第2話 辺境に封じられた彼女
どこかの田舎町でのんびり暮らそうと旅をしている途中、大怪我を負っていたお嬢様の命を救った。そのお礼にお屋敷に招いてくれるとのことで、俺は馬車に同乗させてもらっていた。
「わたくしはセシリア。セシリア・ローゼンベルクと申します」
馬車が走り始めてほどなく、向かいの席に座っているお嬢様が口を開いたのだが……俺はぽかんと口を開いてしまった。
プラチナブロンドのさらさらロングに、吸い込まれそうな青い瞳。ドレスは破けて血で汚れてしまっているけど、生地が高級であることは見て取れる。
身なりからしてどこかのお嬢様だとは思っていたけれど……ローゼンベルクと言えば、貴族も貴族、この辺り一帯を収める公爵家の家名である。
「まさか……あのローゼンベルクなのか?」
「ええ。わたくしはローゼンベルク公爵家の長女です」
「……それは、知らぬこととは言え失礼を致しました、セシリア様」
慌ててかしこまる。貴族に無礼な口を利くなんてろくな結果にならない。そう思ったのだけれど、セシリアは止めてくださいと困った顔をした。
「貴方はわたくしの命の恩人ですから、そのようにかしこまる必要はありません。どうか、わたくしのことはセシリアと呼び捨てにしてください」
「いえ、そのような無礼は出来ません」
目上の人に、かしこまる必要はないと言われても鵜呑みにしてはいけない。それは、寛容な対応を見せたという建前なので、鵜呑みにすると酷い目に遭う。
そう思ったのだけれど――
「無礼なんかじゃありません。恩人である貴方をかしこまらせてしまっているいまの方が失礼に当たります。ですから、どうか普通にお話しください」
普通の女の子のような無邪気さで詰め寄ってくる。セシリアが建前を言っているようには見えなかった。
念のためにメリッサの顔色をうかがうけど、こっちも咎める様子はない。
「……良い、のか?」
「はい、もちろんですわ」
つぼみが開くように微笑んだ。
不覚にも、そんな年下のお嬢様に見惚れてしまった。貴族なんて横暴な連中だと思ってたけど、セシリアみたいな娘もいるんだな。
「分かった。なら、セシリアって呼ばせてもらうな」
現時点では心を許した訳じゃなく、ただお嬢様の機嫌を損ねない方が良いと思っただけ。だけど、セシリアはどことなく話しやすいと感じたのも事実。
「それで、貴方のお名前を聞かせていただけませんか?」
「――っと、そうだった。俺はレオンって言うんだ」
「レオンさんですか、良いお名前ですね」
「ありがとう、セシリアって名前も良い名前だと思うぞ」
両親が残してくれた唯一の名前(モノ)を褒められて嬉しくなった俺は、同じようにセシリアの名前を評価する。その瞬間、セシリアが寂しげに微笑んだ。
なんか失言だったっぽい。
理由までは分からないけれど、傭兵団で培った勘に従って話題を変えておこう。
「ところで、いま向かっているのは、ローゼンベルク家の別荘かなにかなのか?」
「いえ、わたくしがこれから住むお屋敷があるんです」
「……これから住むお屋敷?」
この街道の続く先にあるのは、ローゼンベルク公爵領の僻地も僻地。俺が住みやすそうな田舎町を探すのに、候補として選んだ辺境である。
そんなところに住むってどういうことだろうと首を傾げる。
「実は……少し前にお母様が亡くなってしまって。落ち込んでいたわたくしに、継母のイザベラさんが、静かに暮らせるようにと領地を用意してくださったんです」
「そ、そうなんだ……」
きっと、田舎でのんびり過ごして、悲しみを癒やせるようにって配慮してくれた、優しい優しい継母なんだな。
現実逃避の使用可能なポイントが増加しました。
……………………いや、分かってるよ。分かってるけど、どう考えても、継母の陰謀だろとか言える空気じゃないだろ。
メッセージログのくせに現実を突きつけるのは止めろ。
隣に座るメリッサは唇を噛んでいるし、どう考えても触れちゃダメな話題だった気がする。もう一度話題をチェンジで――と思ったのだけれど、セシリアは話を続ける。
「とても穏やかで住みやすい土地と聞いていて、楽しみにしているんですよ」
「へ、へえ……」
なにもいえねぇ。
スローライフを送るための候補地として選んだ土地なので、穏やかで住みやすい土地なのは事実。だけどそれは、俺みたいな一般人にならという話だ。
決して、育ちの良いお嬢様にとって暮らしやすい土地ではないはずだ。
「それで、わたくしがその地の代官を任されたのですが……内政を指揮する経験がなくて、とても不安なんです」
「へぇ、セシリアが管理をするんだ?」
セシリアは不安そうだけど、自分の暮らす地を思うままに改革できるのは楽しそうだ。傭兵団の管理によって様々な知識を培った自分なら、なにか役に立てるかも知れない。
けど、命を助けたお礼に内政に関わらせてくれ……とは、さすがに言えないよな。
会話のとっかかりはそんな感じで、その後は雑談に花を咲かせながら馬車の旅を楽しんだのだけど……楽しいのは最初だけだった。
辺境の田舎町が見えてくるにつれて、セシリアの表情が暗くなっていったのだ。
そして、ついに――
「ほんとうは、分かっていました。わたくしは、お屋敷から追い出されただけなんだって、分かっていました。でも、家族に捨てられたなんて、信じたくなくて……」
青い瞳から、とめどなく涙をこぼした。
たどり着いた地が、町と呼ぶのもおこがましい、寂れた田舎だったから、自分をごまかせなくなってしまったのだろう。
「お嬢様、泣かないでください。私も非才の身ですが、精一杯お嬢様のサポートをしますから。どうか、気をしっかり持ってください」
「ごめんなさい、メリッサ。わたくしのせいで、貴方にまでこのような地に」
「良いんです。お嬢様についてきたのは私の意志ですから」
不安に震える少女を、メリッサが優しく抱き寄せる。そこには主従以上の絆があるように感じられた。
ただ、そんな風に悲しむのは早計だと思う。
「俺は良い土地だと思うぞ」
「……え?」
セシリアと、そしてメリッサまでもが驚いた顔をする。いや、メリッサに至っては、この状況でなにを言い出すつもりです? と咎めるような顔にも見えるが。
「たしかに寂れていて、活気もあまり感じられないけど、近くに深い森や水量豊かな川もある。なによりも季候が穏やかな地域だし、決して住みにくい地じゃないはずだ」
なにしろ、俺があらたな人生を送る第一候補地として選んだ場所だ。どうしようもなく田舎であることは否定できないけれど、決して住みにくい場所じゃない。
それに、発展していないと言うことは、真っ白な状態であるとも言える。その気になれば、ローゼンベルクの直轄領に匹敵するほどの街にだって発展させられるはずだ。
「セシリアの継母がどういうつもりでこの地を選んだのかは知らないけど、嫌なことを忘れて、穏やかな日々を過ごすことは可能だと思うぞ?」
「……レオンさんは優しいんですね」
小さく微笑んだのは……慰めたと思ったから、かな。
もっとも、俺だって傭兵団であれこれ学んでいなければ、こんな風には思わなかっただろうから、信じてもらえなくても無理はない。
セシリアが少しだけ笑顔を浮かべたので良しとしておこう。
そんなこんなでお屋敷に到着した。セシリアに仕える使用人が先行して暮らしているそうで、総出で俺達を出迎えてくれる。
総出――とは言っても、執事が一人に、メイドがメリッサを合わせて三人。護衛の騎士は同行していた人を合わせて五人だけ。
公爵令嬢のお屋敷としては、ありえないくらい人員が少ない。
もっとも、お屋敷の方も、お世辞にも公爵令嬢の住まいとは思えないけれどな。
それはともかく、血まみれで破れたドレスを着ていたセシリアは、身だしなみを整えると言うことで、メイドに連れられて退出していった。
それを見届けた後、俺はメリッサ案内されて客間へと連れて行かれた。最低限の体裁は取り繕っているけれど、公爵令嬢が住む屋敷とは思えないボロボロの部屋だ。
「このような部屋で申し訳ありません」
「いや、部屋を貸してくれるだけでもありがたいよ」
「そう言ってくださると助かります。お湯を張った桶を用意するので、少しお待ちください」
メリッサはそこで言葉を切ると、佇まいをただした。
「お嬢様を救ってくださってありがとうございました。私に出来ることなら、どんなことでも致しますので、いつでも申してください」
「気にしなくて良い。それに、お礼はセシリアがしてくれるそうだしな」
「恩を感じているのは私ですから、お嬢様は関係ありません」
「そうか……なら、なにかあったらお願いするよ」
「はい。是非そうしてください」
メリッサはメイド服の裾を摘まみ上げ、柔らかな微笑みを浮かべた。
セミロングの赤髪を後ろで束ねている。澄んだ金色の瞳で俺を見つめるメリッサは少し年上、二十代半ばくらいだろうか?
セシリアに負けず劣らずの整った顔立ちで、メイド服を押し上げる胸はセシリアを遥かに凌ぐ。メイドであることを考えると、性格も癒やし系である可能性も高い。
非常に魅力的なお姉さんである。
……このお姉さんが、恩返しにどんなことでも……ごくり――なんて思っていたら、メリッサがきゅっと唇を固く結んだ。
もしかして内心がバレたのかと、ちょっとだけ焦る。
「本当は、恩人である貴方に聞くべきことではないんですが……」
「……うん? なんか知らないけど、気になることがあるなら聞いて良いぞ」
「ではお言葉に甘えて。……レオン様の真意を教えてくださいませんか?」
「俺の真意?」
「ええ。最初は立ち去ろうとしていた貴方が、急にお屋敷に同行することにした。その理由を知りたいと思いまして」
「あぁ……そういうことか」
お礼なんて必要ないと言っていたのに、セシリアに懇願されて手のひらを返した。なにか悪いことを考えているのではないかと危惧しているのだろう。
「心配しなくても、他意はないさ。ただ、俺には恩返しをしたいって気持ちが良く分かるから、セシリアの気が済むようにさせてあげたいって思っただけだよ」
信じてくれるかは分からないけどな――と言ったニュアンスを込めて見ると、メリッサも俺の顔を見つめてくる。
真意を探ろうとしているようだけど、やましいところは全くない。という訳で、その視線を真っ正面から受け止める。
「……もしお嬢様に危害を及ぼすつもりなら、たとえ恩人といえども容赦はいたしません」
メリッサは鋭い意志を秘めた声でそう言い放った。
だけど次の瞬間、メイド服の裾を摘まんでふわりと微笑む。
「――ですから、もしなにかあれば私に言ってください。貴方は私にとっての恩人ですから、私になら、なにをしたってかまいません」
不埒なことをするのなら、お嬢様ではなく自分に――という意味。
だから――
「俺のタイプは癒やし系のお姉さんだから、そんなこと言うとご奉仕させちゃうぞ?」
「え? そ、そうですか。レオン様がお望みになるのなら……えっと、その……」
メリッサは真っ赤になってうろたえる。どうやら口だけで、その手の耐性はないらしい。
「冗談だ。俺はそんな鬼畜じゃないから安心しろ」
笑って水に流す。それは本当に軽い冗談のつもりだった。だから、そのやりとりがセシリアにあんな影響を及ぼすなんて、このときの俺は思ってもみなかった。
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