第2話 ヒロイン、冒険者になる


「うっ、お腹空いた」


 ついさっきまでパーティー会場にいたのに。

 豪華な食事やスイーツ、一流の音楽に囲まれて王子様から正式に「恋人になってくれ」と頼まれるイベント。

 婚約破棄を言い渡された悪役令嬢は逆上して会場を立ち去り、翌日からますますヒロインへの虐めを加速させていく——!


 はずだったのに!


 なぜ?

 なぜ、わたしは春の寒空の下、たった一人でドレスのまま海を眺めているのかしら。

 所持金は銅貨が三枚。

 明日はアルバイトの予定を入れているから、それさえこなせば日給が入る。

 でも、今日は宿には泊まれない。

 どうしたらいいんだろう。

 漂ってくるのは港の側の歓楽街でやっている屋台や食事処の匂い。

 く、くそぅ、お腹空いたぁ。

 パーティーでもっと食べてくれば良かったぁ。


「……うっ」


 ガヤガヤと男たちが歓楽街から出てくるのが見えた。

 ここは人気も少ないし、王都の町の中でもあまり治安がいいとは言えない。

 そこにドレスを着た若い女が一人……。

 ヤバイ、変な奴に見つかったら売り飛ばされる!


「……なんでわたしがこんな目にっ」


 カバンを持ち上げ、真っ暗な海を睨みつけてから歓楽街より離れて大通りに戻る。

 こうなったら仕方ないわ。

 わたしが向かったのは冒険者が集まる建物。

 そう、いわゆる冒険者ギルドというやつよ。

 侍のような格好の人や、武将みたいな人がわんさか酒を煽っている夜のギルドはとても怖い。

 怖いけど、このまま野宿するのはもっと怖い。

 背に腹は変えられないわ。

 きっと、きっとゲーム補正的な力で王子様が迎えに来てくれるはずだ。

 そう思って扉を開く。


「うっ!」


 酒くさー!


「ん?」

「なんだなんだ、どこぞの令嬢か?」


 赤い顔をしたおっさん冒険者たちにジロジロ見られ、ニヤニヤ声をかけられる。

 ああ、サイテー!

 悔しさに顔を歪ませつつ、受付に一直線。


「いらっしゃいませ」


 おや、受付はイケメン……。

 目の保養だわ。


「あ、あの、今夜一晩酒場の給仕として働かせてもらえませんか?」

「? ……」


 受付のお兄さんはわたしの姿を見て、それから依頼を聞き、また格好の確認をした。

 それからカウンターの斜め横を見て、またわたしに向き直る。


「いいですよ。でも、その格好では働けないので奥で着替えてください。マーサ!」

「はいよ! ……なに、って、なんだいこの子?」

「今夜働きたいんだってさ。お前の服とエプロンを貸してやってくれ」

「ああ、構わないよ。なんかワケありなんだね」

「……す、すみません」

「いいって事よ。さあ、おいで」

「ありがとうございます」


 やはりギルドに来て正解だったわ。

 深く事情を聞かれる事もなく別室に案内されて、着替えを借りられた。

 着替えを貸してくれた女性はマーサ。

 喋り方は豪快だけど、まだ若い。

 受付にいたイケメンはマックス。

 二人は姉弟で、父親がここのギルドマスター、母親が酒場のマスター。

 すごい一家だわ。


「荷物はここに置いておいても構わないよ。部屋には鍵がついてるから、心配だったらかけておいてあげる」

「あ、ありがとうごさ……」


 ぐううう。

 空気を読まないお腹の虫が盛大に、鳴いた。

 ケタケタ笑ったマーサは「その前に腹ごしらえが必要そうだね」と言って厨房からチャーハンを持ってきてくれる。

 差し出された湯気のほかほかのそれに、思わずよだれが垂れた。

 い、いかんいかん!

 ヒロインとしてあるまじきだわ!


「さっさと食べちまいな。どこぞのお嬢様の口には合わないかもしれないけどね」

「そ、そんな事ありません! あ、あの、でも、お金は……」

「これから働くんだろう? もちろん天引きさせてもらうよ」

「……、……ありがとうございます」


 手をひらひらさせて出て行くマーサ。

 早速木のスプーンを手に取り、木皿に盛られたチャーハンに突き刺した。

 ほかぁ、と湯気が目の前に広がり、香りが溢れる。

 お米の一粒一粒が輝いていて、早く食べてって言ってるみたい!

 細かく切られた野菜やお肉もツヤツヤしている。

 あ、あぁ……美味しそう……!


「い、いただきます!」


 誰もいない部屋で、そう呟いて口に入れる。

 まず感じたのは熱。

 出来立てのほかほか具合、最高。

 甘い。

 そして少ししょっぱい。

 豚肉の味。

 野菜の食感。

 米の甘みと調味料とのハーモニー。

 一粒一粒がそれらを全部まとってダイレクトに口の中で踊っている。

 ひと噛みひと噛みで味が口の中にじんわりと広がり、幸福感で脳が満たされていく。


「おいしぃ……」


 良かった……ご飯が食べられた。

 体がそう叫んでいる。

 もう一口、もう一口、止まらない。

 あっという間にお皿は空っぽ。

 本当に美味しかった。

 それに、なんだか懐かしい。

 学園の食堂は当たり前に美味しかったけれど、どれも高級な料理と競い合うようなテーブルマナーの自慢が行われていた。

 わたしは庶民派ヒロインとしてあまりテーブルマナーは気にしなかった……フリをしていたけど。

 だってそういう設定なんだもの。

 それを悪役令嬢が嫌味たっぷりに注意するのよ。

 それなのにアンリミリアときたら、やんわりと「ご一緒してもよろしいですか?」とか言っちゃって、親切にテーブルマナーを一つ一つ教えてきてさ。

 知ってるっつーの。


「…………」


 そんな食事ばかりで味が思い出せない事に気がついた。

 美味しかった、とは……思う。

 けれど……。


「……っ」


 首を振る。

 食べ終わったら木皿とスプーンを厨房に持っていった。

 厨房の中にはものすごいマッチョなおじさんが中華鍋を振っている。

 な、なんて無駄な筋肉。

 い、いや、チャーハン美味しかったけれども!?


「おかわりか?」

「あ、いえ! 大丈夫です、ごちそうさまでした!」

「ゴルドンだ。マーサの夫」


 夫ぉ!?


「ちょうどいい、溜まった食器を洗ってくれ。ホールはマーサが回すだろう。どうせ連中は酒しか飲まんから一人で足りる」

「は、はい!」


 ……どうやら気を遣ってもらったみたい。

 裏方仕事に徹する事が出来て、荒くれ者どもの相手をせずに済んだ。

 店が閉店するのは朝五時。

 かなり長い時間やっていて、希望者は二階の宿部屋を利用出来る。

 もちろん有料。

 しかし一階がこのように喧しい上、狭い部屋にベッドがカーテン区切りでぎゅうぎゅうの、本当に仮眠を取るだけの部屋なので普通の宿よりも格安。

 三階はシングルやツインの部屋もあり、四階は三人、四人、五人……六人部屋まである。

 大人数パーティー用ね。

 五階がギルドマスターの家族の自宅。

 大きな建物だとは思ったけど、こんなに凄かったとは。

 ……そして、朝の五時。

 仕事が終わってくたくたのわたしは一階の応接間に呼ばれた。

 応接間にいたのはマーサさんと、ソファーに座る偉そうなおじさん。

 も、も、もしかして……。


「お疲れさん! 今夜の給料だよ。飯代は引いてあるからね」

「あ、ありがとうございます」

「それで? 随分身なりのいいお嬢さんだったそうだが、どんな事情でギルドに来たのかね?」

「うっ」


 重ねた手に顎を載せた一見紳士はいい笑顔で聞いてきた。

 ま、まあ、そうですよね。

 やっぱりドレスで入ってきた歳若い娘が「働かせてください」なんて言ったら事情の確認はされるわよね。


「話したくないなら構わないよ」

「! マーサさん……」

「アテがあるならそっちに行った方がいいだろう。けど、ないんなら相談しな。悪いようにはしないし、希望は最大限に聞いてやるようにするよ。食い逃げもせず、飯代分はきっちり真面目に働いて……アンタはいい子みたいだからね」

「……っ」


 いい子……。

 そんな事……お母様以外に言われた事なかったかもしれない。

 わたしよりも少しだけ歳上なのに、お母様のような懐の深さ。

 わたしは、事情を話す事にした。

 アテはないし、確かにこのままじゃどうしていいのか分からない。

 実家には帰れない。

 学園からも追い出された。

 ヒロインとして、王都を離れるわけにはいかない。

 きっと、きっと殿下は迎えにきてくれるはず。

 だってわたしは——ヒロインなんだもの!

 ……そうじゃなかったら、どうしたらいいのか。

 わたしはヒロイン……それは、わたしの……唯一の——!


「なるほどねぇ。あのフォトン男爵の……」

「グネード・フォトンの娘だったのか、君。いや、すごいな」

「そ、そうですか?」


 わたしはあの頑固親父が世界一嫌いなんですけどね。


「ふむ、それならこちらとしても面倒は見よう。マーサの店で働いてお金を貯めるか、ギルドで昼の受付仕事をしてもいい。『祝福』が使えるなら『ヒーラー見習い』として冒険者登録をするのもいいかもしれないな」

「冒険者……ですか? わたしが?」


 冒険者。

 この世界で自由に生きる権利を持つ者たち。

 酒場にいた奴らはほとんど冒険者ね。

 ……『風鳴りの大地』の攻略対象にも冒険者のイケメンがいたけれど……隠れキャラなので多分わたしは出会えないと思っていた。

 もしかして、王子様じゃなくて隠れキャラの冒険者、エルリエルのルートに入っていたの!?

 それで学園を追い出された!?

 な、なんだ! そういう事だったのねーーー!


「冒険者! なりたいです!」

「えぇ? いいのかい? アンタの親父は『傭兵』だったんだろう? 冒険者とは商売敵じゃないか」

「構いません。それに冒険者って傭兵と違って危険な仕事ばかりじゃないですよね?」

「まぁねぇ。傭兵と違って薬草探しや素材探し、食材探しの専門もいるからねぇ」

「なら、わたしはそういうあんまり危険じゃない仕事を専門にする冒険者になります!」


 顔を見合わせるマーサさんとギルドマスター。

 傭兵、とは……戦い……それも集団戦のプロだ。

 冒険者はパーティーを組む事はあるけれど、基本的に個人事業主のようなもので、ウマが合わなければ秒で解散する。

 よほど相性が良くて『相棒』のような存在に巡り合うのは稀有と言われているほどだ。

 対する傭兵は集団戦のプロ。

 基本的にソロで動く者も協調性が極めて高く、一瞬で集団戦闘に溶け込む適応能力も持ち合わせる。

 冒険者が社会不適合の曲者なら傭兵はその曲者にさえ合わせてしまうコミュ力の化け物。

 魔物の群れが発生したら、まず国や町が呼ぶのは傭兵団。

 とはいえ、魔物が発生する『邪樹じゃき』が成長しきって魔物の群れになる事は滅多にないけど。


「まあ、アンタがそう言うんならこっちとしては止める権利もないしねぇ」

「ヒーラー系の冒険者は数が少ないから助かるよ。それに、冒険者が合わなければマーサの店で働けばいい」

「そ、そうですよね!」

「けど、将来自分がどうなりたいのかはきちんと目標を決めておきな。でないと迷走して手遅れになっちまうよ」

「…………は、はい!」


 マーサさんの強い励ましの言葉に、わたしはその意味を深く考える事もなく返事をしてしまった。

 ……まったくもって、わたしは自分の現状も未来も見えていなかったのである。

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