第2話 偽装家族

一〇分後、アオイは、住宅地の中にある五階建ての小さなマンションにたどり着いた。幹線道路から生活道路に入ったところに玄関があり、名前がマンションというだけで、エントランスホールもエレベーターもなく、アパートと変わらない簡素で生活臭のプンプンする建物だ。

 二DKの自宅に入ると、ダイニングキッチンのテーブルで、男性が本を読んでいた。

「お帰り」とアオイに目を向けた、その男性は、メガネをかけた細面がとても知的だ。実際、理屈屋だ。そして、愛想が、まるでない。面は結構イケてるが、多分、女性にはモテないだろう。年齢は四〇代前半くらいか?

 幸田幸一郎と、幸せを姓と名でダブルで願ってる切ない偽名を使ってるこいつは、表向きは、あたしの母方の叔父。両親を事故で亡くしたあたしを、独身の叔父が引き取とって同居しているという設定だ。

 あたしの名前、山科アオイも、偽名だ。本名は、道明寺サクラ。亡くなった父が和菓子好きで、道明寺に桜餅を重ねてつけた名前だ。とんでもないネーミングがあったものだ。山科アオイという偽名は、自分でつけた。語呂がいいので、気に入ってる。やっぱ、日本語は七語調だよ。


「図書館に寄ったのは、良しとする。しかし、そのあと公園で時間を過ごし、交番にまで、寄った。何をしていたんだ?」幸田が言った。

 アオイの頭に血が上った。

「あんた、生体トラッキング・システムをONにしてんの? CIAに見つけられた時以外は使わないって、約束したよね。いつから、あたしの行動を見張ってた?」

 アオイは、生体反応を発信する生体信号トランスミッターを全身に埋め込まれている。各国の軍部や諜報機関が用いる電子的監視網に引っかからないよう、信号が届く範囲を五キロメートルまでに抑えてある。生体トラッキング・システムは、受信者側のレシーバーからのみON/OFFできるようになっているから、幸田がアオイをトラッキングしだしたことに、アオイは気づかなかった。


「三か月前から、システムをONにして、君の動きをフォローしていた」

「信じられない! あたしに断りもなく、あたしの行き先をぜ~んぶ、追ってたわけ!この中年ストーカー! 警察に訴えてやる!」

「警察とお友達になりたかったら、どうぞ。でも、警察にはCIAの協力者が潜んでいるぞ」

「CIAがあたしに目をつけ、国防総省と一緒に追ってくる。そう言いたいわけだ」


「そのとおり。実は、三か月前、君が、バス停で若い男に接触放電したのを、偶然、見かけた。心配になって、ずっと君の動きを追っていた。君は、放電能力を使ってはいけない。」

「あの男は、禁煙のバス停で、タバコを吸ってた。小さな男の子がせき込んで、若いお母さんが、遠慮しながら『この子、タバコの煙に弱いので』と頼んだ、それなのに、無視しやがった。あたしも、タバコをやめろと三回も言ったが、『JKがエラそう言ってんじゃねぇ』とほざきやがった」

「それで、接触放電して気絶させたのか? やり過ぎだ。その程度のことで、放電能力を使うべきでなかった」


 アオイが幸田をきっとにらんだ。

「バス停は、禁煙だ。受動喫煙の方が、がんになる危険性は高いんだぞ。そこでタバコを吸う奴は、犯罪者だ。殺人未遂だ」

「受動喫煙の方が、がんになる危険が高いとは、初耳だ。仮にそうだとしても、人の行為を罰するのは裁判所の仕事で、君の仕事ではない。特に、君のような力を持った人間は、他人に罰を与えては、いけない」


 アオイが、テーブルをドンと、たたいた。

「あたしみたいな『化け物』が、普通の人間様に手を出すな。そういうことか?」

 幸田がアオイの目をじっと見つめた。

「私は、君のことを『化け物』などと思ったことは、一度もない。君と私は、同じ人間だ。君が持っている特別な力の使い方に気をつけろと、言っているだけだ。プロボクサーが、万一普通の人間とケンカになっても、パンチは使わない。それと同じだ」


 幸田が言葉を切り、眉をひそめてアオイを見る。

「まさか、公園で非接触放電したのではないだろうな? あの公園は、夜になると、不良がたむろっていることが多い」

「あんたは、やっぱり、あたしを自制のきかない『化け物』だと思ってるんだ。だから、そんな事を言う。非接触放電なんかしたら、襲われてた女の子まで、殺しちまうだろうが」

 アオイが、「しまったと」気づいて、手で口をおさえた。

「不良に襲われていた少女を助けるために、不良に接触放電したわけか」


 アオイは、これ以上ごまかしはきかないと観念した。

「二匹のオスが女の子に乱暴しようとしてた。接触放電で二人とも気絶させて、ちゃんと記憶を消した。もちろん、女の子の記憶も消した。女の子といっても、あたしと同じ一七歳だけどね」

「相手の歳を知っている? まさか、助けてやった少女と話したのか?」幸田が驚く。

「記憶を消す前に、少し」

 幸田がため息をつく。

「いつも相手の記憶を一〇〇パーセント消せる保証はない。もし、その子が、少しでも、君のしたことを覚えていて、誰かに話したら、どうなると思う?」


「あの子が話したとしても、人間が身体から放電して他の人間を気絶させたなんて、本気にする奴はいない」

「国防総省とCIAは、本気で聞くぞ。連中は、血眼になって、君を探している。どこにCIAの工作員や協力者が潜んでいるか分からない。街の監視カメラの映像も、NSA(国家完全保証局)がハッキングして見張っている可能性がある。

 しかも、今は、誰でも、スマホで撮った動画を簡単にネットにアップできる。君が放電するところを誰かに撮られてネットにあげられたら、間違いなく、NSAの電子的監視網に引っかかる。三カ月前にバス停で放電した時に、すでに、そうなっていたかもしれない。君は、今、とても危険な状況にある」


 アオイは、幸田にぐっと顔を近づけた。

「国防総省とCIAに追われてる? そんなこと、言われなくても、わかってる。だから、あたしは、事故で死んだ両親からもらった大切な顔を、整形して変えた。前の方が、ずっと美人だったのに! 名前と戸籍も変えた。あたしは、あたしを消した、殺したんだ! あたしは、何も悪いことをしてない。悪いのは、国防総省とCIAなのに、理不尽だ!」

「生き延びるためだ。耐えろ」

「あんたに、あたしの気持なんか、わかんない。わかって、たまるか! でも、放電能力を使うのは、控えるよ。それで、あんたが安心するなら、つきあってやる。あんたには、借りがないわけじゃない」


「私は、君に、貸しを作ったつもりなど、全くない。私は、ただ……」

 幸田がまだ何か言おうとしているのを、アオイは、ピシャリとさえぎった。

「じゃ、この話は、これでオシマイ。二度と、持ち出さないでくれ。それから、トラッキング・システムは、切りな。今、ここで、あたしの見てる前で、切るんだ」

 幸田が上着の内ポケットからトラッカーを取りだし、スイッチを切った。

「どうだ、これで、もう、君をトラッキングできない」


 えっ、「あたしが姿を消したら、幸田がまたスイッチを入れるだろう」って? 幸田は、そんなことは、しない。あたしにトラッキング・システムは使わないと約束し、あたしの目の前でスイッチを切ったからには、本当にCIAの追手が迫るまで、決して、スイッチを入れない。幸田は、そういう奴だ。

「これでいい。じゃ、あたしは、寝るわ。今日は、疲れた」

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