第5話 疑念

 気持ちがざわついたまま、アオイは、マンションに帰りついた。

「早いじゃないか?」

 ダイニングのテーブルでノートパソコンに向かっていた幸田が、顔を上げた。幸田は、家で翻訳やホームページ作りをして、アオイと二人の生活費を稼いでいる。マンションの家賃、アオイの授業料など、その他、生活に必要な資金の出所は、別にある。

「帰りが遅いと、誰かさんがウルサイから……じゃなくて、その誰かさんに話したい、驚きの出来事があった。あたしは、腰を抜かしかけた」

「鈍感力で生きている君が腰を抜かしそうになるとは、よくよくの事だな。何があった?」

「『鈍感力』は、失礼だ。あたしは、デリケートで傷つきやすい一七歳の美少女だ。ビックリの中身だけど、ゆうべ公園で助けた女の子が、あたしのフリースクールに入ってきた。田之上ミツキと名乗ってる」


 幸田が眉をひそめて「その子と話したのか?」と訊いた。

「あたしは、話したくなかった。だけど、太一先生が、同い年だから面倒見てやってくれなんて言うから、適当に、相手をした」

「それで、向こうが、ゆうべの事を覚えていないことは、確かめたか?」

 普段頭の切れる幸田にしては、間抜けなことを言う。

「阿呆ちゃうか? 『ゆうべ、あたしと会ってないよね?』って訊くのか? そんなお間抜けなこと、誰がするか。あたしは、何も訊かなかった。向こうは、あたしを見ても驚いた顔をしなかったから、多分、忘れてるんだと思うよ」

「『多分』では、頼りないな」

「だったら、どうやって、確かめるんだ?」

「露骨に口に出すわけにいなかいから、表情をうかがうしかないか……」

「驚いたのは、あの子がフリースクールに入ってきたことだけじゃない。あたしは、ミツキにビンタを張られた。可愛い顔して、すっごい馬鹿力だった」


 幸田が顔色を変えた。

「殴られた? なぜだ?」

「理由は、話したくない」

「それは、おかしいだろう。殴られたと聞いたら、殴られた理由を知りたくなるのが人情だ。理由を言いたくなければ、殴られたことを話すな」

「ほぉ、あんたにも人情があるとおっしゃる? だけど、本当に人情があるなら、理由を訊く前に、『それは、驚いただろう』とか、『痛かっただろう、大丈夫か?』とか、あたしの気持ちに寄り添ってくれるはずだ。あんたには、人間性が感じらんない」

 幸田が何か言いかけて、やめる。二人の間に、気まずい空気が漂った。


 幸田がアオイからキーボードに視線を移し少し考えてから、顔を上げ、アオイの目を見据えてきた。

「田之上ミツキは、国防総省から送り込まれたの暗殺者という可能性が高いぞ。君と同じ生体兵器だ。三ヶ月前に君が放電能力を使ったのを、国防総省に察知されたのだ。そして、殺し屋・ミツキが送られてきた。ミツキは、ゆうべ、君の前でわざと襲われて、君の放電能力を確かめたのだ。彼女を襲っていた不良たちは、国防総省に協力しているCIAの回し者だ」

「まさか! あたしが非接触放電したら、不良役は、死んでたかもしれない。そんな危険なオトリ役を引き受けるクレージーな奴が、いるもんか!」

「CIAは、下っ端の工作員に、君の本当の力を教えずにオトリ役をさせることくらい、平気でやるぞ」

 幸田が厳しい視線を投げてくる。

「まぁ、連中があたしにした事を考えると、そういう冷酷な事も平気でやるかもしれないけど」


 アメリカ国防総省は、交通事故で瀕死の状態だったアオイを、放電能力を持った生体兵器21085番に改造した。アオイはCIAに貸与され、テロリストとその協力者の暗殺作戦に暗使われる予定だったが、実際には一度も実戦に出ないまま、国防総省から逃走し、こうして、幸田と二人で身を潜めている。


「でも、ミツキは、殺し屋なんかじゃ、ない」

「どうして、そう言いきれる。他に、この三ヶ月以内に『あすなろ園』に新しく入ったクラスメートがいるか?」

「いるさ、三人も」

 と言っても、みんな、小学生のおチビちゃんだ。


「ともかく、ミツキが国防総省の殺し屋である可能性がある以上、ここからは、引っ越す。また、別のフリースクールを探すぞ」

「それは、イヤだ! 絶対に、イヤだ! あたしは、やっと、今のスクールに慣れたところだ。ミツキという同い年の仲間もできた。一七歳の少女らしい普通の暮らしができ始めてるんだ!」

「そのスクールが危険になったと、言っている」

「クソが!」


 イスを蹴って自室に戻ろうとするアオイの背中を、「夕食は、いつもどおり七時からだぞ。今日は、カレーライスだ」 という幸田の声が追ってきた。

 くそっ、こういう時に、よく、晩飯の話なんか、できるな。それに、カレーライスは「今日は」じゃなくて、「今日も」だろう。

 幸田は、料理が下手で、レパートリーも極端に少ない。特に、あたしが大好きなオムライスをまともに作れないのは、サ・イ・ア・クだ。

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