第6話 リーフ・フィリア

 リーフ・フィリア。

 エルフ族の少女――と言っても百年以上は生きているが、エルフとしては少女に分類される、人間で言えば十代後半くらいの女の子である。

 ただ、それはあくまで肉体年齢の話でしかない。百年以上の時を生きるリーフは、人間と比べれば精神的に成長しており、隔絶した能力を手に入れている。

 とくに回復魔法などはずば抜けており、森の聖女と称えられている。

 金糸のように煌めく、緩やかなウェーブの掛かった長髪。そして森の体現したかのような深緑の瞳と、豊かで柔らかそうな胸を持つ、誰にでも優しいお姉ちゃん。

 それがリーフ・フィリアである。


 だが、それは他人が勝手に生み出した虚像でしかない。

 彼女自身は、自分が誰にでも優しい女性だなんて思っていない。むしろ、そんな他人の評価を煩わしいとすら思っている。

 優れた回復能力でも優しそうな外見でもない、本当の自分を見て欲しいと願っている。

 リーフ・フィリアは孤独な女の子だった。



 そんなリーフはある日、天涯孤独な少年と出会った。

 その境遇を自分と重ねたリーフは、少年を傭兵団にスカウトして様々な技術を教え込む。

 少年はいままで出会った誰よりもサポート系に特化した逸材で、みるみるリーフの教えた技術を身に付け、傭兵団に多大な恩恵をもたらすようになる。

 脳筋集団と揶揄されていた深紅を改革し、トップクラスの傭兵団へと押し上げた。


 なにより、その少年――レオンは、ありのままのリーフを見てくれた。

 森の聖女ではなく、容姿端麗なエルフとしてでもない。ただ、自分を拾った恩人として、リーフのことを心から慕ってくれた。

 レオンはいつしか、リーフの孤独を埋めてくれる、大切な存在となっていた。


 だけど傭兵団の脳筋達は、レオンを便利な雑用係くらいにしか見ていなかった。本当なら、誰よりも評価されてもおかしくないほどに頑張っていたのに、だ。


 だから、どれだけレオンが頑張っているのか、みんなに知ってもらおうとした。けれど、リーフが庇えば庇うほど、レオンが甘やかされていると噂されるようになる。

 人をうわべでしか判断しない仲間に嫌気を覚えるようになった。


 そんなある日、ギルバートが提案をしてきた。レオンを指して、あんな役立たずのやつを置いておく必要はない。傭兵団を追い出すべきだ――と。

 もちろん、反論した。

 けれど、ギルバートは聞く耳を持たず、説得は不可能だと思い知らされた。

 だから、リーフは呆れ……そして、怒り狂った。自分達がどれだけレオンのもたらす恩恵を受けているか理解しようともしないで、一体なにを言っているのよ――と。


 そして、馬鹿な連中の意識を改善するよりも、レオンの働きを認めてくれる、どこか別の場所に行かせた方が本人のためになると判断する。

 ゆえに――


「恩返しはもう必要ないわ。だから、貴方はここから出て行きなさい」

 ――貴方はもう十分に、あたし達に恩を返してくれたのだから。


「……この傭兵団はレオンにふさわしくない。ただそれだけよ」

 ――こんな傭兵団よりも、貴方にふさわしい素敵な場所がいくらでもあるのだから。


 自分の心の内を隠し、レオンのことを突き放した。そうしなければ、義理堅いレオンは、いつまで経っても傭兵団を出て行こうとしないと理解していたからだ。

 だから――


「このご恩は決して忘れません。さよなら……リーフ、さん」

 大切な、大切な家族に告げられた決別の言葉も、歯を食いしばって受け止めた。




 それからわずかな期間で、本部の機能は麻痺を始めた。

 施設はゴミが散らかり、物資の補給が滞るようになったかと思えば、依頼の交渉がまとまらずに難航。更には、いままで当たり前のように食べていた料理までもが質を落とす。

 こんなことにまでレオンの抜けた影響が――と、誰もが実感せずにはいられないほど、傭兵団の状態は悪化していた。


 そんなある日、部屋の整理をしていると、扉が激しくノックされた。

「リーフさん、遠征の部隊が任務を失敗して帰還した。怪我人が多いから急いで来てくれ!」

「――っ、すぐに行くわ!」

 杖をひっつかんで大急ぎでエントランスホールへとやって来たリーフは、そこに広がる光景を目の当たりに、思わず顔をしかめてしまった。

 この数年で、最大級の被害。そう断じて差し支えないほど、重症な者が多かったからだ。


「まずは重症な者の傷を塞ぐわ! 魔力が全然足りないから、誰かマナポーションを持ってきて、ありったけよ!」


 リーフは回復力を高める杖を振るい続け、森の聖女の名にふさわしい働きを見せた。

 いつ死んでもおかしくない者達の命をつなぎ止め、命に別状がないレベルにまで回復させる。そして他の負傷者も、次々に回復させていく。

 数時間掛け、リーフはいまの自分に出来るすべてを為し遂げた。


「……はぁ、はぁ。なんとかなった、わね。あたしは部屋に戻るから、怪我人達をベッドに運んで、安静にさせておいて」

 魔力の使いすぎによる疲労にふらつきながら踵を返そうとする。その瞬間、完治していなかった怪我人達からざわめきが上がった。


「――なにを言ってるんだ、リーフ。俺の傷はまだ完治してないぞ。いつもみたいに、完治するまでちゃんと回復魔法を使ってくれよ!」

 中でも深手だったギルバートが詰め寄ってくる。


「……残念だけど・・・・・、あたしに出来ることはもう全部やったわ」

「だ、だが、現に俺の傷は……」

 表面上は回復しているが、違和感が残っているのだろう。不満そうなギルバートを見て、無知さに呆れてしまった。


「通常の回復魔法ではそれが限界よ。そんなの常識じゃない」

「だ、だけど、いままでは回復してくれてたじゃねぇか!」

「……それは弟くんがいたからよ。弟くんのサポートスキルがあったから、本来使うことの出来ないレベルの回復魔法を使うことが出来ただけよ」

 淡々と告げる。その言葉を聞いたギルバートが目を見張った。


「まさか、あのサポートスキルを使わせていたのか!?」

 ギルバートを初めとした男達がざわめく。

 レオンのサポートスキルの恩恵を受けたときの感覚を考えれば、リーフに入れ込んでいる男達が騒ぐのは分からなくはない。

 男達がレオンを追い出したのは、それを阻止するためという部分もあった。

 リーフにしてみても、男達の言いたいことが分からない訳じゃない。分からない訳じゃないけど……と、深いため息をつく。


「どうして、今頃になってそんな顔をしているのかしら? あたしが回復魔法を使うときは、いつも弟くんを同行させていたし、弟くんのおかげだとも言ったはずよ」

「それは……でも、魔力を融通してもらってただけだとばかり……」

「……呆れたわ。あたしは、何度も言ったはずよ」

 それをレオンに戦闘をさせないための建前だと聞き流し、レオンを追い出そうと画策したのはギルバート達である。

 同情の余地はない――と、リーフは一刀のもとに斬り捨てた。


「だ、だけど、リーフだってあいつを追い出すことに賛成したじゃないか!」

「それは貴方達が聞く耳を持たず、弟くんを評価しなかったからよ。そんな傭兵団に弟くんがいる必要なんてない。だから、弟くんのためになると思って賛成したのよ」

「――なっ!? なら、リーフが俺に賛成したのはあいつのためだったって言うのかよ!?」

「……他になにがあるっていうの?」


 ギルバートが絶句する。他の男達も似たような反応だ。

 あたしの内面を見ようともしない。回復能力や容姿しか見ていないような男に、あたしが味方をするはずないのに――と、リーフが心の底から呆れた。


「いまの深紅の現状を見れば、貴方達にだって弟くんがどれだけ頑張っていたのか分かるはずよ。貴方達が全力を出せるように、弟くんはずっと一人でサポートをしていたの」

「サポートがなんだって言うんだ! 傭兵団に必要なのは戦闘力。深紅が最強なのは、俺達が強いからだ!」

「貴方達の強さはもちろん認めているわ。でも、この数年で深紅が最強と呼ばれるようにまで成長した理由の一端は、弟くんの支えがあったからよ。その弟くんを手放したいま、深紅はいままでのように立ちゆかない」

「そんなことあるか! 俺がいる限り、深紅はこれからも最強の傭兵団であり続ける!」


 リーフの言葉に、ギルバートが反論するが、心当たりのある者もいるのだろう、一部の者は苦虫を噛み潰したような顔をする。


「……認められないのならそれでも良いわ。どうせ、あたしには関係ないもの」

「関係ない、だと?」

「ええ。あたし、数日中に深紅を脱退するから」

「――なぁっ!?」

 予想外だったのだろう。ギルバートは悲鳴じみた声を上げ、エントランスホールに集まっていた仲間がざわめき始める。


「静まれっ!」

 鋭い声が響き、ガッシリとした男がリーフの前に出てくる。

 深紅をとりまとめる団長である。


「リーフ、本気で深紅を抜けるつもりなのか?」

「もちろん本気よ。あたしがいままで深紅に留まっていたのは、弟くんがいたからだもの。止めたりは……しないわよね?」

 リーフが逆に問い返す。その場にいた者達は固唾を呑んで成り行きを見守るが、大方の予想に反して、団長はため息をついた。


「お前は、探していたモノを見つけたんだな?」

「ええ、そうよ。聖女としての優れた回復魔法でもなく、エルフの整った容姿でもない。本当のあたしを見てくれた。弟くんはあたしにとって初めての相手だもの」

「……そうか。なら止めることは出来ないな。最初から、そういう約束だったからな」

「ちょっと意外ね。もう少し、引き留められると思ってたわ」

「ギルバート達がレオンを追い出そうとしている時点で予想はしていた結果だからな」

「気付いてたのなら、なんとかすれば良かったのに」

「俺がいくら言っても仕方がない。ギルバート達が自分で気付くべき問題だからな。俺は所詮、戦うことにしか能がない人間なんだ」


 リーフは苦笑いを浮かべる。

 それが団長の欠点であると同時に、長所でもあることを知っているからだ。


「ところで、お前はいくつか、指名の依頼を受けているんじゃないのか?」

「そっちはもう片付け終わったわ」

 団長の言うとおり、リーフは森の聖女として大きな依頼をいくつか受けていた。レオンが傭兵団を抜けてもリーフが残っていたのは、それらを片付ける必要があったからだ。

 そして、ようやくそれらに片がついたので、もうリーフを縛るモノはなにもない。


「……弟くんと出会えたのは、団長のおかげよ。団長があたしを仲間に誘ってくれたから、弟くんと出会うことが出来たの。だから……ありがとね」


 リーフが森の妖精にふさわしい微笑みを浮かべる。それに対して団長が苦笑いでなにかを呟くが……リーフがその言葉を聞き取ることは出来なかった。


「ところで、どうやってレオンを探すつもりだ?」

「大丈夫、行き先は把握しているから。……弟くんに伝言があるのなら伝えるけど」

「……俺が謝罪したところで、あいつは喜ばないだろ」

「謝罪はともかく、なにか言って上げたら? 弟くんはあたしだけじゃなくて、団長にも恩を返したいって、いっつも言ってたから」

「……そうか。なら、一つだけ伝言を頼む。『お前は良くやってくれていた。もう、十分すぎるほど恩を返してもらった』と、そう伝えてくれ」

「……分かった。それじゃ……あたしは今日のうちに旅立つわね。いままでありがとう」

 リーフは極上の微笑みを残して踵を返す。


「ま、待ってくれ、リーフ!」

 ギルバートの必死な呼びかけに応じ、足を止めて静かに振り返った。


「まだなにか用かしら?」

「せめて俺の怪我をちゃんと治してくれよ! このままじゃ後遺症が残っちまう。そうしたら、俺は以前のように戦えなくなっちまう!」

「……さっきも言ったけど、いまのあたしには無理よ。ここに弟くんがいたら、貴方をちゃんと治して上げることも出来たんだけど……本当に残念・・・・・・、ね」


 少しも残念そうな顔をせずに言い放った。その表情はまさに「貴方が弟くんを追い出したから、こんなことになったのよ?」と物語っていた。

 実際、リーフに頼らずとも、高いお金を支払えばなんとかする手段はいくつかあるのだが、そこまで説明する義理はない。

 というか、団長は知っているはずだ。

 それを団長が説明しないと言うことは、お灸を据える意味もあるのだろう。

 そう理解したリーフは今度こそと踵を返し、絶句するギルバート達を残してエントランスホールを後にした。



 その後、部屋に戻ったリーフは、傭兵団を抜けて旅立つ準備を再開する。

 そうして荷物を片付けながら、レオンのことを思い浮かべた。


 傭兵団から追い出したのは、レオンのためを思ってのことだ。けれど、リーフの行動がレオンを傷つけたことには変わりない。

 はたして、レオンは許してくれるのだろうかと不安に思う。

 だけど……許してくれなければ、許してもらえるまで努力するだけだ。リーフにとって、レオンはそれほど大切な相手なのだから。


 だから――と、リーフは自らの豊かな胸に手のひらを押し当てる。

 探知の魔法を使い、レオンに餞別として贈ったなめし革の袋に仕込んだ、ビーコンの位置情報を探り……リーフはきゅっと唇を結んだ。


 ……待っててね、あたしの大切な弟くん。

 どこにいても、絶対に見つけてあげるから。だから、あたしが迎えに行くまで、他の女の子をお姉ちゃんにしたりしちゃ、ダメ、なんだからね?

 

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