8・ラヴェスケープ.1

 私はとても弱い体で産まれてきました。

 お母さんは私を産んで死にました。

 産まれてからすぐ、色々な病気にかかったり、ケガをしたりしました。


 私はよくころんだり、穴に落っこちたりしました。

 私がケガしたり、病気になるたびに、お父さんはお医者さんを家に何回も呼んで、私のことを診させました。


 治ってかかって、また治したらまたかかりました。

 それでも、私はまだまだだいじょうぶってお父さんに言いました。


 でも、やっぱり体はだめになっていきました。

 そんなある日、少しおかしかったことがありました。


 その日来ていたお医者さんが、生まれつき体が弱いって理由だけじゃ、病気やケガをしても、ふつうはこんなに早くスイジャクしないよって言いました。

 お父さんも私もどういうことって聞きました。


 またべつの日、お父さんが変な人を連れてきました。

 その人は、へんな色の服をきて、へんなかざりをいっぱいつけていました。

 変な人は、私をみるとこう言いました。


「うちなるちから」だ、って言いました。

 お父さんがどういうことって聞きました。


 この子の「うちなるちから」が大きすぎて、弱い体が耐えられなくなってるんだっ言いました。

 ただでさえ弱い体が病気やケガでやられてるのに、「うちなるちから」は、私が成長するたびに大きくなって、私にふたんをかけているのでした。


 お父さんと私はきづきました。

 それなら、「うちなるちから」をいっぱい使って、体がたえられるくらいにまで「うちなるちから」をちいさくしてみよう、と思いました。

 そうすれば、体へのふたんは、病気やケガだけになるから、いまよりは、たのしくくらせると思いました。


 私のジュツホウは、記憶をあやつるというものでした。

 お父さんが言うには、ふつうの術よりもずっとキョウダイで、複雑なものでした。

 お父さんがネズミをいっぱいつかまえてきたので、記憶をあやつってみました。

 ジュツホウをつかうと、とたんに息が苦しくなりました。ジュツホウはうまく使えませんでした。


 私の体は、ジュツホウをちょっとつかう事にさえ、耐えられなくなっていました。

 つまり私は、どんどん大きくなって体を壊そうとする「うちなるちから」と付き合いながら、病気や痛みに苦しんで、体が普通より早く壊れていくのを、感じているしかなくなりました。


 それからというもの、私は毎日、

 病気やケガをしても、「うちなるちから」を使っても、耐えられる体にして下さい、スイジャクしない体にして下さい。

 と、神様にお祈りしていました。






 上手いことホノカを利用することに成功した俺は、紙袋に入った戦利品の焼き菓子を抱え、彼女と共に次の戦場へと向かっていた。


 例の蜂蜜パイ購入に再び挑むことを決意したのだ。

 作戦はこうだ。


 俺が、空腹で倒れそうになっている演技をした彼女を介抱する。その状態でパン屋「カナリア」の前を通りかかる。

 すると、その様子に驚いた従業員が駆けつけ、彼女に蜂蜜パイを大量に持ってきてくれる、と言った具合だ。


 ホノカは異国からの使節という大変ありがたい属性をもっており、うちの商品を是非食ってくれ!と店側が寄ってくる。その性質を利用するのだ。

 勿論勘定はする。いかに列に並ばずしてパイを買うかが重要なのである。


 先ほどの焼き菓子の店も、その手法で乗り切ってきた。このまま快進撃だ。

「カナリア」のある裏通りに差し掛かり、俺は早速、ホノカに指示を出す。

 彼女は説明を聞きながら、しかし、と抗議してきた。


「アスタ殿。やはり、しっかりと並んで買うのが礼儀でなないのか?それに、この店では既にパイを馳走になっているのだが……」

「この際何でもいいさ。俺はもう充分に並んだんだ」

「しかし……」

「よし、説明は以上だ。行こう」

 彼女は尚も唸り続ける。


「これでは良心の呵責が……いや、アスタ殿には路地裏にて助けて頂いた恩が……」

 やがて決心したのか、俺の傍まで近づいてくるとーー


「ーーぅぐ、ぐううううぅぅぅ……」

 いきなりうずくまり、そのまま呻き出した。


「ぐ、ぐああうあぅぅぅ」

「ど、どうしたんだ!しっかりしろ!」

「お、お腹が空いてええぇぇぇーー」

「っ、大変だ!早く何とかしなければぁ!」


 道行く人々が興味津々で通り過ぎてゆく中、俺たちは「カナリア」の前まで辿り着く。

「おうぅ、ぐうぅおおおーー」

「大丈夫か!しっかりするんだ!」


 見れば、案の定店の前には地の彼方まで届きそうな大行列が形成されていた。

 皆が俺達ーー主に俺だーーに向けて容赦ない好奇の眼差しを向けてきた。ホノカは顔を真っ赤にさせながらも演技に徹する。


「うううぅぅーー」

「死ぬな!気を確かに持つんだ!」

「ど、どうなさいましたか!?」

 店内から従業員が一人走り出てきた。


 しめた!俺は心中で拳を握り締める。

「彼女、栄養失調で死にそうなんです!何か疲労回復にぴったりで物凄く甘いものがあればいいのに……くそっ!」

「そ、それでしたら……っ」


 ハッと顔を上げ、店内へ駆け戻っていく。

「くっーー」

 俺が抱えていたホノカが林檎より赤い顔を爆発させ、そのまま動かなくなる。


「お待たせ致しました、これを!」

 従業員が大量の包みを持って帰ってきた。

「すまない、助かる!金はここに置いてくぞ!」

 俺達は無事、パイを手に入れることに成功したのだった。




「すまなかった……」

「知らぬ」


 かなり深く頭を下げる俺を無慈悲に突き放す。

「しかしだな、やっぱりあの方法しかなかったんだよ……」

「きちんと並んでいれば良かったのだ。そなたのおかげで痴態を晒すことが出来た。感謝している」

「ぐう……」

 全面的にこちらが悪い為、喉からはぐうの音しか出せない。


 彼女が諭すように言う。

「城下で買った焼き菓子に関しては致し方ないとしても、蜂蜜パイはアスタ殿の誠意から手に入れることを決めたのであろう?」

「前回は駄目だったからな……詫びにと思って……」

「ならばそれで良いではないか。並んで時間がかかったことを労いこそすれ、恩を仇で返す様な真似はせぬだろうに……」

「ぐう……」


 またぐうの音が出る。

 俺は隣で垂れ流れている説教を聞きながら、焼き菓子とパイが入った袋を抱えなおした。


「……と、そんなところだ。聞いていたな?」

「はい、すみませんでした……」

 謝りつつ、未だ不機嫌さを隠せない彼女に手持ちのパイを一つ差し出す。

「どうか、これで……」

「む……そうだな、菓子すら免罪符となるこの時代に感謝すると良い」


 そう言いつつ、イソイソとパイをしまっている。

 説教が止むと、二人の腰の剣が鳴る音がしばらくの間、空間の占有権を獲得した。それぞれの歩調に合わせ、カチャカチャと腰で音が重なる。


「ところで……」

 彼女が尋ねた。

「どうかしたのか?」

「つかぬ事を聞くが、その同棲している方とは……どういった関係なのだ?」


「どうも何も……」

 少し思案した後、答える。


「俺の恩人だな。森で行き倒れていたところをエリスに拾われたんだ」

「行き倒れて、か……アスタ殿は、親元に帰りたいとは考えなかったのか?」


 当然の質問だ。俺は以前の記憶を無くしていること、その為エリスの補佐をしながら過ごしていること等を告げる。ホノカとは行きずりの間柄だ。教えてしまっても特に問題ないだろう。


「そうであったか……不躾な質問であった」

「いや、構わないさ……さ、着いたぞ」


 そうこう話しているうちに、街はずれにある厩舎が見えてきた。二人とも、城下からこの街まで馬に乗ってきていた。

「では、ここまでだな。とても充実した一日であった」

 それぞれの馬を引いてくると、彼女がそう礼を告げる。


「こっちこそ、こんな所にまで付き合わせて悪かったな」

 こちらも短く別れを告げるとーー、


「むぅ……」


 二人して耳を澄ます。

 風に乗って微かに聞こえてくるのは、剣戟の音と、叫び声だろうか。

 ここは国境にある街だ。もしかすると……。


「馬を走らせればそう遠くはないだろう。アスタ殿、少しばかり様子を見に行かぬか?」

「そうだな、行こうか。俺も興味がある」

 答えて馬に跨ると、俺達は音の発生地点へと急いだ。


「やっぱりか……」

 着いた先に広がっていたのはほぼ予想どおりの光景だった。


 国境を過ぎた所にある平野、その北側で二色の鎧が入り混じり、夕日を受け輝いている。


 赤銅色の鎧はハピルの兵達。倒れているものが目立ち、かなり数が減らされているようだ。

 対する黒の鎧はリアーナの兵達だ。勢いに任せてこちらの方向へ進撃しようとしている。


 こちらが十数、リアーナ側は五十ってとこか……。

 目を凝らし、数を確認する。

「本当にこんな所まで攻めにきてるんだな……」


 あと数百メートルも進めばハピルの国境線に入ってしまう距離だ。幾ら小規模な戦闘で済んでいるからとはいえ、不用心にもほどがある。


「……あれは!」

 追いついてきたホノカが声を荒げた。

「近頃あまりにも頻繁に、かつ広範囲で小競り合いが行われているのだ……」

 馬から飛び降りつつ俺に話して聞かせてくれる。

「故に今では、海に面していない線上に満遍なく警戒網を伸ばしきってしまっている」


「そりゃまた……しかし、あんた使節の人だろ。なんでそんな……」

「見ていられない!助太刀に行くぞ!」

 彼女は会話もそこそこに、刀を抜いて走って行ってしまった。


「お、おい!……終わったら答えてくれよ!」

 やむなく俺も抜刀し、その後を追った。

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