第2章 田之上 ミツキ

第7話  不 安

 備品庫に残された田之上ミツキは、自分がしたことに打ちのめされていた。国防総省の手で人間兵器に改造されたことで、自分の本来の平和的な性格が殺し屋のそれに変えられてしまったのではないか? そう思うと、背筋が凍りつく気がした。


 ミツキが他人に手を上げたのは、記憶にある限り、今回が初めてだ。生前の父母から聞いた話では、幼い頃から、ミツキは争いを嫌ったらしい。遊んでいるオモチャを他の子が取りに来ると、あっさり譲っていたそうだ。

 ハイスクールに上がる頃には、意識して他人と「折り合いをつける」 ようになっていた。他人と利害の不一致があっても、自分の利益を押し通そうとせず、お互いが今より少しでも得られるものが増えるように「折り合いをつける」。 それがミツキのやり方だった。


 ミツキは強く自己主張することが当然のアメリカ社会で育った。そこでは、ミツキの「折り合い主義」 は「意志薄弱で軟弱な態度」と見くびられることが多かった

 しかし、ミツキを見くびって一方的に自分の利益を押し通そうとした人間は、思いがけずミツキのしぶとい抵抗にあって驚くことになった。ミツキは、他人の立場や気持ちを思いやらない強引なやり口を許さない頑固さも備えていた。


 今日は、何だ? アオイは不快なことを言った。でも、不愉快な言葉を浴びせられたことなら、今までにも無数にあった。それを、ミツキは、実害がなければ聞き流して済ませてきた。

 それなのに、今日は、聞き流せなかった。言い返したのならまだしも、言葉より先に手が出た。私は、殺し屋の性格になってしまったのか? いや、「殺し屋」というより暴力的衝動を自制できない「粗暴犯」になってしまったのではないか?


 ミツキは、これ以上、スクールにいる気がしなくなって、太一先生に早退を申し出た。

「今日は初日だったから、疲れたでしょう。この先も、ミツキ君に無理がないように来てくれればいいから。まる一日休む日だけ、電話してね」

太一先生の優しい笑顔も、今のミツキには、救いにならなかった。


 ウツウツとして歩くこと一五分、ミツキは古びた二階建ての一軒家にたどり着いた。玄関をあけると、廊下の右側にある居間から女性が姿を現した。無造作に髪をたばね、化粧気のない顔にセルのメガネをかけたこの女性が、ミツキを生体兵器に作り変えた張本人、アメリカ国防総省特殊兵器局の科学者、レノックス慧子博士だ。アオイを改造したのも、彼女だ。

 博士は、日本人の父と母が離婚し母がアメリカ人と再婚したからレノックス姓だが、一七歳まで日本で育ったせいか、日本式に姓名の順に自己紹介する。

 ミツキは、博士と反対に一五歳までアメリカで育ったが、両親が日本人で日本語学校に通っていたから、博士がレノックス慧子と名乗ることに違和感はない。


 レノックス博士は、すらりと通った鼻筋を中心に見事に左右対称な細面をしている。造型的には非常に整っているのだが、理知的すぎて尖った印象の強いこの女性を、ミツキは美人と言う気にはなれなかった。

 レノックス博士が、かすかに金属的な声でミツキに尋ねた。

「フリースクール初日は、どうだった? 道明寺サクラ じゃなくて、山科アオイに会った?」

 国防総省とCIAで、アオイを21085という兵器番号で呼ばない人間は、代わりに、彼女が使っている偽名のアオイで呼ぶ。本名のSAKURAより偽名のAOIの方がエイ・オウ・イと英語式に発音しやすいからだ。

「会いました。アオイさんが、フリースクールを『傷モノのたまり場』と言ったから、平手でなぐってやりました」

 実は、ミツキはこの事をレノックス博士に話すかどうか、ずっと悩みながら帰ってきた。黙っていることもできるが、本来ウソが嫌いな自分が隠し事をしていると、そうでなくても胸が苦しいのがますますキツくなると思い、打ち明けてしまった。

 

 レノックス博士が、珍しく顔色を変えた。

「アオイを平手でなぐった! そんなことして、アオイから放電されたら、どうするつもりだったの?」

「あの人は、周りに人がいる時は、致死的な放電はしないのでしたよね。周りに他の子たちがいたから大丈夫だと思って、やりました」

 正直の上にバカがつくミツキが、ここではウソをついた。アオイと二人だけの場で見境なく手を出したことまで打ち明けると自分の自制心を疑われてしまう。 


「それで、アオイの反応はどうだったかな?」

枯れた、渋い男性の声がして、居間からパトリック・マスムラが出てきた。濁りのない白髪が頭全体を包み、大学教授のような知的な顔をしている。

 身長一七五センチくらいのスラリとした体形。レノックス博士にはない穏やかさをたたえたこの男性が、実はCIAのベテラン工作員で、人殺しのプロだ。

「アオイさんは、彼女がひどいことを言ったと認めて、世界中のフリースクールの仲間に謝ってくれました。私は、あの人は、決して悪い人ではないと思いました」


 マスムラが困ったような顔で、苦笑いした。

「田之上君、勘違いしてもらっては、困る。君は、山科アオイが極悪人だから抹殺するのではない。彼女がアメリカの敵国やテロ組織の手に落ちたら合衆国国民の生命が脅かされるから、そうなる前に抹殺するのだ」

「それに」とレノックス博士が引き取る。

「山科アオイは、あなたが思っているような良い人間ではない。それは、彼女が一一歳の時から四年間、最も身近な人間として接した私が、確信を持って言える。アオイは、自分が置かれた環境や周囲の人間に恨み、敵意、怒りをつのらせるタイプだった。だから、私は、彼女が蓄積した怒りを解放するチャンネルとして、放電能力を持たせてやった」


「他人の自律神経の働きを止めてしまう私の方が、もっと悪質です」

「違うわ。ミツキ、あなたは、思いやりのある優しい人間。思いやりがあるのは、あなたの脳が他人の脳と共鳴する特別に強い力を持っているからなの」

「その共鳴力を悪用して、私を生体兵器にしたんわけですよね」

「そうよ」

 レノックス博士は、ミツキの脳の特性を兵器に利用したことに、何の後ろめたさも感じていないらしい。むしろ、誇らしく思っているようにすら見える。

「だから、同じ生体兵器でも、あなたとアオイでは、大違い。あなたが任務以外で 人を殺すことなど、あり得ない。でも、アオイは、そのうち、感情のコントロールを失って無差別に人を殺すことになる。そうなる前にアオイを抹殺するのは、世のため、人のためなの」

 世のため、人のためになる人殺しですって? ミツキの中に違和感が広がる。


 今度は、マスムラが話を引き取る。

「ともかく、山科アオイとの接触には、気をつけて欲しい。田之上君はよくよくの 覚悟がなければアオイを殺せないが、アオイのほうは、ちょっとしたハズミで君を殺しかねない」

 ミツキは苦い薬を口に押し込まれた気がした。今日ハズミで手を出したのは、私の方だ。


 レノックス博士とマスムラが顔を見合わせた。

「プランBを発動しますか?」

 というマスムラの問いに博士がうなずく。

 博士が視線をミツキに戻した。

「フリースクールに監視役を投入します。その人間が、あなたとアオイの関係を見守って、『今がアオイを殺すベスト・タイミング』という所で、あなたに指示するから、その時、その場で、アオイを始末しなさい」

「もちろん、その監視役が誰かは、教えてもらえるのですね」

「それは、教えられない」とマスムラが答えた。

「なぜですか?」

「監視役が誰かを知っていると、君の表情や眼の動きから、アオイに感づかれるかもしれない。監視役が君に正体を明かすのは、君にアオイの抹殺を指示する時だけだ」

「そんな……」

「田之上君、これは、我々からの命令ではない。合衆国政府からの命令だ。間違いなく遂行してくれ」

「もし、遂行できなかったら、私を不良品として処分しますか?」

「私は、大好きなあなたに、そんな事になって欲しくない。だから、確実に命令を遂行して」

レノックス博士が力のこもった目でミツキを見つめてきた。


 ミツキは目の前が暗くなり、足元が揺らぐような気がした。

「もう、部屋に引き上げていいですか」

「いいわ。今日は、初登校で、思いがけない事件まであって、疲れたでしょう。ゆっくりお休みなさい」

ミツキは、二階にある自室にこもるため、廊下の突き当りの階段を昇っていった。

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