第18話 アオイと幸田

 アオイは、買い出しから戻った幸田と一緒に冷蔵食品を大急ぎで冷蔵庫に詰めると、二階からミツキを呼び寄せ、三人でテーブルを囲んだ。


「大事な話があるって?」

幸田がアオイとミツキを見渡すと、ミツキが居心地悪そうに顔を伏せた。

「マンションの前で何が起こったか、見当がついた」というアオイの言葉に幸田が少し身を乗り出した。

「あの時、ミツキは、ミツキじゃなかったんだ」


「はぁ?」 と、幸田がイスに身体を戻し、疑わし気な目でアオイを見る。

アオイは幸田の反応にはお構いなしに、「ミツキの妹のカスミが、ミツキの身体を乗っ取ってたんだ」と続ける。

「妹の、カ・ス・ミ……?」

 幸田が噛みしめるように言い、室内を見回す。

「そんな人間、どこにもいないぞ」


「人間じゃない、霊魂だ。アオイに取りいてる」

「プッ」 幸田が吹き出した。

「本気か? 霊魂に取り憑かれてそれに乗っ取られる。フィクションでは定番だが、現実に起こるわけがない」

「それが、現実に起こったんだ」 とアオイが答える。


 幸田が顔全体をクエスチョンマークにしてミツキを見たとき、幸田の頭の中で少女の声がした。

「幸田さん、あんた、頭が固いな。霊魂は実在する。そして、生体兵器・田之上ミツキの力を借りると、こんなことができる」

 幸田は、突然割れるような頭痛に襲われ、両手で頭を抱えた。ミツキが今まで聞いたことのない激しい口調で「カスミ、止めなさい」と言う。

                                    

 幸田が右手で拳銃を抜いた。その銃がミツキに向けられる前に、アオイがミツキの手をつかんで感電させた。ミツキがテーブルに突っ伏す。

 幸田が荒い息をついてアオイを見た。

「幸田、今のでわかったろう」

「あぁ、頭痛がする前に頭の中で少女の声がした。ミツキとは別の声だった」

「それがカスミだ。マンションの前であたしを襲ったのは、カスミだ。ここに来てからも、二度も襲ってきた」

「そうだったのか!」


 アオイはミツキの頭に手をあてた。うん、この感じなら、10分くらいは気を失っていそうだ。それでも、万一ということがある。

「幸田、ちょっと、キッチンに行こう」

アオイが椅子から立つと、幸田が「この子を放っておいていいのか?」と訊いてくる。「大丈夫だ。しばらくは気を失ってるはずだ」


 キッチンで二人だけになると、アオイは小声で切り出した。

「今まで三回カスミに襲われたけど、撃退してやった。だけど、万が一、あたしがやられちまわないとは限らない。その時のために、あんたに言っとくことがある」

「縁起でもないことを言うな!」

「縁起の話じゃない。あんたが大好きな確率の話だ。あたしが負ける確率がゼロとは保証できないだろ」

幸田が今まで見たことのない不安そうな視線をアオイに贈ってくる。


「もし、あたしがカスミに殺されちまったら、あんたの拳銃でミツキを撃て。迷わず、一発で殺すんだ」

「私は君が死ぬなどと考えたくもない。それに、君を攻撃してくるのはカスミであって、ミツキではない。ミツキを殺す理由はない」

「幸田、そんな呑気なことを言ってる場合じゃない。カスミがあたしを殺すのに成功したら、あんたも殺すぞ」

「なぜだ?」

「カスミは、国防総省を裏切るリスクを現実的に計算してる。だから、ミツキを国防総省に連れ戻したい。ただ、一度逃げた人間は疑われ続けることも知ってる。だから、あたしを殺して手土産にしてミツキを国防総省に戻るつもりだ。その時、あたしを助けてた幸田を捕虜にして連れ帰ったら国防総省がますます喜ぶと考えてるだろう」


「カスミは、君と同じような年齢の女の子だぞ。そこまで考えるか?」

「幸田、カスミはもう15歳だ。15歳の女子を『女の子』なんて軽く見ると、足元をすくわれるぞ。しかも、あたしたちは国防総省の手で『兵器』にされちまってる。『兵器』としてのあたし達が国防総省に忠実であろうとするなら、あんたを捕虜にして得点を稼ぐのは当たり前のことだ」

 幸田は、アオイが、かつて幸田が属していた世界で通用していたのと同じ合理的で冷徹な発想をすることに驚いていた。


「幸田、あたしは、あんたが捕えられて残酷な拷問にかけられるかもしれないと思っただけで気が狂いそうだ。だから、あたしが殺されたら、カスミを殺せと言っている」

 戸惑っている幸田にアオイがたたみかける。

「カスミは、あんたを一瞬で行動不能にできる。あんたに考えてる余裕はない。先手を打て。迷うな。一発で、殺すんだ」

「だが、君はミツキを助けたいんじゃないのか? カスミに乗っ取られているからといってミツキを殺すのは、君の願いに反する」

「あぁ、助けたいよ。人間なのに、国防総省の手で兵器に改造されちまった仲間だからな。だから、あたしがミツキとカスミのそばにいて危険な目にあうのは、構わない」


 アオイはいったんうつむいて少し考え、それから幸田を正面からひたと見つめた。

「だけど、ミツキを助けたいのはあたしの勝手だ。それであたしが死ぬことになっても、自分のせいだから仕方ない。だけど、あたしの勝手のせいで幸田が国防総省に捕らえられたりしたら、あたしは死んでも死にきれない。これは、あたしの頼みだ。 もし、あたしがカスミに殺されたら、カスミをミツキもろとも殺してくれ」

 幸田は「わかった」と答え、そして続けた。

「私にも頼みがある」

「なんだ?」

「絶対に殺されるな。君のためだけでなく、私のためにも、生きてくれ。生き続けてくれ」

「急に深刻な顔して、おかしな奴だな。当たり前だ。殺されてやる気なんか、全然ない。今の話は、念のためにしただけだ。安心しろ。じゃ、この話はこれで終わりだ。あたしはミツキが意識を取り戻した時のために、ココアをつくる。そうだ、腹も減ってるから、パンケーキも作るとするか」

「食事を作るのは、私の仕事だ」

「あんたの作る物はマズイ」

「パンケーキなんて、箱に書いてあるとおりにやれば、誰でも同じ味に作れる」

 アオイは、人差し指を顔の前で振ってみせた。

「チ、チ、チ。それが、違うんだよ。下手くそな奴は、説明通りに作ることもできないんだ。いいからあたしに任せて、あんたは、好きな本でも読んでな」

アオイはキッチンにあったエプロンを身に着け、支度を始めた。


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