7・同盟使節

「んん……」

 早朝。

 鳥達の大合唱に起床を催促され、大きく伸びをした。

 傍らではエリスが、絹に金を溶かし込んだような綺麗な長髪を身体中に巻き付けながら眠りこけている。

「……」

 手早く着替え、顔を洗いに洗面所へ向かう。前を見ると、鏡の向こうでも俺が寝ぼけ眼で立っていた。

 目にかからない程の赤茶の髪、同色の瞳。服から伸びる腕はそれなりに太く、体格は人並みより少し良い程度か。

「……おはよう」

 そう声をかけると、鏡の向こうの俺もニヤリと笑った。




 数多の人や荷を引く馬が通りを行き交い、喧騒が辺りを包む。


 俺はエリスから言いつけられた任務を遂行するためにハピルの城下街を訪れていた。住まいのある森からはかなり距離があり、あまり足を運ばない為か、他の街々との規模の差に改めて感心する。


 中央には白亜の巨大な建造物が鎮座している。壁面などの至る所に煌びやかな装飾が施されたあれが、この国の皇のまします城だ。


 城から同心円状に街が広がり、木造の家々が所狭しと乱立している。「ラヴェスケープ」の光によって突如密生してきた木々を利用した名残だ。復興が進んだ今日でさえ、路上には未伐採の巨木がちらほら窺える。


 東西南北に大通りが通されており、様々な露店や行商人の敷くゴザの上に並べられた、色とりどりの品物が経済を潤す。


 その四つの通りの中から、俺は商人の出入りが最も激しい南通りを選び、それとなく城下や軍の様子を聞いて回っていた。


「そうだねえ……確かに見かけるっちゃ見かけるんだよね」

「俺たちみたいな市井の者に、兵士どもの内情なんてそうそう語られんからなぁ」

「そうか……いや、変な話を持ち出して悪かった」

 思った以上に話の種は育っていかなかった。

 ここの御上は近頃の軍の騒動に無干渉なのだろうか。


 しかし、確かに戦勝報告ならまだしも、件のお尋ね者の隊や、国境で起こるリアーナとの小競り合いと言った痴態を大きく晒すような真似はしたくないのだろう。

 それならば、政府の連中が、それらの指揮を軍に一任している線もあるかも知れない。


「気にしなさんな。近頃多いもんなあ、そう言う軍絡みのこと」

 話に付き合ってもらった礼に、俺は露店に並ぶ品を幾つか買い求めた。

 釣り銭を受け取ると、その隣で手の空いていた男がふと思い出したかのように言った。


「そう、この城下で変わった人を見るってよく耳にするね」

「変わった人?」

「あんたが聞きたがってる軍の事とは関係無さそうだけどねぇ」

「構わない。教えてくれ」

「私はまだ遭遇してないけど、ここいらじゃ滅多に見かけない格好なんだとさ」

「……行商人の類じゃないのか?変ななりをしたのならよく見るが」


 隣の男が補足する。

「あれはニルグレスの人間じゃねえなあ。巷で噂のレタラモシリからのだったりしてな」



 西の大通り。

 俺は例の焼き菓子の店を目指して人混みをかき分けて行く。俺の推測では、この通りの幾つか奥に入った裏手にある筈だ。


 南通りと変わりのない活気から横に逸れ、少し歩くと。

 奥まった通路に何やら人影が見えた。材木やら積み上げられた木箱やらの影になり人目につき辛くなっている。


「……」

 そっと覗き込んでみると、予想通り、だらしない格好の男が三人、女に詰め寄っている真っ最中だ。こちらにもそのやり取りが聞こえてくる。


「なぁなぁ。俺たちとちょっとそこまでお茶しに行かない?悪いようにはしねえからさぁ」

「キミ、この城下でも中々お目にかかれないくらいの美人さんなんだよぉ。そんな子が一人でブラブラしてるなんて勿体ないよぉ」


 女が口を開く。

 粘着質な男たちの声の中に、凛とした鈴の音のような声が通る。

「すまない。何度も言うようだが、暫し休息の時を頂いている身なのだ」

 躊躇いのない真っ直ぐな物言いだ。

「私に構わず、どうか一人にさせては貰えないだろうか?」


「でもさ〜、せっかく誘ってあげてるんだよ?こんな時間に街中で一人、多分彼氏とかいないんでしょ」

「そうだよぉ。せっかくなんだし、一緒に遊びに行こうよぉ」

「むう……生憎だが」

「ほら、堅いこといわないでさ」

 言いかけると、一人が女の手首を掴もうとする。


 俺は傍観するのを止め、ズカズカと女の前まで歩み寄った。

「なんだ、こんな所にいたのか。探したぞ」

 女は不思議そうに首を傾げた。

「……む、貴公は?」

 彼女に向かってそっと片目を瞑る。


「さ、お前らは帰ってくれないか」

「……あんだぁ、テメエ」

「おいおい、三人を一人で相手するつもりかよ。カッコつけて出できちゃった感じかあ?」

 打って変わって凄みの効いた声になった。流石にそう簡単に引いてくれる訳がない。


 男どもが俺達を取り囲むように円を作る。

「悪い、離れないようにしていてくれ」

 女に声をかけ、懐に手を入れて投げナイフを掴むと、彼女はこんな事を口走った。


「ご助力感謝しよう。しかしそれには及ばないぞ」

「……なんだって?」

「死合うつもりなのだな。ではそなた達、覚悟しろ!」

 次の瞬間女は地を蹴り、取り囲んでいた内の一人に迫る。


「せいっ!」

「な、なんだーーグハァ!」

 懐に飛び込まれ、男は抵抗する間もなく顎を掌底で撃ち抜かれた。


「て、テメエ!」

 残りの奴らはようやく状況を把握したかのように、俺達に殴りかかってきた。

「遅い!」

 女はその拳を受け止め力を込める。すると、男の肘から下が冷気を纏い、


 バシイィッ……!


 と派手な音をたてながら、一瞬にして凍りついた。

「ハァ!?なんっ……」


 術法か!

 男は自分の身に何が起こったのか理解できない様子で、あたふたと腕を振り回す。


 残る一人が更にムキになり飛びかかってくる。

「じ、術を打てんのが自分だけだと思うなよーーガハッ!」

 俺はその腹を蹴飛ばし、おまけに腕へとナイフを命中させた。


「ヒイィ!お、覚えてろよ!」

 在り来たりな捨て台詞を吐くと、奴らは散り散りに逃げ帰っていった。

「はは……あんた一人で別に問題なかったみたいだな」

「いや、改めて、ご助力感謝致す」

 俺が苦笑しながらそう言うと、律儀に深く礼をしてくる。


「向こうから手を出してこない限りは、やんわり断ろうと考えていたのだが……」

 青みがかる程の漆黒の髪に、磨き上げた黒曜石の如く美しい瞳。ここいらでは見かけない、青を基調とした羽織を身に纏い、腰には反りの強い片刃の剣……「カタナ」だ。


 肩肘張った物言いは、所謂 武人もののふのそれを彷彿とさせる。

 そして喧嘩程度のものだったとはいえ、戦闘中に術を織り交ぜ、瞬時に行使出来るほどの実力。

 間違いなく噂のレタラモシリの人物だろう。


 彼女がこちらを見据え、名乗った。

「ハピル、レタラモシリ同盟使節が一人、ホノカ・コルカムンと言う者だ」

「アスタだ。郊外で暮らしてる」

 俺も手短に挨拶をして、いそいそとホノカに尋ねる。

「あんたが使節の人なんだな。すまないがーー」


 すぐに意図を汲んだのか、彼女が遮るように答えた。

「私も使節団の一人とは言っても、その類の責やらを任されている大使は別にいる。私は飾りに過ぎぬ身で……」

 予想外の答えに落胆してしまう。


「という事は……」

「申し訳ない。私も詳細な説明はされておらぬのだ……」

「ふうむ……」

 彼女が申し訳なさそうに俯く。俺は慌てて手を振った。


「あぁいや、こっちこそ。唐突に聞いて悪かった」

 かねてから気になっていたもう一つの質問をする。

「そう言えば、休息がどうのと言っていたが……今日は休日か何かなのか?」


 使節団に平休日の区別なんてあるんだろうか。

「国を見物する為の暇を頂いたのだ。貴国を知る良い機会だったのでな……して」

「ん……?」


 すると彼女が何やら大きな紙を見せてくる。平原やら街やら川が描かれており、この城下ではなく国土全体の地図のようである。

それを上下逆さまに広げつつ。

「つい先日開店したばかりの焼き菓子の店があると聞いているのだが……尋ねても宜しいだろうか?」




 目当ての店は更にもう一本隣の方角、北の大通りに存在していた。

 西通りをせっせこ探索した俺の苦労は一体何だったのか。


 南通りから始まり、俺の城下探索は早くも半周を終え、開始からかなり時間が経っていた。今頃エリスはまたもやご立腹しているだろうか。足の疲れも目立ってきたため、俺達は目的地へと急ぐ。


 城下では馬に乗ることは禁止されているのだ。軍の連中や、商用での使用に対しては例外として許可が下りている。


「……しかし暖かいな。祖国とは大違いだ」

 歩きながらホノカが空を見上げた。

「そうだな……」

 俺も天を仰いでみる。


 街はすっかり春の香りに包まれていた。この陽気のもと、ひと一人居ない草原で静かに昼寝出来たらさぞ気持ち良いだろう。


「たしか、レタラモシリはもっとずっと北にあるんだったか」

「うむ。海を越えた向こうのランザッドの、さらに北にある。ここの天気とはまさしく雲泥の差だ」

「そんな遠くから、改めてご苦労様だな……」


 そう言う俺に彼女が笑いかけた。

「なに、私もここを訪れて正解だったと思っている」

「案外悪いところじゃないだろう?」

「然り。それに、この国は向こうには無いもので溢れている……」


 うっとりしながら想いを馳せる姿は、なるほどここいらでは見られない種類の美しさだ。

 すれ違う男達が俺に羨望の眼差しを投げかけていく。


 彼女が一人で次々に列挙していく食べ物や飲み物の名前の中に、一つ苦い思い出が混じっていた。

「あの店で頂いた、職人が命を賭して採取した黒王バチの純正蜜をふんだんに使った黒蜂蜜パイ……」


「なにっ」

「サクサクと香ばしい生地の中にほぼ黒に近い色の蜂蜜……今まで口にしたことの無い甘さであった……そしてそこに混ざる生地のほろ苦さが調和してーー」

「ちょっと待て」


「む?」

「買ったんじゃなくて貰ったのか?」

「うむ。遥か異国の地からの来客だから是非に、と……無論、一度丁重に遠慮させて頂いたのだが押し付けられてしまってな?……えへへ」

「えへへ、ね……」

 恐らくは列に並んだりといった手順もすっ飛ばしてのことだろう。羨ましい限りである。


「……さて、ここら辺の筈なんだが……」

 目的地周辺に差し掛かり、俺達は辺りを見回した。

「む……あれでは無いのか?」

 そう言いつつ指で示す先に店を捉えることが出来た。しかし安堵も束の間、俺の心は絶望に染まる。


「また行列か!」

 見れば通りの端を縦に占領するかのごとく、人が列を成していた。後方は遠く霞み、最後尾を見つける事が出来ない程だ。

「先日開いたばかりなのだろう?……ぐぬぅ、致し方ないか……」

「く……」

 俺はがっくりと肩を落とした。

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