ちんこをとったHentai

第131話 ジェンダーレスなちんこ


 のどちんこを取りました。


 口を開け、ぶすぶすと喉の奥に注射の針が刺さり、嗚咽と涙がこぼれ、引っ掻かれるような何とも言えない不快な痛みを感じながら、摘出された僕のちんこ。30年間、酸いも甘いも共に味わってきた彼はほんの数分で僕と袂を分かち、無機質な銀色のピンセットと器に運ばれて、僕の中から姿を消しました。僕の中に残ったのは焼肉の匂いと、少しの違和感だけ。


 実にあっけない別れでしたが、僕は一生、涙目ににじむ彼の姿を忘れない気がします。


 ○


 僕と彼の別れは、数年前、先輩たちと行った屋久島で決まっていたのかもしれません。

「地獄のような夜だった」

 先輩はそう言います。


 10時間の雪道。スギ花粉に恨みを言いながら、スギを見に行く矛盾を抱えた僕たちは、スギの前でもビールを飲み、帰って来てからもビールを飲み、真っ赤な鼻と真っ赤な頬を並べて広い和室で寝ました。


 そして、始まる五重奏クインテット

 次々と重なる音色。バッハに勝るとも劣らないフーガの音色に耳を傾けていると、いつの間にか意識は空を飛び、気付けば気持ちの良い朝が訪れていました。ある先輩は夜中に渡り響き渡る、単純そうで複雑な対位法のうねりに飲み込まれ、ついつい夜更かしをしてしまったと言います。


「寝れねぇ」

 そう言う先輩の顔には綺麗な笑顔が浮かんでいました。


 ○


 自分の奏でる音色がどのようなものか。

 気になったのは社会人になってからだと思います。女性にモテるためには食事制限も、試験勉強も、海外生活もいとわない僕だからこそ、無意識の領域も気にかけないわけがありません。


「きれいな音色を出したい」

 そう思ってから様々な挑戦を試みてきました。


 セミオーダーの枕屋さんでついつい居眠りしそうになったり、寝る前に瞑想をして変態を深めようとしたり、マウスピースをつけて寝ていてもフルパワーを出せるようにしたり、口閉じテープやマスクを使って沈黙は金を体現したり、今日はお酒を飲んでいないと自己暗示をかけたり、体脂肪を缶チューハイ並みに本絞りしたり……。


 しかし、一向にキレイな音色は鳴らせません。口を閉じているのにどうしても鳴ってしまう大きな音。何をどうしたら良いのか途方に暮れ、日本に帰ってきてから、ついにプロに教えを請うことにしました。


 緊張しながら差し出した喉の奥。


「あー、おっきいね」

 そんな無慈悲な一言が僕を貫きました。


 方法論ではない。必死に高音を出そうと練習していたのに、もっていたのがバスサックスだったような徒労感。生まれたときから決まっていたとはいえ、しょうがないで終わらせられないのが人間の性なのでしょうか。実質的に残されたCPAP(機械で圧力をかけた空気をマスクから送り込む方法)か、手術(有効率は60%)か、という選択肢を眺め、叫びます。


「デートに機械を背負っていけるわけがない」

 

 そうして、モテ男を目指す男児は、ちんこを切ることにしたのです。


 ○


 今日(4月21日)で3日目にしてやっと、うどん、そうめん、ゼリー以外のものを口にしました。ボルタレンで痛みはかなり抑えられていますが、鏡に映る喉の奥にはぽっかりと穴が空いており、他人事のような痛々しい傷口がこちらを見ています。


 夜、その穴から出てくる音は以前とは異なっているように思えます。持続時間も音量も全体的に低く推移しています。舌の奥に隠れていた奥手な彼の顔はもう思い出せませんが、やはり彼は縁の下の力持ちで頑張ってくれていたようです。


 彼をよくいじめていた四川料理を食べたい。いなくなってしまった彼の叫びがもう聞けないと思うと、どこか寂しくなってしまいます。彼のためにも早く元気にならなければ。


 ○


 ふと、思う。彼は「ちんこ」だったのだろうか。僕が彼と出会わなければ、彼は彼だったのだろうか。彼は僕と会ってしまったがために、ちんことなってしまい、それ以外の呼び名を失ってしまったのではないか。僕が彼の可能性を狭めてしまったのではないか。


 僕の中から彼が出ていった瞬間、涙の中で彼の姿を見た。

 輪郭はぼやけ、もはや感覚もない。

 彼の気配を感じることもできなくなってしまった。


 しかし、これは、僕だけの問題ではない。

 なぜなら、彼も変わったからだ。

 その時、彼は彼でなくなり、ちんことしての存在がぼやけたのだ。彼は、彼を規定していた、規定させられていたシステムから抜け出せたのだ。


 直感で、なぜ、彼の姿が忘れられないのかわかった気がした。

 

 ちんこがちんこじゃなくなったのだ。

 僕からちんこがとれたのではない。

 彼はちんこで在り続けられなかったのだ。

 ちんこという概念が僕から消えたのだ。


 体で理解した。


 ……これがジェンダーレス。

 矛盾した存在。

 ジェンダーレスなちんこ。

 だから、消えた。そして、僕に残した最後の声。


 閃いたような、蜃気楼に包まれたような、不思議な感覚に包まれて、僕は今日も眠ります。


 いなくなった彼の姿に思いを馳せながら。

 すこしのさみしさを抱えながら。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る