第14話 カレン・ブラックマン

 川野イズミがミツキの家を後にして自宅マンションに帰ると、一人のアメリカ人 女性が待ち受けていた。絹のような茶色の髪が柔らかにウェーブして卵形の顔を包んでいる。肌は抜けるように白く、エメラルドグリーンの瞳が輝きを帯びている。

 身長一七五センチほどの均整のとれた美しい身体つき。自分が美人だと自負しているイズミも、この女には軽い嫉妬を覚える。この女は、アメリカ国防総省特殊兵器局のカレン・ブラックマン博士だ。慧子の後任として、生体兵器開発を指揮している。


「遅かったわね」とカレンが言い、イズミは「ミツキの所で、思ったより時間がかかりました」と答えた。

 二人は居間に移動して、ソファーに向き合って座った。カレンが長い脚を優雅に 組み合わせる。チッ、どうあがいても、白人の脚には長さで負けると思いつつ、イズミは両足を斜めにそろえる。


「博士、あの子はダメですね」

「M21091は、使えそうにない?」

「あの子は、ヤワ過ぎます。しかも、これが初めての実戦です。チャンスはあっても攻撃できないか、攻撃しても反撃されて破壊されるか、どっちかでしょう」

「21085、サクラの方は、どうだった?」

「元・道明寺サクラ。今は、山科オアイと名乗っています」

「ファーストネームはAOI(エイオウイ)ね。SAKURAより発音しやすいから、国防総省とCIAの中ではアオイで通っているみたいね。私も、アオイと呼ぶことにするわ」


「アオイは、相当なバカです。追われる身なのに、ミツキのことも、私のことも、信じ切っています。でも、生体兵器としては、ミツキなんかとは別格。アオイは、 強力な自己防衛本能の持ち主です。信じ切っている相手から突然襲われて心理的に 動揺しても、肉体が自動的に反撃するでしょう」

「どうしてわかるの?」

「殺し屋の直感です。殺し屋には殺し屋がわかるんです」イズミが唇をゆがめて冷ややかに笑った。

「あなたの見立てでは、ミツキに勝ち目はないのね」

「それでも、エージェント・マスムラとレノックス博士の手前、私はミツキに攻撃の指示をしなければなりません。ミツキがアオイの近くにいる時に攻撃を指示してアオイの反撃に巻き込まれる自分が目に見えます」


 CIA日本支局で現地採用された末端工作員のイズミは、これまで、何度も、  CIA幹部が思い付きで立案した作戦で危険な目にあってきた。今回も、CIA作戦部長が「放電型生体兵器」四機をアオイ抹殺に使うのを渋ったために、ミツキと心中させられかけている。

 そんなイズミにカレン・ブラックマン博士が接触してきたのは、イズミがレノックス博士の指揮下に入って二日後のことだった。イズミは、ブラックマン博士から、国防総省特殊兵器局長が署名したイズミ宛の協力要請書を見せられた。

 そこには、レノックス博士チームの動向をブラックマン博士に報告すると同時に、ブラックマン博士が必要と判断した時は、博士の指示に優先的に従って欲しいと書かれていた。

 レノックス博士とマスムラの作戦指揮に不安を抱いていたイズミにとって、この協力要請は、渡りに舟だった。ブラックマン博士とつながっていれば、レノックス博士とマスムラが進める危険な作戦から距離を置けるかもしれない。そう考え、イズミはブラックマン博士に協力することを快諾した。


 カレンが形の良い眉を持ち上げて、イズミを見つめた。

「潰されるのは、ミツキ独りでたくさんだわ。あなたは、アオイが近くにいない時にミツキに攻撃を指示しなさい。そのままスクールを脱出して、私に合流して。ミツキが撃退されたら、アオイ抹殺作戦の指揮は、私に移ります。あなたには、正式に私のチームで働いてもらいます」

「ありがとうございます」イズミは、丁寧に礼を述べた。新しいボスは大切にしないといけない。


「ミツキにアオイを攻撃させるタイミングは、あなたに任せます。『肉屋』は、 いつでもニセ救急車で駆け付けられるよう準備させてあります。あなたは、ミツキに攻撃指示を出した直後に私と『肉屋』に信号を送ってくれれば、結構です。くれぐれも、あなた自身がアオイの反撃に巻き込まれないよう、気をつけてください」

「わかりました」

「では、私はこれで」

 カレンが優雅な身のこなしで立ち上がり、イズミに手を差し出し握手し、マンションを出て行った。


 イズミは、やはり、ブラックマン博士に協力して正解だったと思った。すでに 「肉屋」をスタンバイさせているレノックス博士は、暗殺作戦に必要な果断さを備えている。考えすぎて何事も後手に回りそうなレノックス博士とは、大違いだ。

 ミツキはアオイに敗れ、レノックス博士もブラックマン博士に負ける。私は、ブラックマン博士という勝ち馬に乗ることができる。

 イズミは鼻歌交じりで冷蔵庫からレモンワサワーの缶を取り出した。

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