第3話 お義母さんは魔法使い

「無事にご挨拶できてよかったです」

 寮から外にでると、姫さまはほっとした表情で胸を撫で下ろしていた。怖い悪党に囲まれたり、あやかしのものに出会ったりしてもいつも堂々としている姫さまの記憶しかなかったので、意外な表情という感じがした。

「では、次の週末は我が家の方にご挨拶にきてくださいね」

 くるりと振り返り上目遣いで僕の顔に近づくと立てた小指を差し出してきた。自然な流れに僕は何も考えずに小指を差し出して絡めた。この二年間の刷り込みの成果なのかもしれないけれど、僕は姫さまのお願いには疑問を持つことなく従順に従う体になっている。

「や、約束いたしましたよ」

 あまりにも真剣ですがるような眼差しの意味が、この時の僕には理解できなかった。

「明日も一緒に学園に行きましょうね。それでは、今日は失礼いたします」

 姫さまは、僕と僕の後ろで立っている美鈴さんにも丁寧にお辞儀をすると、松の林の中で待たせてあった宮家の黒い車に乗り込んだ。

 助手席には、護衛の村重さんの姿が見えたので、安心して僕は車を見送るだけだった。車なんてものが通ることを想定していない我が寮の前のでこぼこな道を、宮家の豪華な車は何事もないかのように走り抜けていった。

「すごいな。蓮君」

 それまで、何も言わなかった美鈴さんが車が見えなくなったことを見届けるとぼそりと呟いた。

「姫さまとは偶然、事件で出会っただけですよ」

 改めて思えば不思議な縁だった。でも、二年間いつも一緒にいてくれた。これは恩だと思っている、だからこれくらいの手間はなんでもないことだ。

「まあ、それも驚いたけれど……とにかく来週は亜子さまのご両親にご挨拶にいくんだろう?」

「え?」

 忘れたことはなかったけれど、今日の自然な流れの中で軽い気持ちで受けてしまった。そう、姫さまのご両親に挨拶をするということは……。

「親王殿下ご夫妻に謁見か。すごいな私も全然お会いしたことないよ」

 そ、そうだった。僕は深く考えずに返事をしたことを少し後悔して、体が固まっていた。



 別に僕に失うものなんて何もない。だから、今までも気負うことも緊張することもない学園生活だった。

 そうは言っても……宮家に行くということを考えるとさすがに緊張せずにはいられなかった。

 楽しいはずの姫さまとの学園の登下校は、まるで監視のように感じてしまう、そして、やってきた週末には姫さまが寮まで迎えにきた。

 姫さまの姿を見た寮生たちは、楽しそうに冷やかしの言葉をはやし立てていたけれど、きちんと学生服に身を包んだ僕の姿を見て、単なるデートではないのかなとみんなの声も少し静かになっていた。先週と同じように松の木に隠れるように宮家の黒い車が留めてあり、格調高い執事のように見える村重さんが車のドアを丁重に開けてくれた。後ろには姫さまがついてきているその光景は――本人たちはもちろん僕を立ててくれてそうしているのだろうけれど――連行されていくようにしか見えなかったに違いない。

「蓮君。あの……父のことなのですが」

「はい」

 乗り慣れない車の後部座席に座って、高級なシートの感触に感激していると、隣の姫さまが僕の耳元に顔を近づけて言った。姫さまの息と、この一週間怯えていた単語に僕はビクっとして固まるしかなかった。

「どうしても、議員の方との会議にでなくてはいけないそうなので……」

「はい。全然、僕のことなんて気にせずに」

 その言葉を聞いた瞬間、内心ではとてもほっとしていた僕がいた。いたのだけれど……。

「いえ、なんとか一度抜けだしてきますので、最初にご挨拶だけさせて欲しいとのことでした」

「あ、はい」

 来られないなら少し死にそうな緊張から解き放たれるそれくらいに思ってほっとしていたのに、むしろわざわざ大事な時間をさいてまで会いにくるということを告げられて緊張度は増してしまった。

 宮家の中に車のまま入っていく、正門を通りすぎてもまだすぐには玄関までつかない時間がさらに僕の気持ちを重くしていた。

 有名な洋館を通り抜けて、小さな平屋の建物の前に車は到着した。こぢんまりとか言っても平屋建てなのに僕の住んでいる寮よりも大きい建物だった。

「連どの」

「はい」

 丁重に車のドアを開けてくれた村重さんに、車を降りたところで呼び止められた。

「君のことを疑う気持ちは全くないが、武器は預からせてもらいたい」

「あ、はい」

 あまりにもいつも身につけていたので、こんなところまで持ってきてしまったことに慌てながら左右のポケットから二丁の拳銃を取り出して、村重さんの手のひらの上に載せた。

「ずいぶん、軽いのだな」

「はい。銃自体はおもちゃのようなものですから」

 村重さんは僕の銃を手に持ちながら、僕らと並んで歩いていた。姫さまの護衛なのだから当たり前だけれど、会話を続けるのははじめてで新鮮な気がしていた。

「この中に詰められるのは、魔法の弾だけというわけか……しかし、なぜ二つも持ち歩いているのかね」

「使い分けているのです、こちらが直接当てて眠らせたりする用の弾が入った銃。こちらは支援用の魔法の弾が詰まっています」

「相手の動きを遅くしたりか……一度見たな」

「はい」

 村重さんには単なるお客としてではなく、僕が姫さまの護衛としてもふさわしいかどうか見定められている気がした。そしてその感触は悪くないのだという感じが伝わってきた。

 全然、足元にも及ばない存在なのは分かっていたけれど、こんな本物の戦士にちょっとでも認められた気がして、僕は浮かれていた。

 だから、完全に油断していた。まさか、この大きな玄関の引き戸を開けたら、すぐに宮さまが立っていようとは思っていなかったのだ。紋付き袴の堂々とした正装。姫さまの実の父親なのだからもう四十代も半ばのはずなのだけれど髪の黒さを見ても体つきを見ても若々しかった。

「おお、君が蓮君だね。よく来てくれた」

 視線が迷うことなく僕を突き刺した。他はみんな宮さまが知っている人ばかりなのだから当たり前なのだけれど、まるで僕のことを知っているかのような声に僕は射抜かれてしまった。

「あ、は、はい。初めまして」

 挨拶をいろいろ考えてきた気がするのだけれど、全てが頭の中から吹っ飛んでしまってうろたえるしかない僕だった。宮様は長身な方ではあるけれど、特に外見で威圧するような雰囲気はない。それどころか目元は姫さまに似てどこか易しさを感じさせてくれるけれど、独特の雰囲気に僕も冷静な判断ができなくなってしまっていた。いっそ拝んでしまおうかというくらいに、魅了されていた。昔は、皇族なんていらないだろうと思っていた僕なのにだ。

「本当にすまないねえ。今日は休みだと言っておいたのだけれど、都から大臣が来るからどうしてもと言われちゃってね。私なんて最後に判子を押すだけなんだけど」

 宮様は、努めて軽い調子で僕に話しかけてきてくれた。でも、話の内容が恐れ多いのもあいまって、僕はただ『あ、はい、いえ』などということしかできなかった。

「殿下、あまり時間は」

 後ろに控えていた秘書官のような男が、懐中時計を手に持ちながら時間がないことをアピールしていた。

「分かっています。分かっていますとも」

 申し訳なさそうな返事をしながらも宮様は、全然急ぐような素振りは見せずに僕の目の前に一歩踏み込んで近寄ってきた。

「蓮君。この度は娘のわがままに付き合ってくれてありがとう」

 優しい笑顔で宮様は言った。社交辞令ではない本当に娘を思う父親の顔だと思った。そしてそのまま僕は宮様に抱きしめられた。

「うわっ」

 僕は、人生で、時計台よりも巨大なあやかしのものに相対した時よりも体を乗っ取られた時よりも慌てていたと思う。失礼な声をあげたあとは何も言うこともできないままで、宮さまは僕から離れていった。

「それでは、申し訳ないのですが、私は失礼させてもらいます。亜子と頑張って孫を見せてくれ。頼んだよ」

 爽やかな笑顔で手を振りながら、宮さまは秘書官に押されるように急かされて車に乗り込んで行った。

 嵐のような面会は終わって、僕は呆然と宮さまのを乗せた車が出て行くのを見送っていた。

 終わってほっとしたような気持ちになりつつ、ちょっと目頭が熱くなっていた。父親の記憶がほとんどない僕は、抱きしめられた感触を思い出しながら、姫さまがうらやましいとも感じていた。

「蓮君。では、こちらに……母が待っております」

 侍女らしい女性の姿が二人ほど控えていたけれど、姫さまは自分で案内をしてくれた。

 すっかり、終わったような気分になっていたけれど、むしろこれからの方が本番だった。案内された部屋は、広い和室の中に数人が座れる机がありすでに料理が並べてあった。料亭などよりずっと上品に落ち着いた部屋の中に女性がすでに座って待っていた。穴守の宮妃殿下、郁美さま。その名前も顔も、穴守の街で知らないものはいなかった。

「よく来てくれました」

 静かに顔を上げて郁美さまは、僕を出迎えてくれた。


「遠慮せずに、食べてくださいね」

 郁実様は常ににこやかに僕との会食を楽しんでいるようだった。最初は緊張で新鮮な魚介料理の味もよく分からなかったけれど、母と娘のなごやかな空気に挟まれて、素晴らしい料理だと分かるようになって箸も進んだ。

「さすが男の子。細くてもいい食べっぷりですね」

 郁実様は、心底から僕が食べている姿を眺めるのが楽しそうだった。

「蓮君は、別に細くないわ」

「あらあら、意味深な発言ね」

「そ、そんな意味じゃありません」

「いいじゃない。夫婦になるんだし、もう、そんなことで照れなくても」

 郁実様は、にんまりとした笑顔だった。本来であれば話しかける機会もない身分の人だけれど、どこか親しみやすいというか僕の保護者である美鈴さんと同じような匂いがした。

「この子ったら、家でも蓮君の話ばかりなんですよ」

「い、言っていない……ことはないけれど、今は、それは当然でしょ」

「学園探偵団の頃だって、蓮君の話ばかり強調してたじゃない。格好良かったって」

「真琴たちの話もしてたじゃない」

「そうだったかしら」

 姫さまが母親にからかわれている姿は、微笑ましい光景だった。家柄のこともあって、もっと普段は厳格で窮屈で楽しくない生活をしていたりしないだろうかと心配していたこともあったけれど、余計なお世話だった。それよりも僕らの活動が学園探偵団として宮さまの耳にまではいっていたりするのだと思うととたんに恥ずかしくなってきてしまった。


「さて……、少し真面目な話があります」

 美味しく楽しい会食が終わり、郁美さまは侍女たち二人を呼んで食器を片付けたあとで改まって切り出した。

「まずこの度は、娘のわがままを聞いていただきありがとうございます」

 郁美さまは僕に向かって、三指を立てて深々と頭を下げた。姫さまと同様に流れるような美しい仕草だと感心するばかりだった。

 そんな滅相もない頭をあげてくださいと慌てふためいて言いそうになったけれど、僕はただ合わせておじぎをするだけにしておいて郁美さまの次の言葉を待つことにした。

「宮家の娘たちには、普通の方の結婚とは違う慣習があります」

「はい」

 それはそうだろう庶民とは違うだろうなと漠然と思っていたので、僕はただ頷くだけだった。ただ、『宮家の娘』という言葉にどこか引っかかっていた。

(宮家の若さまは違うのだろうか、それこそ郁実様のような宮家の妻もまた違うのだろうか?)

「ただ、それは今は言わない方がいいと思います」

「はい」

 素直に返事をしながらも、その言葉は僕としては意外であり肩透かしだった。

「この身がどのような扱いをされましても、姫さまのためなら私としてはいまさら文句などありません」

 口など挟まずに言葉に従うだけのつもりだった。ただ、どうしても、そう付け足しておかなくては気がすまなかった。

「ありがとう。もちろん、あなたの体を傷つけるようなことはしないと穴守の宮にかけて誓わせてもらうわ」

 僕はその返事に思わず目を伏せた。大きくため息を吐き出すのは心の中だけになんとかとどめたけれど、僕がどんな仕打ちをされても恨んだりはしないと言ったのに結局のところ僕には何も教えてはくれなかった。

(庶民に言うことはないということか)

 自分自身でも珍しいくらいに黒い感情があふれていた。ただ、何にせよ僕は姫さまに従うと決めたし、元よりなんでもするつもりでいたのだからそんな大したことではないと気持ちをとりもどした。

 最悪の想定では、お試し結婚のあとで口封じの為に僕が処分されてしまうという筋書きがあるかもしれないと思っていたけれど、郁実様の言葉を信じるなら、どうやら僕は殺されしまうことはなさそうだった。

 それなら大した問題はない。僕は大人しく座っていた。

「もちろん、あなたの事は信用しているけれど、一つ誓って欲しいの」

「はい。振られても何も文句は言いません」

 言うわけもない。姫さまとずっと一緒にいられるなんて思うほど思い上がってはいなかった。

「そう。そういう話です」

 郁美さまは、そう言って微笑んだ。美鈴さんより、細くなった目からは何も読み取ることができずにいた。郁美さまは懐からビー玉よりは一回り大きい透明な玉を取り出して、さっきまで料理が並べてあった机の上に置いた。コツンとなった音が部屋に響いた。

「それは?」

「録音する魔法の玉みたいなものです」

「録音……」

 念の入ったことだなと僕はちょっと呆れていた。まあ、別れたあとで余計なことを言いふらされていたりしたら、宮家としても評判が落ちて嫌なのだろうと納得はした。

 横で姫さまは緊張した顔をしていた。ちょっと悲しそうな顔をしているように見えた理由を僕なりに考える。ずっと本当は一緒にいたいけれど身分違いで引き離される恋、そんな思い上がった妄想になってしまって僕は軽く頭を振った。

「では、これが光ったら次の言葉を言ってもらえますか『二人が離れることになったなら。私は全てを忘れます』」

 郁美さまがそう言い終わるとかざした手から、透明な玉は光りだした。

「二人が離れることになったなら。私は全てを忘れます」

 僕は淡々と郁美さまの言葉を繰り返した。

「はい。ありがとうございます」

 郁美さまが静かに頭を下げる横で、呆然と見ていた姫さまは急に身を乗り出してきた。

「お、お母様、今何をしたのですか?」

「何って、録音って説明したじゃない」

「そうですけど……その魔力を今、お母様から注いで……いましたよね」

「そうよ。私の魔法よ」

「ええっ!」

 こんなに驚く姫さまを見るのは初めてだった。郁美さまとはじめて出会った僕からすれば、『そんな特技もあるのですね。すごいです』くらいの感想だったけれど、生まれた時から一緒にいる姫さまは初めて見るらしい力に顎を外さんばかりに驚いていた。

「初耳ですけど」

「見せたことなかったかしら……まあ、本職でもないですからあまり人前で使うようなものでもないですからね。私の家は外国から来た魔導師の家柄なの」

「え」

 魔導師は、この皇国では、神主さんとか陰陽師とかすることはあまり変わらないが、異国から伝わった魔法を使う人たちのことを言っていた。

「つまり、あなたのお友達のイリーナちゃんとは実は親戚なのよ」

「え・え・え」

 姫さまはもう何も言えなくくらいに驚いて、固まっていた。

「この魔法の玉は、どうしたら声が聞けるのですか?」

 僕は固まってしまった姫さまが落ち着くまで、少しの時間を待つことにした。

「別の玉で試して差し上げましょうか?」

 今まで机に置いてあった玉は、重要な証拠品であるかのように触らせてはもらえなかった。顔を近づけようとしただけで、素早くその玉は郁美さまの懐に回収されてしまった。代わりに別の玉を懐から取り出して机に置いてくれた。先ほどの玉と光っていない時は見た目は同じにしか見えなかった。郁美さまはさっきと同じように手をかざすと魔力を注入して玉は淡く光を放つようになった。

「亜子をよろしくお願いします」

 郁美さまは、優しく息を吹きかけるように玉に囁いた。

「はい。こうして軽く叩くと……」

「『亜子をよろしくお願いします』」

 郁美さまは、そっと僕の手のひらに透明な玉を置いた。細い人差し指で軽くつつくと声が再生された。淡く光るその透明な玉は僕の手のひらでわずかな暖かさを発している気がした。

「はい。お任せください」

 僕は玉を握り締めると深々とお辞儀をした。

「それは差し上げます。持っていてください」

 会見は終わった。郁美さまはすっと立ち上がり、帰りの車の手配をするように侍女たちを呼び寄せた。

「いえ、帰りは歩いて帰りますので」

「そんな遠慮なさらず」

「そんな遠くありませんし」

 そんなやりとりを郁美さまとは何回かしたけれど、最後には納得してくれた。もともとは宮家の人ではないだけに、独特の緊張があることについて分かってくれたようだった。


 郁美さまは僕を屋敷の外まで見送ってくれる。僕はもう郁美さまに会うことはないかもしれないと思ったので、屋敷を出るときも郁美さまの顔や言葉を記憶に焼き付けるようにしっかりと見つめながらお礼をした。

「世間知らずで色々ご迷惑をおかけすると思いますが、亜子をよろしくお願いします」

 恐縮して『いえ、こちらこそ』と恐縮した返事をするのが精一杯だった。

「では、次の週末には新居に入れるように手配しておきますね」

「え、は、はい。よろしくお願いします」

 僕は内心での驚きを何とか郁美さまには見せないように頑張った。でも、全てお見通しだったような気もした。

「では、私が送ってまいりますね」

 郁美さまの隣で紅潮した顔をしている姫さまは、一歩前に踏み出すと、そんなことを言ったけれど僕は制止して一礼すると振り返り、坂道を一人で降っていった。

(ら、来週から姫さまと一緒に暮らすっていうこと……?)

 僕には、頭を冷やして整理する時間が必要だった。

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