第108話 死んだら笑ってほしい

 先日、同僚の旦那さんが亡くなったので、お葬式に参列しました。セレモニー会場の入り口で記名して中に入ると、テニスコートほどの大きさの会場内には8人程度が掛けられる長椅子が2列に並べられており、Tシャツの人から黒スーツの人まで様々な服装の人が椅子に座って話しています。前方中央には大きな故人の写真。その上にはスクリーンが用意されており、家族とのスライドショーが流されていました。僕は一番うしろの席の端に座って式が始まるのを待ちます。


 時間になると前の席に座っていた一人が前方左手の教壇の前に行き、おもむろに式が始まりました。まずはお祈りから。そして、お祈りが終わると前方の席から一人、また一人と教壇へ向かい、故人との思い出を語り始めました。故人の姉妹、甥、姪、いとこ、そして、母親と次々と思い出を語っていきます。


 ――そして、その誰もが会場の笑いをかっさらっていくのです。


「……おじは僕の骨を折りました」の一言から始まるエピソード。その次は「車いじりが好きだから脱臼もなおせるんじゃね?」と小指が異常な方向に曲がった孫が群がって怯えさせた話。極めつけは「皆さん、もう自己紹介もいらないと思いますが、私があの(お名前)の母です」と自己紹介だけで沸かせる母親。そして、披露したのがJCPenney(アメリカの百貨店)でお姉さんの足をなでる故人の幼少期……。


 僕はあっけにとられました。


 良いのか、これで。

 いや、良いんだ、これで。


 話している本人も参列者も笑い、そして、大好きな人だったと言って泣く。僕は打ちのめされました。会ったこともない同僚の旦那さんのお葬式で、掘ったら出てくるバカみたいな話に。温かい会場の雰囲気に。笑い話をするお母さんの姿に。親族が涙を流すなか、最後まで涙を見せないお母さんの姿勢に。


 1時間ほどの短い参列の機会でしたが、僕はこれほど来てよかったと思えるお葬式は初めてでした。


 そして、思ったのです。


「僕も死んだら誰かに笑ってほしい」


 さめさめと「いい人だった」なんて涙を流してほしくない。この旦那さんのように、54歳で若くして急逝されても、残された人が笑っていられる人でありたい。もちろん、僕がどう思おうが死んだら終わりなので、残された人がどうするかはその人の自由だし、どう考えても良いとは思いますが、僕の死という現象への通過儀礼としては個人の笑いであったら良いなと考えているのです。


「あいつ、変なやつだったよな」で、心の整理がついてほしい。間違っても「真面目で、誠実な人だった」とかいうありきたりな感想を持ってほしくない。できれば「無駄にスポーツが好きで、女性経験はないくせに無駄に色んな経験があって、屁理屈を言うときだけは頭の回転が異常に早く、四六時中女の尻を追いかけ回していた面白いやつ。あとプロ童貞」くらいの評価に収まってほしい。


 とはいえ、僕は面白くない人間であることを自認しているので、今死んだらおそらく部活の友人や親友以外はありきたりな「良い人」像を語って終わるんだろうな、と理解はしています。


 それでも、これから生きていく上で意識しようと思ったのです。


「今、死んだらみんなに笑ってもらえるだろうか」


 たとえ性格的に実現が難しくても、僕はそう思って生きていきたいのです。

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