第3話

 翌朝も、アリアは朝食を作って待っていた。


「パンが今日で最後だからさ。明日からどうしようかな」

「させてもらってばかりってのも悪いし、俺が作るよ」

「……うん」


 何故か、歯切れが悪い返事。

 しかしそのことはあまり気にせず、昨日決めていたことを話す。


「連日魔物を持ってきてもらって悪いから、今日は俺が魔物を狩りに出るよ」


 特に気負いなく、何の気なしに言ったわけだが……。


「だ、だめだよ!」


 アリアは今までになく大声で、否定してきた。


 ……何故だ?

 いや、その理由なんてすぐに思い当たる。


 ギルドでの苦い記憶。

 日々を忙しなく追われる理由。

 いいように使われる毎日。

 好転しない事態……いや……。




 ……何より……自分自身への失望。




「まさか、俺一人では魔物を倒せないから出て行くな、なんて言うんじゃないよな」


 思わず強い口調で言ってしまった。

 アリアは一瞬ぎょっとすると、目を泳がせる。……この、反応……図星か。


「そんなつもりは……そ、それに、凍らせてあるとはいえ狼の皮はすぐになめさないと腐っちゃうよ!」

「もう昨日のうちに作業は終わらせてある」

「そんな、だって、皮はそのために…………あっ」

「そのためにって……まさか」


 アリアの反応に、今までの出来事を理解して急速に頭に血が上る。


「とにかく、今日は俺が出る」

「ま、待って……!」


 必死さを滲ませる彼女の声を振り切り、部屋に戻って武器を引っ張り出して手に取る。

 最近はあまり使っていないが、もしもの時のために手入れはしてある、愛用していた武器。


 その武器を手に取り……アリアの先ほどの表情を思い出して、自己嫌悪に陥った。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 やって、しまった。


 昨日はあんなに仲が良かったのに、あれだけよくしてもらっていたのに……。

 昨日刺さったトゲは、今や毒を塗り込んだナイフとなって自分の胸に突き立っている。

 

 茫然自失の体たらくで……自分の部屋に戻る。

 目についたら、日課というより癖でつい持ってしまうダンベルにも、今はとても手を伸ばす気になれない。


 顔を合わせるのも気まずい。そう思っていると、隣の部屋から階段を降りて、家を出る扉の音が聞こえてきた。

 今すぐ声をかけないといけないのに、最後の会話を思い出して腰が引ける。

 引き留める勇気がない。




 静かになった家の中で……隣の部屋に入る。

 そこには、日記があった。




 私は、ラルフが書いた日記を、二日前から読み始める。


『今日は、珍しいことにこんな山奥に客人が来た。

 女性の一人旅のようだけど、男の家に一人で上がり込むなんて、危機感がないのではないかと心配になる』


 私は日記に書かれた文字を指でなぞりながら、口元を緩める。


「本当に、優しい人……」


 押しかけで泊めてもらって、実際に無防備な私に変なことを要求してきたりしないラルフのことを思い出す。


『魔物を狩ってきて、こちらに融通してきてくれた。

 自分で魔物をわざわざ狩るようにならなくなって、もう一年以上になる。肉を食べるのは本当に久々だ』


 可能性としては考えていたけど……そんなにずっと、食べていなかったなんて。


『彼女はやはり、強いのだろうか』


 ……。

 次のページ、昨日の日記は。


『アリアが狩った魔物は、マウンテンブラッディボアだ。昨日の狼は、あの銀の毛並みを見間違えることはない。ステルスアサシンウルフ、ここら辺りならBランクの魔物で間違いない』


 心臓が掴まれるような感覚。

 ラルフには、魔物の名前から討伐ランクまで、全部ばれていた。

 そうだ、彼はそういう人だった。


 続きを、恐る恐る読む。


『彼女はソロで討伐している。アリアは間違いなく、俺より格上の戦士』


 ……日記はそこから先、何か書こうとして消して、また何か書こうとして消して……結局日記の下半分を黒く塗りつぶすのみに終わっていた。




 ラルフ……彼のことは、分かっているつもりだったのに。

 私は、彼の心の傷のことを楽観視していた。




 黒く塗りつぶされたノートに指を這わせながら、私は七年前のことを思い出していた。


 ラルフという少年を初めて見たのは、彼が十四歳の頃。

 明るい少年だった。

 未来への希望にあふれた、英雄に憧れるいかにも男の子らしい男の子。


 しかし年々、彼はその表情を暗くしていった。

 理由は単純明快で、残酷。

 ラルフには、戦士としての才能がなかった。弱かったのだ。


 早い同期はCランクにも上がっていた頃、ラルフはようやくFからEに上がって魔物の討伐を担当できるようになった程度。

 当然実入りは少ないし、なめられもする。

 それでも彼は、憧れの英雄目指して真剣に頑張っていた。




 私が彼と初めて会話したのは、彼がEランクになってしばらく経ってから。


 ギルドランク絶対主義だった当時の私は、自分のCランクに誇りを持って仕事をしていた。

 しかし私は、ある日の依頼でポイズンタイガーに苦戦した。討伐後に、故郷の母からもらった帽子に穴が開いたことに気づいて、泣いてしまった。

 そのとき、たまたま近くを通りかかったラルフに声をかけられた。


 途切れ途切れ事情を説明する私。彼は帽子を手に取ると、無言で帽子の穴を縫いはじめた。

 そして処理に悩んでいたポイズンタイガーを綺麗に解体して皮をなめし、残った肉を凍らせてくれたのだ。作業をする彼は一生懸命……ではなく、余裕そうな無表情と、どんな職人でも見たことがないほどのスピード。作業はあっという間に終わった。

 お礼をしようにも、彼は『いつもやらされているし、大したことじゃない』とつまらなさそうに言って、見返りも要求せずに去って行った。

 私はその背中と元通りになった帽子を見比べながら、同僚のEランクを初めて理解し、同時に自分のギルドランクを表す銅のタグが急に色褪せて見えた。


 これが、私とラルフの初めての会話。

 そして……私の初恋。


 ラルフはその日もEランクの任務を受けていた。Dランクに上がる気配もないEランク相当の評価。

 私は任務達成の報告と同時に、貴重なポイズンタイガーの皮の仕上げを評価され、Bランクに上がった。

 私は必死にラルフのおかげだと説明したのに、取り合ってくれなかった。むしろ、ラルフを評価することを煩わしそうにしているようにすら見えたのは、私の気のせいだろうか。


 私はその日から、戦闘以外の能力も意識して鍛えるように……彼にために頑張るようになった。




 そして去年、彼がいなくなっている可能性に気づいたのは、受付嬢と揉め合いになっている同期を見つけたとき。

 急に納品した皮の査定額が落ちた同期は、納得できない様子で文句を言いまくっていた。どこもかしこも、ギスギスしている。

 もしかして、と思う私の予想を裏付けするように、ポイズンタイガーの解体を自信満々に言いふらした先輩の納品物が、解毒に失敗していた。

 不祥事の責任を先輩に押しつけるギルドマスターを見ながら、ああ、彼がいなくなったんだな、と私は確信した。

 同時に、ラルフのいなくなったギルドに対して、自分でも驚くぐらい一気に魅力を感じられなくなっていた。


 ギルドに対して、私はラルフの頑張りを……伝えることはしなかった。

 無駄だと思った。だから退会することにした。

 突然の私の決定に、受付嬢は随分と食い下がった。


『何故ですか、アリアさん! 他の方の調子が悪い今、あなたほどの実力者が抜けられると困ります!』

『調子、ね。私は自分に出来ないことを無理にやってないだけなんだけど。……ねえ、あなた……ラルフの時は引き留めたの?』

『えっ……? 引き留める人なんていなかったですけど……Eだし、当たり前、ですよね? って、待ってくださいアリアさんっ!』


 その返答を聞いて、私は受付嬢の声を無視するようにギルドを後にした。




 あれから半年。

 居場所を突き止めてようやく見つけたのだ。


「そうだよ、ようやくここまで来たんじゃない」


 私は、急いで部屋に戻ると立てかけてあった剣を手に取る。

 恐らく山奥、強い魔物の固まっている地帯にいるはず。


「絶対に、諦めたりなんてしないんだから……!」


 ラルフは、あの頃と変わっていなかった。

 器用さも、優しさも。

 そして……コンプレックスさえも。


 会って、ちゃんと謝ろう。

 私の独善的な行為が嫌われていたのなら、大人しく彼の元を去ろう。

 だけど、このまま私のせいで彼が危険な目に遭うなんてことがあったら、自分を許せそうにない。


 私は剣を担ぐと、家を飛び出した。

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