宮城を枕に

松平 眞之

第1話 宮城(きゅうじょう)を枕に

 地の底から湧き出たかのように重く、そして深く、まどろむ私の  

内耳に、脳裏にと、鼓膜を震わせながら伝わってくるこの旋律。   

 これこそがレクイエムの第八曲。


 ラクリモーサ( L a c r i m o s a/涙の日)。           


 さすがはモーツァルトの絶筆と言われるだけのことはある。    

 所謂涙を流すとはどう言う事か、それを完璧に音で表現している。   

 またそれと同時に、スマートピロー(人工知能搭載型枕)に内臓  

されたスピーカーの奏でるこのラクリモーサは、今日一日の私の不

幸を確実に、そして端的に伝えてくれてもいる。       

 何故ならこの着信音はたった一人にだけ与えたもので、その着信  

音の主こそが、事有る毎に私にラクリモーサを与える天敵だからだ。   

 それもその筈で、本来なら睡眠中の私に代わって電話の応対をし  

てくれる筈のスマートピローのAI(人工知能)が、どうしても本  

人が電話を取らなければならない相手と判断したからこそ、わざわ    

ざこうしてラクリモーサを私に聴かせているのだ。            

 そうこの着信音ラクリモーサの主こそ、DOE( D e p a r t m 

- e n t  o f  e n e r g y /米エネルギー省)の人間の中で、   

最も拘わりたくない人物。                 

 彼の名は、 F. K e n t. Jr. S m i t h. (エフ.ケント.  

ジュニア.スミス)                           

 現在の E x e c u t i v e  S e c r e t a r i a t  D i r e

- c t o r (執行事務局所長)の地位も、前任所長の不正を告発し  

た功績で得たと言う、何とも抜け目のない男だ。          

 威圧的に猛禽類の眼で私を見下ろす禿頭の彼のことを、私はヴァ

ルチュア( V u l t u r e/ハゲ鷹)と仇名を付けた。 

 無論そのあだ名は彼を始め、未だ誰にも言ったことはないのだが。   


 有り体に言って私は彼のことが嫌いだ。             

 それに恐らく、否、確実に、彼も私のことを嫌っている筈だ。   

 合衆国に於いて最も白人が多く住むバーモント州出身の、薄っす  

らと黄色い肌を持つ私のことを、きっと。             

 何となれば彼はバーモント州出身で、純白の肌をしているからだ。 

 そして何よりも、また皮肉にも、学部こそ違え私も彼もバーモン  

ト大卒の俊才と言われた経験の有る者同志だからこそ、互いが互い    

             ー1ー



のことをそう思うのであろう。                  

 何れにしても同郷の同門出身者同士、普通ならもう少しましなリ  

レーションシップを築けようものであるが、彼と私の出身地や出自  

を鑑みれば、それも致し方のないところだろう。            


 徐々に覚醒していく意識のなかで、そんな風にヴァルチュアのあ

れやこれやに思いを巡らせたのも束の間。         

 カーテンの隙間から差し込む陽光に瞳を射られた次の刹那、スマ

ートピローが脳内で問い掛けて来た、『電話を繋ぎますか』、と。    

 私もまた、『少しだけ待ってくれ』と脳内で返事をした。         

 次いでベッドの上に起き上がり、ひとつ大きく深呼吸をする。     

 その後「チッ」と舌打ちをしてやって尚、いつも何かと詰まらな  

い御託を並べるヴァルチュアの顔を思い浮かべながら、「おどれ、 

カバチたれが! 」と毒吐いてやった。                  

 この場合アメリカ国民である私の場合、「 O h, S h i t ! 」と  

でも言うべきものなのだろうが、敢えてもう一つの母国の言葉であ

る日本の言葉で罵ってやったのだ。                  

 しかも母の郷里の張替(はりかえ)の実家が在る広島で、数ヶ月     

に渡って取材した際に覚えた言葉でだ。              

 そうして再びスマートピローに頭を預け、『よし繋いでくれ』と  

脳内で呟いた私の言葉に従い、何とかラクリモーサが途切れる前に、     

スマートピローがヴァルチュアの電話を繋いでくれた。   

 直後トランスレート・モードから、ノーマル・モードへの切り替 

えスイッチを入れる。                          

 トランスレート・モードであれば、私の脳内の思考や思念をスマ  

ートピローのAIが読み取り、そっくりそのまま私の声に置き換え

て返答してくれるのだが、それだと今は少々都合が悪い。

 私が実際に喋る必要がないので便利と言えば便利だが、心にもな

いお世辞も言えないし、苛立ちや不満が総て露見してしまう。                                          

 だから相手に依っては面倒臭いが、トランスレート・モードから  

一々ノーマル・モードへと切り替える。              

 そう言う意味では、不便と言えば不便。            

 私の生まれた30年前の世界、2017年にはこう言うものもな  

かったのだから、今と昔のどちらが便利か怪しいものだ。      


( G o o d  m o r n i n g  s i r, D i r e c t o r /おはよ  

うございます、所長)                      

(土曜なのにすまないね。ロバート君)              


 彼の機嫌はそう悪くなさそうだが、この下衆な胴間声を聞くだけ

             ー2ー



で何とも嫌な気分になる。                     


(いえ所長、そんなお気遣いは無用に願います。          

 それより何か急用でも?)                   

(否、急用と言う訳でもないのだが、いい知らせだから少しでも早  

く君に伝えておこうと思ってね。                 

 昨日の夜急遽空席となっていた、執行事務局の副所長に就任する  

人物が決まったんだよ。                      

その旨長官から直々に内示を受けた。              

 そこで就任パーティを執り行おうと思うんだが、君には何として

も出席して貰わなくちゃね)                    


 さすがはヴァルチュアだ。持って廻った言い方をする天才だ。  

 そんなもの長官から直々に受けた内示でなんかあるものか。    

 恐らくはヴァルチュア自身が長官に提案し、その上で許可を得た 

内示なのだろう。                        

 まったく・・・・・いつもながらヴァルチュアのこうした言い廻  

しには辟易する。                      

 それに副所長に就任したのが誰なのかは、直ぐに分かった。     

 とは言え、ここは気付かぬふりをしてみせるのがセオリーだろう。     


(そうなんですか。で、どなたが副所長に?)           


 そうしてヴァルチュアの持って廻った言い回しに同調してみせる

自身にも、辟易を禁じ得ない。                      


(どうやら私は君の明晰な頭脳が働き出す前に、電話を掛けてしま  

ったようだ。                           

 子供はおろかワイフさえいない君に取っては、何時までも寝てい  

られるホリデーだと言うのに、無理に起こしてしまって申し訳ない。 

 もう少し眠らせてやりたいのは山々なのだが、しかしその前にだ。 

 少しだけ考えてみて欲しい。                  

 執行事務局の中で誰が一番優秀なのか、そして誰がその地位に最

も相応しいのかを。無論私を除いての話だが。          

 誰が新副所長に就任するのかと言った簡単な質問の答えは、直ぐ

に出て来る筈だよ。ナオヤ・ロバート・ハリカエ・ガートナー君。           

 君以外に新副所長に相応しい人間が、うちに居るかね?) 

        

 やはり何時ものように、さもありなんとでも言うべき予定調和の  

言葉の羅列が、彼特有の言い廻しで返って来る。               

             ー3ー



(えっ、そうなんですか。自分が?)                


 そして彼にも益してわざとらしく驚いて見せる自身の反応は、或  

いはヴァルチュアよりも尚、芝居じみている。               


(決まってるじゃないか。                   

 今回の君の仕事に報いるには、そのくらいのことが有って当然だ      

ろう。そうは思わないかい?

 とにかく明後日の月曜の夜、予定を空けておいてくれたまえ)     


 嬉しくも無い人事に喜んでみせるのは骨が折れるが、それも仕事       

のうちだ。

 尤も自身の中に混在する日本人の血が50%ではなく0%だった  

としたら、そんな気を遣わずとも済んだのかもしれないが。         


(何か信じられません。とても嬉しいです。感謝します所長)    

(私は何もしていないよ。君の実力だ)              

(いえ。所長が居られたからこその、今回の人事ですよ。      

 本当にありがとうございます)                 

(そう言ってくれて、私も嬉しいよ)                      


 と、ヴァルチュアが返してきた後に、ほんの一瞬だけ間が開いた。   

 この隙にどうしても訊かなければならないことがある。      

 今訊かなければ、永遠に機会を失ってしまうかもしれない愚問。      

 訊かずとも分かっている答えを訊き出す為の愚問だ。       

 しかしそうと分かっていても、やはり訊かねばなるまい。     

 この御仕着せの人事の意図するところは、何か。              

 それは私を永遠に黙らせる為の代償。或いは担保。       

 そう、何もかも分かっている。                 

 分かっているが、しかし私の決断が正しかったのかどうかを確認

する為、どうしても訊いておかなければならない。      

 

(そう致しますと所長。                     

 私が提出した今回のリポートは、所長始め長官もお認め戴いたと

思って宜しいのでしょうか?)              

(勿論。さすがはバーモント大の史学部卒だ。唯、・・・・・)                      

 

 やはりそう来たか。その先は、恐らくこうだ。      

『唯、今は公表しないでおこうと言うことになった。            

 何れその時期が来るまでは、伏せておこうと言うことだ』        

             ー4ー


 

そう、調査結果の隠蔽である。                 

 それは或る意味私の調査結果が正しかったと言うことを彼が、否、 

長官を始め上の連中も認めたのだと言うことに繋がる。      

 そしてほとぼりが醒める迄、私を見張るつもりなのだ。      

 私を黙らせて尚、DOEの組織内に閉じ込めておく為。    

 三十になったばかりの私を副所長に据え、籠の鳥にして飼う気だ。     

 

(唯、今は公表するのを止めようと言うことになった。          

 何れその時期が来ればまた公にすることもあるかも知れないが、  

今は何とも・・・・・ね)                                                                   


 自身の予測したのとほぼ同じヴァルチュアの言葉に、一瞬噴出し 

そうになるのを必死に堪える。                      


(そうですか。今はその方が良いのかもしれません。        

 それに私は飽く迄与えられた仕事を、黙々とこなすのみです。      

 何れにしろ今後は副所長として所長のバックアップに尽力する所

存ですので、宜しくお願い致します)                             

(君がそう言ってくれて、私も心強い。              

これからは長い付き合いになると思う。宜しく頼むよ、副所長)   

(いえ、こちらこそ。就任パーティを楽しみにしています。          

では、またあさっての朝)                    

(そうだね。ではあさっての朝)                 

(はい。では、失礼致します)                       


 電話を切った途端、胸中が黒い闇に覆い尽くされた。       

 まるで原子爆弾投下直後の、広島の空のように。         

 合衆国は百年前母の郷里の蒼穹を黒いきのこ雲で覆い尽して尚、  

今また日本人の血を受け継ぐ私の胸中をも真っ黒に覆い尽した。    

 公表しないとは思っていたがやはり改めてそう聞くと、私の中で

脈動する日本人の血が、逆流し奔流となって絶望の淵へと流れ込む。      


 一体マンハッタン計画国立歴史公園とは・・・・・。            


 私の生年から遡ること2年前の、2015年に設立が決定された  

マンハッタン計画国立歴史公園。                 

 名前こそ今も国立歴史公園だが、32年の月日が流れた2047

年の今、最早それはアミューズメントパークと何ら変わりない施設、

否、と、言うよりも、アミューズメントパークそのものに変貌を遂

げたと言えよう。                      

             ー5ー     

                

 

 そんなマンハッタン計画国立歴史公園を合衆国上下両院議会は、    

昨年の年末に民間企業へと払い下げる旨の法案を可決した。       

 その売却代金を莫大な社会保障費や軍事費に充てる、と、言う正  

当な理由が有るには有るが、歴史的に意味の有る国立公園を民間企    

業に払い下げるなど、短絡的と言えば短絡的に過ぎるだろう。    

 原爆投下を正当化し、また戦争の悲惨さを伝えることを極力避け、 

原子爆弾の製造方法やその威力を可能な限り楽しく、明るく、そし    

て子供達にも分かり易いようにした、その娯楽志向の展示内容。   

 或いは老若男女を問わず楽しめるアトラクションの数々。     

 近頃では力こぶを掲げ歯を剥き出しにして嗤う、「ミスターリト    

ルボーイ」なる原子爆弾を模した緩キャラが人気だ。        

 園内のあちこちで「ミスター・リトルボーイ」の着ぐるみを着た  

緩キャラが愛想を振りまく姿を、2015年設立当初の人達に見せ

れば何と言って驚くだろう。                

 あと数年で完成に漕ぎ着けると言うタイムマシーンに乗って、3    

2年前に溯ってみたいものだ。                  

 兎にも角にもマンハッタン計画国立歴史公園は、そうして著名な    

民間のアミューズメントパークにも引けを取らない、合衆国一の入  

園者数と売り上げを誇る国立公園になった。              

 またそれ等の運営方針については 合衆国の内外で賛否両論が有

ったものの、施設の存続をもっぱら入園売り上げに頼らざるを得な

くなっていたここ数年の予算不足の状況に鑑みれば、それも致し方

のないところだったのかも知れない。    

 しかしそう言った意味に於いては、原爆投下により亡くなった非  

戦闘員である無辜の広島市民の死を、或いは戦争の悲惨さを忠実な  

迄に再現しようとする広島の平和記念資料館の入館者数が年々減り      

続け、運営費を確保するのにも四苦八苦しているのとは全く逆だ。  

 とまれ設立から32年と言う月日を経た今、愈々マンハッタン計  

画国立歴史公園がDOEの手を離れ、民間企業の手に渡る時が来た。 

 来月中には土地家屋の引渡し等、総ての手続きが完了する予定だ。  


 半年前の秋口に今回の調査命令が私に下ったのも、そうした払い

下げ事業に際し、より原爆投下の正当性を高める為だったのだろう。 

 ヴァルチュアは最後迄口を割らなかったが、最初に命令を下した

のは大統領官邸で間違いないように思う。      

 過分に下された経費や私への報酬、果てはDOE執行事務局副所  

長の椅子まで用意するあたり、そう考えるのが妥当である。    

 それに賛成派の韓国系ロビイスト達を支援する為に、韓国国内の

世論を味方に付けようと言うのだから、そのくらいは安いものだ。                

 何となれば反対派の日系ロビイスト達を黙らせるには、日本人の

             ー6ー



天敵である韓国人を楯にするのが一番だからである。                          

 とは言えそうした場合一番の問題は、広島や長崎に在住していた

少なからぬ韓国人が被爆したと言うやっかいな事実の存在だ。        

 それが故に31年前のオバマ大統領の広島でのスピーチのように、

韓国の国民に対して謝罪の言葉を述べるか、それとも何か別の方法

を使うかして彼等を説き伏せる必要がある。    

 果たして上の連中が選んだのは、後者の何か別の方法だった。  

 それは韓国人の反日感情に訴えることで、他でも無い合衆国の原

爆投下の罪を日本に被らせる起死回生の一手。           

 つまり原爆投下に依る被害は直接で無くとも間接的には日本に責

任があり、日本のせいで自分達が被爆者になったと韓国人に思わせ

るよう仕向けると言うことだ。                    

 払い下げ事業の法案可決に際し、反対派は日系のロビイスト達だ

けなのだから、尤もな策ではある。                          

 その払い下げ事業の為に新設されたアミューズメントパーク運営  

会社の出資者に、少なからぬ韓国財閥系企業が名を連ねていること  

も、上の連中の配慮に依るものであることは言う迄もあるまい。  

 さすがに上の連中も日系企業に対し、「マンハッタン計画国立歴

史公園の民間払い下げ事業に出資しろ」とは言えないだろう。      

 そうした意味では、韓国人や韓国財閥系企業を抱込むのが妥当だ。  

 尤もそんなマンハッタン計画国立歴史公園の民間払い下げ事業自  

体については、とても妥当な判断とは思えないが・・・・・。      


 あれやこれやと考えを巡らせながら唇を噛み締めたとき、ふと、

窓を叩く雨音に気付きそちらの方へと歩み寄った。               

 この二階の寝室の窓の外には、ワシントンD・Cに従事する者の

ベッドタウンとして久しい、タコマパークの閑静な住宅街が臨める。         

 我が家もそんな街並みのうちの一棟であり、庭先のアーチにはド

ルトムントが色とりどりの花を咲かせていた。                

 そぼ降る雨に映えるこの庭を眺めることさえ出来なくなるとは、  

つい数ヶ月前迄は思ってもいなかった。                  

 そう言えばヴァルチュアに今後の私の運命を変えることになる、 

例の調査をするようオーダーを受けた日。             

 あの日も今日と同じように、雨がそぼ降っていた。        


 それは・・・・・広島に投下されたウラニウム活性実弾のリトル

ボーイに被爆、その翌日薨去した旧日本公族(朝鮮王族)の雲峴宮

李公鍝(うんけんきゅうりこうぐう)が、日本軍に依って無理矢理 

広島に本拠を置く第二総軍に配属、教育参謀として非業の死を遂げ

た件について極秘に調査をすることと、それと併せて第二総軍を原  

             ー7ー



爆投下に依って殲滅させない限り、太平洋戦争を終結することが出

来なかったことの決定的証拠を手に入れよとのオーダーであった。  

 つまり言い方を替えれば、李公鍝を日本のせいで被爆した韓国人  

の象徴に仕立て上げ、原爆投下を正当化する為の決定的証拠の入手  

を以て、日系ロビイスト達を黙らせる為に仕事をしろと言うことだ。                   

 何より腑に落ちないのは払い下げ事業の法案可決のずっと以前か

ら、既にネット上で恰も私に出したそれ等オーダーが事実であった

かのように、何者かが実しやかな風説を流布していたことだ。 

 恐らく首謀者は、私にオーダーを出した上の連中の誰かの筈。          


 それでなくとも百年以上もの月日を経て、原爆投下の悲劇が人の

記憶から消え失せようとしている今、その正当性を国際社会に浸透

させること自体は、そんなに困難なことではないだろう。                 

 やれハーグ条約の違反だとか、トゥルーマンが裁かれるべきだと

か、やはり原爆投下は人体実験だったとか、そう言って難癖をつけ

る日系ロビイスト達さえ黙らせてしまえば良いのだから。                         

 その為に戦後百年を経ても衰えない、韓国人の強力な反日感情を

利用する上の連中の考え方は、或る意味的を射ていると言えよう。        

 但し飽く迄それは、事実が上の連中の望む通りであった場合にの  

み叶えられることであって、そうでなければ事は成就しない。    

 そう言った意味ではそれ等風説の流布を、上の連中は何とかして  

現実にしてしまわなければならない必要に迫られていた。         

 畢竟私の提出するリポートも、上の連中の望む形でなければなら  

らなかったのだ。                      

 やはり今回のように上の連中の望む結果が得られなかった場合、  

私は調査結果を捏造すべきだったし、それが如何に正確な調査であ  

ってものままの状態で提出すべきではなかった。          


 真実を曲げてでも、それは・・・・・。             

 否、しかしそう言う訳には・・・・・やはり真実は真実なのだ。     

 そんな風にして、何度自問自答を繰り返したことか。       

 事実が上の連中の思惑とこう迄違わなければ・・・・・。     

 

 今落ち着いて考えてみれば、今回のリポートはとてもそのまま提 

出できる代物ではなかった。                  

 李公鍝が大韓帝國の復辟を企図し、自ら望んで第二総軍参謀の任  

に就いたことや、それを支援した彼と同期の陸士や陸大卒の陸軍省  

参謀や、第二総軍参謀が居たこと。

 或いはまた第二総軍を原爆投下に依って殲滅させない限り、太平  

洋戦争を終結することが出来なかった真相を、往時の米軍情報部が                   

             ー8ー 



把握していなかったことも・・・・・。                

 それ等の真実を公に出来る道理など無いのだ。              

 それは原爆投下が人体実験であったことを認め、そしてその時確  

かに存在した日本人と韓国人の友情を認め、更に原爆投下が無けれ 

ば朝鮮半島が南北に分断されずに済んだかも知れないと言う、上の 

連中の最も望まない結果を容認することにも繋がるからだ。     

 おまけに米軍情報部は無能だったと証明することにもなる。        

 私はそんなリポートを、馬鹿正直にそのまま提出してしまった。 

 何故? と、自問する自身に対し、合衆国の良心を信じたかった

と言う淡い期待を抱いたが故の愚行、と、自答するしかない。    

 私はその時払い下げ事業自体を中止にすることがなくとも、せめ

て原爆投下に依って起こった悲劇を一部だけでいい、DOEでそれ

とは別にスペースを確保して、展示してくれないものか、と。  

 そんな風に愚考を巡らせていたのだ。               


 そもそも第二総軍とは連合国軍の沖縄上陸6日後の、昭和二十年  

4月7日に広島に置かれた、本土決戦の為に設立された総軍である。 

 そして第二総軍の動員案は、陸軍省軍事課と参謀本部の編成課が

合体した動員下命組織の参謀等に依って起草された。   

 その参謀等の中に李公鍝と同期の陸士や陸大卒の者が少なからず

居り、驚くべきは彼等が互いに暗号文で手紙を遣り取りしていたこ

とだ。  

 朝鮮王族直系で穏健派の昌徳宮李王世子垠(しょうとくきゅう・  

りおうせいしぎん)と違って、傍系で本土決戦を支持していた李公  

鍝は、以前からそうした参謀等との親交が深かった。             

 調査の際先ずは向かった先の東京に於いて、李公鍝と陸士同期卒  

の所謂宮城(きゅうじょう)事件の主謀者であり、元陸軍省軍務課  

参謀の遺族から、彼等が遣り取りしていた手紙を数十通入手した。   

 しかしそれ等の手紙は何れも時候の挨拶や近況報告などに終始し

ており、軍の中枢を占める者の手紙にしては余りにも稚拙であった。

 そこで私は米国防総省の知己にそれ等が暗号文であった可能性と、

仮にそうだった場合の最新型AIによる暗号解読を依頼した。  

   

 そして翌日それが暗号文だったことと、その驚愕の内容を聞いた。 


 第二総軍としては帝國政府が仮に負けを認め終戦の結論に到った  

場合、兵力をして東京に攻め上り天皇を擁して新たに政府を建てる。 

 その際海軍軍令部の同志等と呼応、潜水空母伊号第四百潜水艦、  

並びに伊号第四百一潜水艦を以て、格納型爆撃機の晴嵐で米国西海

岸一帯に731部隊の開発した新型細菌兵器のボツリヌス菌を散布。           

             ー9ー    

       

 

 その後多数の米国人が死に至るに及び、太平洋艦隊が米本土へと

立ち帰る為日本海をがら空きにした隙を見計らって、勅状を携えた

李公鍝が第二総軍の一部を率いて朝鮮へと渡海。                     

 そしてその勅状には、彼の率いる軍と朝鮮軍並びに作戦地域を朝

鮮まで南下させた関東軍の一部とが合流した軍を朝鮮総軍と呼び習

わし、本拠地を京城(当時のソウル)に置いた上で、暫定的に司令

官を京城に転進していた秦彦三郎関東軍参謀長とし、参謀長を李公

鍝にする旨が記される予定であった。          

 また追っ付け新政府から締結済みの日ソ不可侵条約を拡大させ、  

ソビエトと新たに軍事協定を結ぶ旨の親書が朝鮮総軍の元に届く手  

筈で、その際ソビエトの協力が得られるのであれば彼の国と地続き

の満洲帝國の領地を総て彼等に差し出し、同時に満洲帝國皇帝愛新

覚羅溥儀をして、新たに北京を都とした大清帝國を建国する。         

 その際関東軍は満洲を去り、大清帝國に転進しそのまま駐留する。  

 そうして満洲帝國が消滅することによって連合軍は解体され、米

国は戦争遂行の大義名分を失ってしまう。              

 それに米国もボツリヌス菌をそれ以上散布されたくはないであろ  

うから、ソビエトを仲立ちに和平交渉も可能になると言う訳だ。   

 そのとき朝鮮の地に於いて宰相の座に就いた李公鍝は、李王世子  

垠を皇帝として日本より迎え、愈々悲願の大韓帝國復辟を果たす。    

 ここで注目すべきは李公鍝と愛新覚溥儀との決定的な違いだ。   

 溥儀が日本語も話せない日本音痴なのに対し、李公鍝は陸士陸大

卒の第二総軍参謀である。                      

建国当初は同じ日本の傀儡であったとしても、大清帝國と大韓帝

國の行く末は大いに違ってくる。  

つまり大韓帝國は宰相李公鍝の力量を以て、ゆくゆくは日本の植

民地でも傀儡でもなくなり、同盟国として独立出来る可能性が出て

来ると言う訳だ。   


 私はそれ等手紙の中に、「朝鮮王族として生まれて来たことで、

貴様が如何に苦労してきたかを、俺は誰よりも知っている。しかし

貴様が誰であったとしても、俺は貴様の友だ。何としても大韓帝國

を復辟しろ」と言う一文を見付けた。

 殿下と自分ではなく、貴様と俺で呼び合っていたのだ。 

 そして李公鍝もそれに応える。                

「貴様が誰であったとしても、俺も貴様の友だ。貴様が日本を救い、

俺が大韓帝國の復辟を果たした暁には、一晩中掛けて朝鮮の焼酎を

二人で酌み交わそう」、と。


またこれ等手紙が存在したと言う記録も、その暗号文を解読した

             ー10ー 

                    


と言う記録も、合衆国の情報機関には一切残っていなかった。

益してや李公鍝が自ら望んで第二総軍の参謀に就いたと言う記録

など、微塵も見受けられなかったのである。                         

 何より私に今回の調査依頼が来たこと自体、当時の米軍情報部が  

それ等の事実を把握していなかったことの、一番の証拠ではないか。

      

 李公鍝を始め本土決戦派の将校等は、宮城を枕に討ち死にすると  

見せかけて、わざと第二総軍に米軍の眼を惹き付けたのだ。  

 そうしておいてその実彼等は、最後の一手を用意していた。

 しかし事が成就しなくて日本人は幸せだったのかも知れない。 

 何故なら非戦闘員のアメリカ人を殺戮せずに済んだのだから。

 兎にも角にも本土決戦派参謀等の計画よりも、ほんの少しだけ合

衆国の原爆投下の方が早く為された。  

 結果原子爆弾に依って第二総軍は壊滅し、李公鍝は薨去した。         

 余りにも早い原爆投下だったが、トゥルーマンは合衆国国内の世  

論に応える為、莫大な開発費に見合う成果が欲しかったのだろう。

 なるべく早い時期に人体実験をして見せる必要があったのだ。 

 原爆投下により、放射能を浴びた人間がどうなるかを・・・・・。 

     

 調査の際東京から母の郷里の広島へと飛んだ私は、李公鍝が被爆  

し力尽きて倒れていたと言う、本川橋西詰めの地に立って誓った。     

 原爆投下の悲劇を、そして真実を伝えるよう全力を尽くす、と。  

           

 数日前に私がスマートピローを購入する際、このインペリアル・

パレスシリーズと言うブランドにしたのも、そう言う訳からだ。                 

 自身も宮城を枕に討ち死にする覚悟を決めたのである。          

 頭をスマートピローに預け、記憶開放モードのスイッチを入れる。 

 間も無く真実の情報を私の脳から読み取ったこのスマートピロー

のAIが、私の命令に従いネット上にそれ等を拡散させる筈だ。       


 少し眠ったように思ったのは、錯覚だったか・・・・・。     


 車のドアの開閉音がしたので、飛び起きて窓の方に歩み寄る。  

 玄関前にフルオートドライブの、EVワゴン車が停まっていた。

 その黒塗りのワゴン車から降りて来たのだろう、黒いスーツの男

達が数人、雨の中傘もささずに玄関の方にやって来る。                           

 恐らく裏口にも同じような車と、男達が・・・・・。        

 かねてより覚悟の上だが、思ったよりも早かった。        

 原爆投下が為されたタイミングよりも、或いは・・・・・。

                            (了)

             ー11ー


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宮城を枕に 松平 眞之 @matsudaira

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