閑話 セシリアとメリッサの日常

「メリッサ、どうしましょう。どうしたら良いと思います?」

「落ち着いてください、お嬢様」

 セシリアが今日からすむことになったお屋敷の寝室。珍しく――といっても理由を考えれば当然だが、取り乱すセシリアを、メリッサは背中を撫でつけて宥める。


「お、落ち着いてなんていられません。だって、キスですよ、キス。レオンさんにキスされちゃったんですよ? 責任を取って、結婚しなくちゃいけないんですよ!?」

「ですから、落ち着いてください。あれはキスではなく、口移しです。ポーションを飲ませるのに必要だっただけなので、厳密にはキスじゃありません」


 口ではそういったものの、本心から出た言葉ではなかった。メリッサ自身もキスに含まれると認識していたからこそ、ポーションを口移しで飲ますことを躊躇ったのだから。


「うぅん……どうしましょう? やはり、家訓に従って結婚するべきでしょうか?」

 セシリアが独り言のように呟いている。

 その姿を見て、メリッサはおやっと違和感を覚えた。


 セシリアのような貴族令嬢は政略結婚をするのが当たり前なので、メリッサのように自由恋愛という考えを持っていないのは分かる。

 けれど、政略結婚は政治的に意味のある結婚、という意味だ。

 事故でキスをしたから結婚するという行為に政治的な意味は全くない。セシリアにとって、望まぬ結婚であるはずなのだが……

 あんまり……というか、まったく嫌がっているようには見えませんね。


 メリッサは思った。

 もしかしたら、もしかしちゃったりするのでしょうか、と。

 セシリアは貴族令嬢で政略結婚があたりまえ。それをメリッサは理解しているが、自身は自由恋愛を理解する平民なので、ちょっとお節介を焼いてみようなかという気になった。

 本来であれば、貴族令嬢が恋愛などしても、引き裂かれて終わるのが当たり前。

 悲しい結末になるのであれば、メリッサもお節介など考えない。が、ローゼンベルク家には最初にキスをした相手と結ばれなくてはいけないという家訓がある。

 セシリアにさえその気があれば、ハッピーエンドに至ることは不可能じゃない。


 それに、レオンが理性ある人物であることは、メリッサがその身を賭けて確認している。セシリアの幸せを考えれば、悪い選択ではないだろう。


 問題は……と考えたメリッサは「レオンさんは癒やし系のお姉さん好きみたいなんですよね」と呟いた。

 それが聞こえていたのだろう。セシリアが「どういうことですか?」と首を傾げる。


「えっと……いまのは失言です、忘れてください」

「忘れられる訳ありません。年下の女の子は趣味じゃないと言うことですよね?」

 セシリアの顔が悲しげに歪む。

 命を救われたからとはいえ、ここまで興味を抱いているなんてと驚く。そして、メイドとして、そしてずっと一緒にいた幼馴染みとして、なんとかしなくてはと必死に考える。

 セシリアがレオンより年下なのは見るからに明らかで、その事実は覆せない。

 だとすれば……と、メリッサは根底からひっくり返すことを思いついた。


「誤解です、お嬢様。レオンさんは癒やし系のお姉ちゃんのような人が好みだといっていた、と申し上げたかったんです」

「えっと……どう違うのかしら?」

「考えてみてください。お嬢様よりずっと年下の姉妹がいたとして、そのお姉ちゃんが妹の面倒を見ていたらら、優しいお姉ちゃんだと思いませんか?」

「それはたしかに、思いますけれど……?」

「そうでしょう」

 重要なのは実年齢ではなく態度だと言い聞かす。もちろん、外見を考慮すればその認識は崩れ去るのだが、ここでセシリアにその事実を気付かせるような暇は与えない。


「実際に年齢が上か下かは問題ないのです。重要なのは行動。お嬢様がレオン様と結ばれたいのなら、癒やし系のお姉ちゃんとして振る舞えば良いんです」

「わ、わたくしは別に、結ばれたいとは言ってませんよ? ただ、キスをしてしまった以上は、責任を取らないといけないかなと思っただけで……」

 ここまであからさまなのに、自分では気付いていない事実を微笑ましく思う。そして、だからこそ、自分がなんとかしてあげなければいけないと決意した。

 なにより、本家にはセシリアの命を狙っている者もいるのだ。政略結婚だってろくでもない相手を選ばれる可能性がある。

 そんな相手にセシリアを渡すくらいなら、レオンと恋愛をさせてあげたいと思う。


「お嬢様にとってレオン様は命の恩人ですし、責任を取って結婚する方向で考えましょう」

「や、やっぱりその方が良いわよね?」

「ええ。ですが、レオン様がそれを望むかどうかはまだ分かりません」

 むしろ、セシリアの気持ちが途中で変わる可能性を考えているのだが、メリッサはそれをおくびにも出さずに言い放った。

 そして、「そうですわよね……」としょんぼりするセシリアに「ですから」と捲し立てる。


「ひとまず、お嬢様はレオン様の年下のお姉ちゃんを目指しましょう」

「と、年下のお姉ちゃん……ですか?」

「ええ、年下のお姉ちゃんです。見た目は妹。ですが、しっかりしていて、年上の男の人を甘やかしてダメにする。それが年下のお姉ちゃんです」

「ダメにするのはいけない気がするんですが……」

「ここで言うダメとは、堕落させると言うことだから良いんです」

「いえ、堕落は余計にダメな気がするんですが……」

 セシリアが正論を口にする。

 だが、年下のお姉ちゃんを目指すためには、そのようなまともな考えではダメなのだ。メリッサは心を鬼にして、そんなことはありませんと否定した。


「セシリアお嬢様、想像してください」

「な、なにをですか?」

「お嬢様がレオンさんに膝枕をして耳かきをしたり、添い寝をしたりするんです。そして、レオン様がお嬢様の腕に抱かれながら、セシリアお姉ちゃんと甘えてくる姿を、です」

「堕落、良いですね。わたくし、頑張ってみます」

 物凄い変わり身だった。

 セシリアにはダメ男製造機の才能がありそうだ。



 驚くべきことに、セシリアはその日のうちにレオンの年下のお姉ちゃんになった。

 まさか、年下のお姉さんになって癒してあげます――なんて、あのお嬢様が真っ向からぶつかるなんて思ってもみなかったとメリッサは驚いた。

 だが、セシリアがそこまで頑張っているのだからと後押しをする。

 それに、継母のスパイがどこにいるか、実際にいるかは不明だが、セシリアが堕落したと思われるような行動は、継母にとっても都合がいい。

 だから、レオンさん、お前なに言ってるの? みたいな目で見るのは止めてください。こちらにだって事情はあるんです――と、メリッサは独りごちる。



 そうして、メリッサは当分、セシリアの淡い恋を見守るつもりだった。だが、そんなメリッサの考えは一瞬で打ち砕かれる。

 食事の後、セシリアに呼びつけられ、こんな風に聞かれたのだ。「癒やし系のお姉さんとして、わたくしはレオンさんになにをしてあげれば良いんですか」――と。

 そのときのメリッサはわりと動揺した。

 レオンが求める癒やし系のお姉さんは、恐らくは恋人というか、妻としての存在だろう。であれば、普通の姉がするようなことでないのはたしか。

 むしろ、ベッドで優しく誘うとか、それくらいの方向である可能性がたかい。メリッサはどう伝えるべきか、かつてないほど必死に考え込んだ。

 その結果――


「えっと、その、癒やし系のお姉さんは……ベッドで」

「ベッドで?」

「い、いえ、膝枕とか耳かきなんかをするんです!」

 結局、癒やし系のお姉さんというよりは、世話やきなお姉ちゃんという方向で説明する。

 けれど――


「分かりました、膝枕で耳かき、それに添い寝ですね」

「え、いえ、添い寝なんて言ってませんよ!?」

「分かっています。癒やし系のお姉さんの上級テクニック」

 なんですか、その怪しいのか健全なのか非常に微妙なのはとメリッサは混乱する。


「隠す必要はありませんよ。さっきベッドと口にしましたよね。そして、耳かきと膝枕と言えば、メリッサが子供の頃の私にしてくれたことじゃありませんか。あと、添い寝も」

「なるほど、そうきましたか……」

 一緒に育てられたため、メリッサはセシリアの姉のような存在でもある。そのメリッサの行動をトレースすれば、癒やし系のお姉さんになれると思っているらしい。

 違う、違いますよ、お嬢様。

 メリッサは内心で叫ぶが、もちろん口には出さない。

 もし事実を話してセシリアが夜の癒やし系お姉さんになって子供が出来たりしたら、再びセシリアの身に危険が及んでしまうからだ。

 だが――


「お、お嬢様、どこへ行くつもりですか?」

「どこって、もちろん、レオンさんに膝枕や耳かき、それに添い寝をしに、ですよ」

「いや、ちょ、待ってください。というか、その恰好で行くつもりですか? 相手は年頃の殿方、なんですよ?」

 そんな薄手の服で夜に男の寝室を訪ねる。

 色々アウトですよ――っ、メリッサは訴えかける。


「あら、なにを言うの。レオンさんはわたくしの弟。なにを気にする必要があるというの?」

「えぇ……」

「それじゃ、行ってくるわね。今日は戻らないから、貴方はもう寝て良いわよ」

「ちょ、お、お嬢様!?」

 メリッサが止める暇もなく、セシリアが部屋を出て行ってしまった。

 そうして一人残されたメリッサはぼんやりと考える。

 レオンが理性ある青年であることは間違いがない。だから、無防備なセシリアを襲うなんてことにはならないだろう。

 だけど、だからこそ――


「レオン様……どんまい」

 眠れぬ夜を過ごすであろうレオンを思い、メリッサは投げやりなエールを送った。

 

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