第128話 水中の哲学者たち
「水中の哲学者たち」という本を読みました。哲学者の永井玲衣さんの著書ですが、ムズカシイ哲学書と言うよりは哲学エッセイです。同い年という境遇もあるのか、内容も文章も体に溶けていくようでした。
著書の中でいくつも琴線に触れたものがあったので、そのうちの一つを紹介します。
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……10年以上前に見た番組で、オードリーの若林正恭が「楽屋でペットボトルのラベルを読み込んでいる」という話をしていた。ただ座っているのはつらい、だけどドリンクのラベルを見ていれば「ラベルを見てるヤツになれる」と。
「なれる」という言い方が記憶に残る。ただ存在していることは、いたたまれない。だからわたしたちは何か役割を得たいと思う。……
永井玲衣 水中の哲学者たち 晶文社 2021
2 手のひらサイズの哲学 存在のゆるし、より
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永井さんはこうして何者かに「なる」行為をやめてみます。待ち合わせをしている人にも、ぼーっとしているひとにも、スマホをいじっている人にもならない。あえて、ただ存在している人になってみる。これが彼女のささやかな社会運動であり、抵抗運動なのだ、と。
コスパ、という言葉があります。コスプレパーティーの略で、みなさん何者かになりきってみる、という試みです。普段はなれない何者か。例えば、常識人、社会人、お金持ち、友だちが多い人、暇をもてあそばない人、話題がたくさんある人、尊敬をあつめる人。
コスパはある意味で反動です。なんらかの役割をもった人にならなければいけない、という無言の雰囲気が生んだものです。2倍速で映画や音楽を飲むのも手段の一つ。いっぱい見たら「いっぱい見た人」になれる。たくさん聞いたら「たくさん聞いた人」になれる。そして、僕たちは有限の自分の人生を何者かになるために効率よく使っていく。そして、それができる人は素晴らしい。
それが出来ない人はコスパを求める。そこだけは何者でもなくても手軽に何者かになれる。素晴らしい人物になれる。存在することの不安を考えなくてすむ。そして、気づいたらパーティーから抜け出せなくなってしまうのです。
一人で飲みに来ているのに、スマホを見る。SNSに頻繁に投稿する。メニューを読み込む。休みの日でさえ、僕はコスプレをして何者かになりたがっているようです。
ただ「そこにいる人」になる勇気がないから、コスパを求める。そして、ただ「存在」している人をバカにする。いつもコスパに流される。耳が痛い。
永井さんの文章を読んだとき、凛とした人だな、と思いました。そして、すぐに割れてしまいそうな透明さも感じました。
僕はこのつつましいレジスタンスがいつまでもつぶされず、抵抗を続けてほしいと思っています。抵抗のできない僕だからこそ応援したい。普通にも、特別にもなれないから、存在することだけはゆるしたいのです。
生きているだけで素晴らしいなんて言いません。思ったこともありません。でも、僕はこれから何者かになっている人も、何者にもならない人も、羨んで、尊敬して、嫉妬して、過ごしていくのだと思います。そんなジリジリとした気持ちになれただけ、読んだかいがあったと思っています。
そして、コスプレパーティーをコスパと略す人になれた、とニヤニヤしながら、今日も満足と自己嫌悪に浸って眠ります。
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