16・秘湯、熱闘、温泉旅行!

 アルマへ行きたいという俺達の申請は案外あっさりと通った。


 早速馬に乗り、宿場町を出る。何度か小休憩を挟みながらゆっくり進んでいたつもりだったのだが、日が暮れる頃までにはアルマの入り口へと辿り着くことが出来た。


 一つ手前の山を登りきると、眼下に街の景色が広がる。

「着いたー!」

「うお、ありゃ……火山か?」


「ランザッドの秘境」は山々に囲まれるようにしてひっそりと存在していた。温泉での集客を主としているだけあって、あちこちに巨大な温泉宿が建ち、街道に沿って売店がズラリと並んでいる。


 しかし一番に目を惹くのは街を囲う雪山の更に奥に高く聳える巨峰だ。恐らく火山なのだろうが、ランザッドの人間の話によれば、ここ数十年間噴火したことは無いらしい。


 隣でエリスがあっと声をあげる。

「ね、折角だし、お土産買って帰ろうよ」


「あのな、お土産持ってお嬢さま救出大作戦に臨む気か」

「えー、オルクのおじさん絶対楽しみにして待ってるよ?」

 いつの間にあのオヤジにアルマに行くとこを告げていたのだろうか。


「大丈夫だ。あいつなら気にしなくてもいいだろ」

「あ、アスタは薄情者だ」

 その後も暫しの間売店巡りをせがまれ、結局押し切られてしまった。


 厩舎に馬を預け、街に足を踏み入れる。街は中心に広場があり、そこから網目状に通りが伸びる構造だ。


 因みにアルマは国ではなく周囲から独立した地域だ。山間部に位置し、攻め込みにくい上に戦や交易の要所となりそうにもならない為、放置気味にされているとか。街自体は独自の観光業によって潤っているようだ。日も落ちてきたが、かなりの人々が道を行き交う。


 しんしんと雪が降り積もる中、観光客相手の店を飛び回ってはしゃいでいる彼女の姿はまるっきりの子供である。しかし流石というべきか、無駄金を使う様子は見受けられず、荷物持ちと化す筈だった俺の両腕も大した重さを感じることはなかった。


 菓子の箱を幾つかと、自分用にと見慣れない薬品やら薬草やらを買い求め、その後俺達は今夜世話になる宿を探した。


「なんだかね、どの湯宿も全部違った効能を謳い文句にしてるみたいなの」

 彼女が困ったように言った。

「俺はどこでもいいぞ」

「分かった。うんとね、それなら……」


 苦悩の末に宿を決め、女将に鍵を渡され、歩き疲れて部屋に転がり込む。

 ゴロゴロと布団の上で回っている彼女に声をかけられた。


「お先にどうぞー。わたしはその後にまったりしてくるから」

「へいへい、じゃあ先に入ってくるぞ」


 同時に行くのは躊躇われる。別にただ息抜きにここを訪れただけなのだが、あの商団絡みで何者かがいざこざを抱えてやって来ないとも限らない。


 先に荷物番を名乗り出たエリスを置いて脱衣所へ向かう。宿で働いている少女が案内してくれた。


「殿方はこちらからどうぞです。お連れ様は……」

「あいつはまだいいんだとさ。ありがとな、下がっていいぞ」


 俺が服を脱ぎ始めると慌ててその場から走っていった。念の為、ナイフを手ぬぐいで巻いて持っていく。


「これは凄いな……」

 ザラザラした石で組まれた露天の浴場は想像以上に広く、雪景色が映える庭は中々に粋なものだった。俺の他に人は見当たらず貸し切り状態だ。軽く身体を流し、湯に浸かって一息ついた。


「はぁ……」

 思わずため息がこぼれる。極楽とはまさにここのことだ。

 さて、少し時間が経過して。


 俺は雪景色を楽しみながら湯を満喫していたのだが、凝った首をグルンと回してとある事に気がついた。

「……」


 俺が入ってきた引き戸の他に、もう一つ戸があったのだ。訝しんでこれまでの記憶を辿る。女中に案内された脱衣所は浴場への出入り口は一つしかなかった筈だ。それに清掃員用の出入り口なんてものも聞いたことが無い。


「……」

 一旦両手で湯を顔に浴びせる。


 それにしても宿の大きさの割にはやたらと広大な浴場である。男湯だけでこんなに広いものなのだろうかーー。


 俺がそこまで考えるのと、戸が引かれてエリスが入ってくるのはほぼ同時だった。

「うおっ!?」


 こちらの奇声に気づいた。彼女はキョトンとした顔で状況をのみこむのに数秒を要し、

「?…………ぅぇええ!な、なん……っ!」


 生娘の如き反応を見せ、両腕で巧みに身体を隠そうとするが、その光景に目が釘付けになってしまった。


 雪のように美しく白い肌。腰まである長髪は白金に煌めきながらふわりと広がり、細いながらもフニフニしていそうでしなやかな体軀はまさに芸術の域に達している。


 彼女の肢体は、昨夜語ってくれた過去の出来事を思わせない程に綺麗だった。

「なな……」

 しかしもう少し、あともう少し、女性としてのふくよかさがあれば……


「なっなんっ、いるの!」

「……ハッ!?まて、落ち着け!俺は何も考えてーー」


 俺は意識を現実に呼び醒まし、我ながら天晴れな速度で視線を横にずらしたのだが……

 突如として飛来した桶に頭を撃ち抜かれた!


「ガハァッ!」

 スパコーン!ざぶーん……と俺は湯の中へと沈んだ。




 誠に遺憾ながら、俺は数年彼女と共にしながら、一度として一緒に風呂に入るという体験をする事が出来ていなかった。よってこの眼福には長めにあやかっておきたい所である。


 俺は意を決してザブリと背後に身体を向けた!

「うわぁ!?」

 彼女の頭が瞬時に沈む。

「ってこっち見てたのかよ!」


「……ぶくぶくぶく」

 頭の上半分だけ出してこちらを睨んできた。茹で蛸みたいに真っ赤っかである。濁り湯なのが残念で仕方がない。ええい、この際だ、聞いてしまえっ。


「なんであんな事やそんな事をするのは良いくせに混浴は駄目なんだ?」

「ぶくぶくぶく!」


 何を言っているのか聞き取れない。何やら怒っている様子ではあるが……

「あ、お前荷物番はどうしたんだ」


「……入れって」

「む?」

 ようやく水面に肩を出した。

「宿の子に、混んでくるから先に入ってこいって言われたの」


「あー……」

 まさか兄妹だとでも思われていたのだろうか。


「いやぁ、それにしたって……」

「だって混浴だなんて知らなかったんだもん、教えてよ!」

「俺に言うな……恥ずかしいなら上がっていいんだぞ」

「そういう問題じゃないでしょっ!」

 捲したてる少女を手で制す。


「わ、わかったから落ち着いてくれ……っと、ここを選んだのってエリスだよな?」

「混浴だなんて知らなかったもん!」

「そ、そうなのか」

「そうなの!」


 その後も非常に気まずい空気が流れ続ける。いい加減のぼせてきたが、まだあがるわけにはいかない。これは千載一遇の絶好の機会なのだ。そう簡単に眺めるのを辞めてたまるか。彼女も彼女でそっぽを向いたまま何故か出て行かない。と言うか他の客は空気を読みすぎではないのか?誰か一人くらい浴場に入ってきてもいいと思うのだが……


「……ふ」

 首から下はよく見えないが身体中真っ赤に茹でられているであろう彼女が謎の吐息を漏らし始めた。


「ぅん……ふ……あ、ぅ……」

「……!?」

 なんというか、これはまずいぞ。色々とまずいかもしれない。俺はそうっとその場から離脱しようとした。


「ぁ……ぅ」

 途端、頭から蒸気を吹き出し湯に沈んでいってしまった。


「あ、おい!……のぼせたか」

 流石に放置はいけない。俺は慌てて彼女の華奢な身体を担ぎ上げ、女性用の脱衣所へと運搬しようとする。


「んん……」

「おわっ!意識があったのか……いたたたっ」

「へ、へんたい……!」

「す、すまん、降ろすから髪を引っ張るな」


 彼女がじたばたと暴れ出した。すると当然、その申し訳程度の膨らみが押し付けられるわけで。


 ……ふむ。

「い、今何か……やらしいこと考えたでしょ……はやく、降ろして……!」

「今更だろうに……だから暴れるな!降ろせないだろっ」


 そんな攻防を繰り広げながら、なんとか脱衣所まで到達した。例の従業員の少女が謝罪と共に現れた所にエリスを渡し、回復するまで看病してもらったのだが、その夜俺は言うまでもなく彼女の機嫌を回復させる任務を負うことになった。


 以降の俺達の物見遊山は滞りなく行われ、当日の夕刻、あの狭苦しい宿へと帰還した。裏手には人目を忍ぶように三台の荷車が並んでおり、既に商団連中とコルリアの兵達が待機していた。


 遅いと叱責する頭領にご機嫌取り用の土産を渡して、俺達が各々の持ち場に着くと、やがて先頭の馬車が動き出した。


 決行の時間だ。

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