第4章 衝突前夜

第13話 圧 力

 アオイが隠れ家を移ることを受け容れた夜、ミツキの家を一人の女性が訪れていた。インターフォンに応えて玄関の扉をあけたマスムラが、女性を押し返し、後ろ手でドアを閉める。

「イズミ、なぜ、ここに来た。中にミツキがいるのだぞ」

「そのミツキに私の正体を告げに来ました」

「ミツキには、『監視役』をつけるとは話したが、それが君だとは伝えていない」

「ミツキは、とっくに、私の正体を疑っていますよ。彼女の態度からわかります。『監視役』がつくと言われてからスクールに入ったのは私だけだから、当然です」

「だったら、何も、わざわざ名乗りを上げなくても、いいだろう」


「いいえ、『監視役だろう』と思っている程度では、いざという時にミツキが迅速に動かないかもしれない。わずかな遅れが勝敗を分ける結果になる。ミツキには、 私が『監視役』だと知って、私の指示に迷いなく従ってもらいたい」

 マスムラがため息をつき、ポケットからスマホを取り出し、慧子にイズミの主張を伝える。マスムラがスマホを切り、イズミに「博士が了解した。中で、四人で話そう」と伝えた。


 五分後、ミツキ、慧子、マスムラ、イズミの四人がダイニングの丸テーブルを囲んでいた。ミツキは、イズミを見ても、ほとんど驚かなかった。

 まず、慧子が切り出した。

「ミツキ、あなたには気が優しすぎるところがあるから、アオイを倒す絶好のチャンスが訪れても踏み切れないかもしれない。それで、イズミを『監視役』として送り込んだの」

 イズミが「ここぞというチャンスに、私がアオイ抹殺の指示を出す」と付け加えた。


 ミツキがイズミを見つめる。

「イズミさん、アオイさんに熱心に勉強を教えてましたよね。アオイさんは、ああいう人だから、直接イズミさんに御礼しなかったかもしれません。でも、私には、イズミさんに教わるようになって、本気で大学進学を考え始めたと嬉しそうに言ってました。アオイさんをだまして、イズミさん、ひどすぎます」

 ミツキの非難に、イズミはひるむどころか、目を輝かせた。

「それは良い知らせだわ。アオイは、簡単に本心を明かすタイプではない。それが ミツキに大学進学の話をするなんて、ミツキを信じ切って心を開いている証拠。いよいよ、チャンス到来ね」

「ひどい。そんな目で、私たちを見ていたんですか!」

「当たり前でしょ。アオイがあなたに対して無警戒、無防備になるのを見届けて、 アオイ抹殺の指示を出すのが、私の仕事なんだから」

「なんて冷酷な!」


「ミツキ君、前にも話したが、生体兵器番号21085がアメリカに敵対する勢力に奪われたら、合衆国国民の安全が脅かされる。そうなる前に21085を破壊するのが我々のミッションで、そこに個人の感情をはさむ余地はない」

 マスムラの口調は、冷たく、厳しい。

 慧子が、さらに冷たい口調で続ける。

「しかも、アオイは、人間としても、衝動的、暴力的。それが生体兵器になり怪物となった。あなたは、怪物から社会を守るためにアオイを殺すのです」

「博士は、間違っています。アオイさんは、怪物なんかじゃありません。正直で、心の寛い人間です。私がひどいことをしても、そんなことなかったように、仲良くしてくれる。誰にもなつかない男の子が、アオイさんのことは、慕っている」


 「ミツキ、あなたは、まだ二週間しか、アオイと接していない。私は、あの子が 一一歳から一四歳まで、親代わりに育てた。あの子のことは、私が、一番よく知っている。あの子は、独善的、衝動的、暴力的な怪物だわ」

 ミツキの白い頬にポッと血が上った。

「では、二〇〇歩譲って、子ども時代のアオイさんがそういう性格だったとします。博士が本当にアオイさんの親代わりだと思っていたなら、そういう性格がアオイさんや周りの人の災いにならないよう、気をつけて育てたはずです。でも、博士は、アオイさんの性格を、「放電型生体兵器」に適したものとして利用した。アオイさんが 抑えられたかもしれないマイナスの力を、無理やり外に引きずりだしたことになります。それが、親のすることですか!」


 慧子は、ミツキの言葉の激しさ、厳しさに、驚いた。この少女が、こんなに強く自己主張して逆らうのは、初めてだ。

「博士は、私にも同じことをしました。他の人に共鳴しやすい私の脳を悪用して、 他人の脳を破壊する生体兵器に作り変えた。博士は、言う事を聞かせられなくなったアオイさんという怪物を、言うことを聞く私という怪物に殺させようとしているだけです」


 ドンとテーブルをたたく音がして、イズミがイスから立ち上がった。「つべこべ、うるさいこと言うな!」と吠える。

「ミツキ、あんたもアオイも、生体兵器だ。普通の人間から見たら怪物だよ。それを言ったら、エージェント・マスムラと私も、怪物だ。徹底して人殺しの訓練を受け、相手が素人なら素手でひねり殺せる。自動小銃を持てば、五〇メートル先の人間の頭を一発で吹き飛ばせる」

 イズミがマスムラに顔を向ける。

「エージェント・マスムラ、あなたは、今までに、何人、殺してきましたか?」

「…………」マスムラは答えない。

「巻き添えになった一般市民を含めたら、一〇〇人を超えるのではないですか?  日本で採用されて、ここでしか活動していない私でも、一〇人、殺しています」


 イズミがミツキに視線を戻した。

「怪物は、怪物の務めを黙々と果たせ。こいつを殺せと言われたら、四の五の言わずに殺すんだ!」

「それじゃ、まるで、アオイさんも、私も、人殺しの道具みたいじゃないですか!」

 イズミに代わって慧子が

「その通り、道具よ。だから、あなたは田之上ミツキではなく、生体兵器番号21091で、アオイは生体兵器番号21085なの」

と答えた。

イズミが「わかったでしょ。人間のフリなんかやめて、言われた通り、アオイを破壊しなさい」 と、ダメ押ししてきた。


「イズミ君、なにも、そこまで言わなくても。理屈は君の言う通りだが、相手は、まだ一七歳の少女だ」マスムラが取りなそうとする。

「少女? エージェント・マスムラ、あなたまでが、生体兵器21091に人間性を認めるおつもりですか? そんな考え違いをなさっているなら、私から上に報告します」


 ミツキは、イズミとマスムラのやり取りを呆然と聞いていた。足元に真っ暗な穴があいて、自分が果てしなく落ちていく気がした。

 ミツキは、この会話をこれ以上続けるのに耐えられなかった。

「わかりました。イズミさん、あなたの指示通り、いつでも、アオイさん――ではなくて生体兵器番号21085――を破壊します。私は、兵器としてちゃんと機能しますから、安心してください。今日は、疲れました。これで、休ませてもらって、いいですか?」

「いいわ。いつ『その時』が来るかもしれない。シッカリ休んでおきなさい。それでいいわね、イズミさん」慧子がイズミの興奮を鎮めている間に、ミツキは 居間から出ていった。


 イズミが肩をすくめて「ミツキがいざという時、ジャム(自動小銃などの銃弾が射撃中に詰まって撃てなくなること)せず作動してくれれば、私は結構です。では、 私は、これで引き揚げます」

 席を立とうとするイズミを、マスムラが引き留めた。

「君は、明日にでもチャンスがあったら、ミツキにアオイを攻撃させるつもりか?」

「そういうつもりですが、なにか?」

「それなら、『肉屋』をスタンバイさせる必要がある」


「肉屋」 とは、アジアを中心に活動している臓器売買グループのコードネームで、国防総省はこのグループから生体兵器に改造する人体の提供を受けている。アオイを入院先の病院から連れ出して国防総省の秘密研究所に運んだのも「肉屋」 だ。国防総省は、「肉屋」と、アジア地域で作戦行動中に生体兵器が破損した場合に回収させる契約も結んでいる。


「まだ手配していなかったのですか?」 イズミがあごをそらせて慧子を見る。慧子はイズミの目を見て、落ち着いて返す。

「フリースクールは、商店街の中にある。近辺に『肉屋』のニセ救急車を待機させると目立つ。あなたから、1日、2日の間に決行すると連絡をもらってから、スタンバイさせます」

「わかりました。実が熟し過ぎて落ちてしまう前に連絡します。その代わり、攻撃 当日の采配は、現場にいる私に任せていただけますね」

「ええ、任せます」

「では」と言って、イズミがひらりと身体を返して、玄関に向けて立ち去った。

「私が以前にイズミと仕事をしたときは、あんな風ではなかったのだが」

マスムラがつぶやいた。

「人間は、変わるものです」慧子は、マスムラに作り笑顔を向けた。

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