第4話 先代住職と多賀神社の未亡人


 正運寺の先代住職はわけありであった。多賀神社の宮司の未亡人と知り合い、その娘をとてもかわいがったという。娘の里美は神社の歌舞である巫女神楽に興味をもち、神楽の絵巻を見るのを好んだ。踊りの方も結構うまかったらしい。

神楽の舞手は習い事の修練者というより神事の舞に従事する者として崇められた。


 先代住職の面構えは肖像写真に残っているが、隠れた行いは周囲のものにしかわからない。和尚の実父であったその人は、白内障で両眼を手術した後、厚い凸レンズのめがねをかけていた。黒ひげは白くならず死ぬまで異様な人相が変わらなかったという。

「ずいぶん前の写真だあ、これしかないから額に入ってもらった」

 和尚が眼で肖像画を指した。

「病気持ちだったが、わしを連れてよく修養の場に出てくれた。

しつけはとても厳しかった。殺生のたぐいはひどく叱られた。子供に対しても現実離れした説教をするひとじゃった」

 昔を思い出したように体をゆらす。

「虫捕りや魚とりなんぞ、できなかった。わしの子供時代はそんなふうに川で遊んだり、フナをすくったりしたことがない」

 川原で見た麦藁帽子の中に子供の頃の和尚は入ってなかったようである。


 明治の富国強兵政府の元では寺より神社の立場が高かった。神職免許は政府官庁より発行されたが、経済的な問題があって神主のなり手はふえなかった。

女性神職というのはあったが、多賀神社の未亡人(神主の奥さん)も一度考えたがなれなかった。資格を取るのは神社庁長の推薦が必要で、完全に暗記して必ず答えられなければいけない超難問の試験であったという。

神主が早死にした多賀神社は、家系の見直しを迫られたが、奥さんに手の届かない

神職の資格、母と子の生計を伴うことが難しいものとわかった。

しかし、若者向けに作られた華美な神楽がその筋にあったことで、資格がなくとも母と娘が舞う神楽が母と娘の生活を得るために考え出されて実践されたという。


「お里さんはこれを見るのが好きだった」

 和尚が、持って出てきたのは先代がしまっておいたという神楽の絵巻物。紙の地肌が透けて見えるほど古くなっているが、妙にきらびやか、近世に描かれたのではと思われる神楽の絵であった。

 神社の境内に庶民が群れて踊りを見物している。布袋(ほてい)さんのような神職装束の女が足を見せて踊っている。離れた社務所にも若い巫女がいて絵札を渡していた。

  

 神楽の舞を様式化、祈祷や奉納の舞として、鈴・扇・笹・榊・幣(しでこぶし)などを持って舞う。祭りや行事のあるたびに遠くまで行って泊まって舞った。

赤の伊達襟を半襦袢を白衣の間に着けて、緋袴、無地の千早に花簪を頭に飾り神楽鈴を手に持った。天冠をかぶることも、千早の生地は薄い。鈴を鳴らすことは衰弱した御魂を奮い起こすと唱え鈴の数は7、5、3、布は青(緑)、黄、赤、白、黒(紫)の5色布で舞う。

 "シャン、シャン、シャン、シャン、シャン”


「ここで母親とお里さんが踊るのを見た」 和尚が池端の廊下を指す。

「先代はよく見ておった。わしは長くは見んじゃったが」

 母と娘は寺で呼ばれて踊り、礼をもらっていたという。


「お里さんは、同じ小学校の一級下にいたはずだ。あなたたちが遊んだ川原にもおったのではないか」と和尚…それならば夢と関連する。


「私が小学三年生の時、一級下の二年生だったのか」

 色の黒いはだしの女の子の姿が浮かんできた。あの雪女は高校でも一緒だった天野里美だったのであろうか。

 小学生の頃、村の高祖(たかす)神楽が希少無形文化財として認められると、

教育委員会から郷土文化の芸能として推奨、保護されることになった。

愛らしく化粧をした子供たちが演じる子供神楽クラブが小学校にできた。里美も加わり、りりしく踊るのをわたしも見ていたのだ。

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