6・薬師
「ーーはい、お子さんの今週分の飲み薬です。それぞれ小分けしておいたので、朝、昼食後に一回。具合が悪そうでしたら、寝る前になにか軽くお腹に入れてからなら服用してもらって大丈夫。それから、以前のお怪我のほうはーー」
蜂蜜パイによる断食生活から早一週間が過ぎていた。
台所と居間を兼ねた部屋には、エリスと自分、幼い子どもを連れた母親の四人。先日彼女に注文しておいた薬を受け取りに来たのだ。
窓からは午後の陽気が入り込み、室内を優しく暖めている。
「ーーえぇ、お陰様で大分良くなりました」
「そう、良かった……」
彼女と母親が差し向かいで和やかな空気をつくる。
「……どうぞ」
俺は茶の入ったカップを三つ、卓上に置いた。男の子が早速口をつけた。
「ママ!リンゴのお茶だ!」
「あら、本当ね。今頃のリンゴは値が張るでしょうに.....御丁寧に、どうもありがとうございます」
俺は軽く会釈する。エリスもその様子を眺めながらカップを傾け、話を再開した。
「でも、まだ一応湿布は出しておきますね。汎用薬だから、余っても暫くはとっておいて構わないですよ。どこかで使うかもしれないし」
敬語といつもの口調を混ぜこぜにしながらの説明だ。
言いながら紙袋に、幾つかの小さな袋や小瓶、処方箋をつめ、母親に渡す。
「ありがとうございます、この子も熱が引いて、見かけはすっかり元気に……いえ、ちゃんと飲ませておきますので」
クスリと笑う。
「うん、そうして下さい。ぶり返すと大変ですから」
エリスは諭すように言葉をかけた。
「それにしても階段で転んだなんて、下手したら大怪我……ちゃんとしたお医者さんにかからないとですよ?」
「主人にも笑われてしまいました。全くお恥ずかしい限りで……」
母親の表情が少し曇る。
「そうなのですけれど、街のお医者様にかかるとどうしても高くて……」
正規の医者にかかるにはやはりそれなりの金がいる。一般庶民がおいそれと通えるものではない。
俺は相場がどの程度なのか詳しくは把握していないが、エリスの場合は、薬の効果をほぼ落とさず、相場から数割下げた額での処方を行っている筈だ。材料に関しては、この小屋近辺や雇われ先での現地調達の他にも入手経路を持っているらしいのだが、あまり詳しくは教えてくれなかった。
ともあれ、エリスが営み、俺が些細な手伝いをするこの小さな薬屋から、ささやかながらも客足が遠のかないのには、こういった訳がある。
「それでは、長居してもあれですし、お暇させて頂きます」
会計を済ませ玄関の戸を開けた母子を、エリスが呼び止めた。
「あの……、城下や街の様子を、聞かせてくれませんか?」
薬草採取に行った森での一件は、既に城下に知れ渡っていた。
また、剣を交えた場所とこちらの住まいとはそこそこの距離があったため、今のところこの丸太小屋には特に変化はない。
私怨で斬られたと片付けられたか。その可能性は低いだろう。つい先日のことで、まだ調べが回ってきていないだけか。
「それにしても、最近何やら物騒ですね……」
男の子の母親は真面目な顔をして提案した。
「どうでしょう、これを機に街に移られてみては」
エリスが微笑みで返す。
「心配しなくても、うちのアスタは頼りになりますから」
「武術を習っていらっしゃるのかしら。素敵な旦那さまですものね」
「いや、あのなぁ」
「あははは」
二人に笑われながら頭をかいた。母親が再び真剣な表情に戻る。
「それなら良いのですけれど……他には、国境でリアーナの鎧の集団がちょくちょく出るそうですから、そちらにはあまり近づかない方が……」
それは俺も小耳に挟んでいた内容だ。よく少数で押しかけて来ては駐屯地で諍いを起こしているそうだ。何故向こうの上層部はほったらかしにしているのだろうか。
「長々と引き留めてごめんなさい……ほとんどここから出ないもので……」
エリスは丁寧に辞儀をする。
「たまには城下に遊びに来るのも良いかもしれませんよ。新薬の研究も行われているみたいですし、大通りに新しく焼き菓子のお店も出来たので……」
「ほんとですか!そんなの知らなかったよ……」
「……何故こっちを見てる」
例の蜂蜜パイの代わりにでも買ってこいと言いたげな目である。
「ママ、お話まだー?」
「そうね、行きましょっか。……では、ありがとうございました、またお世話になります」
そう言って二人は小屋を後にした。
中には俺とエリスだけになり、しばし沈黙が部屋を覆う。
やがて彼女がポツリと呟いた。
「……ね、アスタ、城下街に行って聞き込みしてきてくれる?」
「今からか?別に構わないが……」
ゆっくりかぶりを振る。
「後でで大丈夫だから。この森がどういう扱いになってるのかとか、喧嘩を吹っかけてきてるリアーナの兵士さん達のこととか」
確かに情報を仕入れておいて損はない。それに引っ掻き傷程度にもなっていないとはいえ、自国の軍に爪を立てたのだ。このまま過ごしていればいずれ何かしらの沙汰が下るのは間違いない。
「場合によっては外に引っ越し、物見遊山の旅とかもいいかも……?」
そう言った彼女は、自分で手を振って案を下げた。
「ううん、お金もないし、うちに通ってくれてる人達をおいて勝手に消えちゃうのは、ちょっと、ね」
「……そうだな」
こちらに向ける視線は浮かないままだ。
この少女がどのような考えを巡らせているのかいまいち把握出来ないが、俺も思案するのを止め、立ち上がる。
「あ!」
「うおっ、何だ、急に」
ズイズイとこちらに詰め寄ってくる。
「さっきあの人が言ってたお店、ついでに寄ってきてね」
「げ、またかよ……」
「なによ、命の恩人にその態度は。もしかして前の御飯抜き生活、もう忘れちゃった?」
「分かった、分かったから」
俺はつま先立ちでヨシヨシと頭を撫でてくる彼女を憮然として見る。
「宜しい。わたしには拾ったキミを養うっていう義務があるから、あんまり可哀想なことはしたくないんだからね」
などと言いながら、奥の作業部屋に向かっていった。
「どんな義務だ」
「あはは」
「あはは、じゃないだろうに…」
「アスタ、ちょっと手伝ってー!上の棚の物がとれない」
「脚立って知ってるか?その部屋の隅に置いてあるんだが」
少々不満を抱きつつ、俺も作業部屋へと赴くと、ほのかに薬品のような匂いが漂っていた。
例のごとく、彼女は山と積まれた箱やら道具やらに埋もれるようにしていた。
「何を作ってるんだ?」
「……ちょっと待っててね……」
幾つかの粉末を、慎重に分量を量って調合していく。
一通り手を加えてほっと息をつくと、こちらを振り向いた。
「んとね、その棚の……もう一つ右……そう、それをこっちにちょうだい」
「これか……」
興味本位で陶器の蓋をあけると、中には白い粉が大量に入っている。
「あとは、あっちにある板を持ってきて欲しいな」
粘土だろうか。薄く小さく切られており、白茶けた色だ。
「ん、ありがとね」
彼女はその小さな粘土板を組み立て、先程の粉末と数種の薬品を混ぜたものを入れていく。そして出来上がった四角を、穴の開けられた木筒に慎重に収めた。
「はい、これで完成」
満足げに頷く。俺はもう一度尋ねた。
「これは?」
「目眩し。正規のものに比べたら多少威力は落ちるけどね」
「へぇ、そんな物まで作ってたんだな。この間の煙幕や爆竹といい……」
エリスはえへへと笑うと、得意げに言葉を重ねる。
「そのくらいは当然だよ。他にも香水だったり、入浴剤とか世の男を虜にできる薬とか欲しかったらびーー」
調子に乗って口を滑らせた、とでも言いたげに口の動きが止まった。
「び?」
「び、びって何のことかな……?アスタお薬出してあげよっか?」
「び……」
俺はびから始まる日用品や飲み物、薬品を列挙していく。
「わー!やめてってば!」
「何か隠し事でもしてるのか?」
「別に恥ずかしくなんかないって!」
という事は人には言えない感じのものなのか。
「もおー!謝るからゆるしてぇ!」
「何故にエリスが謝るんだ」
それ以降、彼女がその話題について尻尾を見せることはなかった。
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