第8話 決意

「おはようございます」

 制服に身を包んだ姫さまが、食卓に座っていてにっこりと微笑んでくれる。すっかり馴染んできた心和む朝のひと時だったけれど、姫さまが制服姿だったので、今日は日曜だと思っていた自分が間違っていたのかと不安になってしまった。

「蓮君、今日はちょっと実家に行ってまいりますね」

 僕の茶碗にご飯をよそって、渡してくれた時に姫さまはそう言った。

 近所の八百屋に行くかのような調子で言われたので、姫さまが言う実家というのが、宮家のことであることを認識するのにしばらくの時間がかかった。

(まあ、歩いていける距離ではあるし、ずっと暮らしていた家なんだからそんなものか)

 僕は味噌汁をすすりながら少し落ちいていたけれど、何となく腑に落ちない感じを持ちながらたくわんをつまんでいた。


「僕はついていかなくていいの?」

 姫さまが畳の上の鏡台に向かって髪を整えている音を聞きながら、僕は隣の部屋のふすまに寄りかかりつつ座っていた。

「ええ。今日は身内だけの集まりですので、蓮君はゆっくり休んでいてください」

「うん。じゃあ、気をつけてね」

 背中越しにきいた声に素直に頷いて、その場を立ち上がって去ったけれど、家の中をうろうろしながら『僕は身内じゃないのか』『まあ、身内じゃないよな』と一人悶々としていた。

「それじゃ、行ってまいります」

 玄関で姫さまを見送った。いつも通りの制服姿だったけれど、妻を見送るというのもどこか寂しい気持ちもしてしまう。

 村重さんや、護衛官たちの姿が見えて安心しながら手を振って車に乗り込む姿を見ていた。

(なんだろう……でも、何か……)

 その光景に違和感を抱いていた。いったいなんだろうと思ったけれど、ふと気がついたのは村重さんの視線だった。護衛としての凄腕を見せる機会がなければ、紳士にしか見えないこの男性はしばらく僕のことをじっと見ていた。

(威圧されているのだろうか)

普段、こんなに見つめられていただろうか。思い出すことはできなかった。

 姫さまに近寄るなというサインなのかと思ったけれど、それともまた違う気がした。僕に対して威圧しているわけではなかった、むしろ優しいというか同情してくれているような優しさがある気がした。そもそも普段は、村重さんはその存在を消していた。自然に溶け込んで、何も知らなければ普段は少し髪の白いおじさんがいたなくらいにしか印象に残さない。

(村重さんが動揺しているとか……?)

 それはすごいことのような気がして、しばらく土煙をあげながら走り去っていく車を見つめていた。



「おかえりなさい」

 日がちょうど沈んで暗くなってきた頃、宮家の車の姿が見えたので姫さまを玄関まで出迎えた。

 村重さんや護衛の人たちは、あくまでも外で待っていて僕に対して無言で一礼だけすると車に乗り込んで戻っていった。

「ただいまです」

 そう答えた姫さまの表情は少し疲れて、暗い気がした。聞いてはいけないことだろうかと思いながらも声をかけずにはいられなかった。

「今日は、何だったの? 大丈夫?」

 姫さまは、靴を脱いで軽く息を吐くと一瞬だけ僕の肩に頭をつけた。でも、弱いところをみせて寄りかかることが悪いことであるかのようにすぐに立ち直ると歩き出した。

「その、伯母が、病気で……もう……長くないのだそうです」

「おばさんが……そうですか」

 姫さまが僕と目を合わせることはなく廊下を歩いていた。嘘をついているわけはないと思うのだけれど、どこか僕にあまりこれ以上聞いて欲しくないという空気を漂わせていた。

「蓮君が気にするようなことはないです。元々、具合が悪かったのは分かっていましたので……。ただ、あと半年は大丈夫と聞いていたのですが、三ヶ月も……持つかどうかということで……」

 姫さまは相変わらず僕の方を見ようとはしなかった。僕に説明しておきたいのか、あくまでも自分で確認するための独り言なのかすらよく分からないくらいだった。

「あの蓮君」

「はい」

 姫さまは廊下の端でくるりと振り返るとやっと僕の目を見て声をかけてくれた。

「着替えます。それとも今さら着替えるところとか見たいですか?」

「……はい。裸を見てはいても、やはり着替えるところはやはり情欲をそそるものがあります」

 素直な気持ちを言葉にしてぶつけたというのに、姫さまは僕の返事の途中で部屋に入ると勢いよくふすまを閉めて、音が家中に響いた。


 でも、その後は普段通りだった。宮様や郁美様について、普段の生活での意外な一面を話の肴に、楽しくご飯を食べた。お風呂に入って一緒に寝る。すっかり慣れた新婚生活は新たな『いつもどおり』になっていた。僕の心の中には、どこか黒いもやっとしたものが残っていたままだったけれど。

 ふと朝早く目覚めて、姫さまの寝息を聞きながら、立ち上がると部屋の隅っこまで歩いてそのままじっと手入れした庭を見つめていた。もう、朝はすっかり肌寒くなって僕の頭を冷やしてはっきりとさせてくれた。

「このまま、数カ月後にお別れでいいのか?」

 時計台で納得したはずの気持ちを、僕は問いなおす。綺麗になったとはいえ、まだまだ生い茂る雑草たちは揺れるだけで何も答えを返してくれなかった。

「できるなら、僕だってずっと一緒にいたい」

 振り返り姫さまの寝顔を眺める。僕のような人間でも、幸せになってもいいのではないだろうか。でも、姫さまはこんなに毎日、近くで触れているのにあまりにも遠くて僕が望むには大きすぎる存在だった。

「でも、できることはやってみよう」

 僕は決意を固めた。



 僕は、次の日の放課後ある人物に会いにいった

この地方きっての名門武家の家は、いかにも武家屋敷という感じの重厚な作りで。下手な寺より大きな門が開いて、中に入ると玄関の前にその人は立っていた。

「あら、久しいわね」

 女性みたいなしゃべり方をしているけれど、まぎれもなく男性だった。長身ながらもやや細い彼だったが、間違いなくこの地方最強の剣士だった。

「真琴だったら、もうすぐ帰ってくると思うけれど」

 彼は真琴の兄だった。

「いえ、そのことを聞きたいわけではないのです」

「あら、ついにわたくしに興味を持ってくれたの?」

「そ、……それも違います」

 冗談だとは思うのだけれど、割と本気でがっかりとされてしまい僕はとまどってしまう。

「それじゃ何かしら?」

「以前、お誘いいただいた件を受けようと思います」

「あら」

 笑っていたけれど、目は鋭くなっていた。獲物の次の動きを見定める目に見えた。

「改めて言っておきますと、わたくしはあなたを単なる軍人として勧誘したわけじゃなーいのよ」

「はい。分かっています」

「対あやかし用部隊として、君の度胸と経験と才能を買っていますの」

 あやかし用の才能なんてあるのかなと思ったけれど、僕はただ頷くだけだった。

「普通の軍人よりさらに数倍は命の危険はあるわ。それは覚悟できていて?」

「はい。もちろんです」

「……素晴らしいわね。決意に満ちた眼差し。ゾクゾクしちゃうわ」

 本当に体を震わせながら、そう言った。

「ちなみに何が望みなの?」

「姫さまに見合うだけの地位です」

 その答えに、目を丸くしたあと顔を抑えるようにして笑っていた。

「なるほど。素晴らしいわ。まさしく愛ね。愛ゆえに、我が皇国は貴重な人材を手に入れるわ。素晴らしい素晴らしい」

「僕に才能なんてありませんよ。いつも倒していたのはイリーナや真琴で、僕は援護をしていただけです」

「謙遜謙遜。あやかしに弾を当てられる以上に貴重な才能はないわ。私たちあやかし用剣士なんて数百人はいる。魔道士や陰陽師も数十人は代わりがいるわ。でも、あなたの才能はあなただけ」

 僕は首をひねっていた。僕がやっていることなんて誰でもできることのようにしか思えなかったからだ。

「ふふ、まあ、いいわ。歓迎するわ。明日からしごいてやるから、覚悟しなさい」

「……明日から?」

「そう、明日から」

 僕は少し早まっただろうかと後悔していた。


「おかえりなさい。あなた」

 玄関で僕を出迎えてくれた姫さまは、最後の『あなた』を言う途中で明らかに照れていた。僕ももちろん真っ赤になっているのを感じていた。

「ただいま」

「ご飯できてますよ」

 廊下を並んで歩きながら、食卓へと向かった。二人の重みで廊下がきしむ音を聞きながら本物の夫婦のような感じがしていた。

(今だけは本物の夫婦なのかな)

「遅かったのですね。どちらに行ってらっしゃったのですか?」

 ちゃぶ台に座りご飯を食べながら、何気なく姫さまは質問してきた。何気ない食事中の話題というか、今日の出来事からすれば自然な質問だと理解してはいていたけれど、どこか問いただされている気がして味噌汁を飲む喉が慌ててしまう。

「阿藤のお屋敷へ」

「あら? 真琴が帰ってきました?」

「いえ」

 僕のその答えに姫さまは、じっとこちらをみつめたままだった。明らかにその次の説明を求めますという空気を漂わせていた。

「その……卒業したら、やっぱり宮家付きの護衛官になろうかと思って……相談に」

『だから、そのまま姫さまにふさわしい地位になったなら、今度こそ本当に結婚してもらえないだろうか』そう言おうと思った僕の口が動かなかった。明らかに姫さまは怒っていた。

(ああ、このまま近くでうろうろされるのは迷惑なんだ)

「なぜです?」

 姫さまが怒っている空気が、伝わってきた。感情も声も押し殺そうとしているだけになおさら怖い。こんな姫さまを見たことはなかった。

「あの……姫さま」

「宮家付きの護衛官と言いいますけれど、潤一さんの部隊は、対あやかしのものの専門の部隊です。魑魅魍魎すべてを相手にしなくてはいけません、危険なんてものではありません」

「それは……分かっています」

「私を残して死にたいのですか?」

 責められているのだけれど、涙目な姫さまもまた可愛いと胸が高鳴らせていた。

「大丈夫です。死にません。命を粗末にしたりはしません」

 姫さまがじとっとした目でこちらを見ていた。『今まで命を粗末にしてばかりでしたよね』という心の声が聞こえてくるかのようだった。

「命を大事にします。誓います」

 今までどうでもいいと思っていた命だけれど、姫さまとの生活の中で僕の何かが変わった気がしていた。

「そ、それに……」

 姫さまは僕の言葉にほっとはしてくれたようだったけれど、まだ深刻な何かがあるように顔を伏せていた

「はい」

「その……隊長の潤一さんは……」

 納得してもらえたと思ったら、もっと深刻そうに姫さまは食べるのを中断して身を乗り出してきた。

「姫?」

「有名な男色家ではないですか!」

「え?」

「し、心配です。蓮君は格好良くて、でも可愛らしいところもあるので狙われたりしないかと」

 姫さまは、ほほに両手を当てて悶えていた。

「そ、そんなこと……大丈夫だ……と思いますよ」

 まあ、絶対に狙われていないかというとそうとも言い切れないので、段々と小声になっていった。

「お、脅されたりしたらすぐに相談してくださいね」

 姫さまは、本気でその事を一番心配しているようだった。さっきまでの緊張して気持ちは何だったのだろうか、僕はいつもの延長線にみえる姫さまの態度にちょっとほっとしていた。すがりつくように、腕を掴まれて困ってはしまったけれど。

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