなどという事はまず無くなっている。時に沈黙は「愛してる」と囁きあうよりも深い愛情表現になるのだ、とどこかの偉人が言っていたらしいが、別にそんなつもりがあって黙っている訳でもないので……聞くなら今だろう。
「エリス」
「んー?」
隣で足をぶらぶらさせていたエリスがこちらを向く。俺はかねてより気になっていた疑問をなげかけた。
「あの鎧の、船で襲ってきた男の事なんだが……」
「……」
「やっぱり何か知ってるんじゃないのか?あの時もお前、様子が少し変だったし……」
「もぉ、何にも無いよ、心配しすぎだってば」
「何かあるなら言ってくれたって構わないんだぞ。その、俺が拾われてからもうだいぶ経つわけだし」
彼女がクスリと笑う。
「おぉ、キミにそんなことを言われるとは……でも駄目、わたしはキミの保護者だからね、残念でした」
今更どの口がそんな事を言うのか。
「保護者が拾った子と事に及ぶのは良いのかよ」
「むう、それは今関係無いでしょ!それは!」
そう言ってこちらの胸をドカドカと殴ってくる。かなり痛い。その小さな握り拳を掴んで拘束してやると大人しくなっていった。
やがて彼女が口を開く。
「大丈夫、ほんとになんでも無いの。ただちょっと……」
少しだけ言葉に詰まる。
「ちょっと、昔の知り合いにそっくりだったから、驚いちゃっただけ」
自分に言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「そっか」
彼女がそう言うのだ、そうなのだろう。俺も少々気になったというだけの事だし、これ以上この話題について触れても益ない。
彼女の両手を握った状態のまま、二人でゴロンと横になる。やはり並んで寝るには厳しく、少し蹴られたら床に落下してしまいそうだ。
「えへへ、狭いね」
「俺は下で寝るから。明日はアルマに行くわけだし、今日くらいなら……」
「ん、待って、ここに居て……」
そう言いつつ足を太腿で挟まれ、身動きが取れなくなる。
「お前がこれで良いなら構わないが……」
淡い金の髪の少女は優しく微笑むと、静かに語り出した。
「……わたしね、小さい頃に、親が戦争で居なくなっちゃったの」
確か、ちょっと前にもこんな夜があったような気がする。
「ここからは、まだ言ってなかったね……家はある国の貧困街にあってね、身寄りも無かったから、色んな事をしたの」
「喧嘩したり、盗んだり、放火や人殺しもした……生きるために、やらなきゃならなかったから」
「そんな時……その……色々あって、一人の軍の人に拾われたの」
「それからは、その人の所で働いたの。もう……殆ど奴隷みたいな扱いだったんだけどね」
「何年か経って、大きな戦争が始まったの。私も、それに参加して……」
「でもね……ちょっとやらかしちゃって。帰るのが怖くて、逃げ出した」
「情けないよね。奴隷らしく……また捕まるか、殺されるかすれば……良かったのにね」
「けど、恐らく、逃げた先で俺を拾ってくれたんだろ?……エリスが逃げ延びたおかげで、俺は命を救われたんだ」
「……」
彼女の瞳が揺れる。
「……そう、キミに……キミに出会ったの」
「おかげで助かったようなもんだからな。俺からしてみれば、お前が逃げたのは決して間違った事じゃ無かったんだよ」
「ふふ……うむ、キミは私に感謝するべきだ」
「はい、はい、そりゃもうありがたく思ってるぞ」
二人で静かに笑った。
「さ、明日はアルマに行くんだから。あとは寝よっか」
「そうだな……こんなしけた宿に泊まらせられて、護衛なんかやる気になるかってな」
「あはは。それに元々警護しに来たわけじゃないしね……それじゃ、おやすみなさい……」
「あぁ、おやすみ」
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