第84話 人間が好きになってきた話
前回、おっぱいは素晴らしい、という話をしました。あ、間違えた。「人間には変えられるものと、変えられないものがあるよね」という意見を書いてみました。
その中で、性格は変えられないけれど、考え方は変えられるというお話をしたのですが、ふと実例があることに気付いたんです。
「そういえば、俺ってエッセイ嫌いだったな」
はい、正直に言って、学生時代、僕はエッセイという文章媒体が嫌いだったのです。理由は「他人の人生や自分語りなんて興味なかった」からです。たとえ有名人であれ「その本を読んだからその人になれるわけじゃないし、その人の苦労や成功体験を聞かされるだけじゃないのか」と思っていました。一般人はなおさら読む理由がわからなかったんですね。
森見登美彦さんの小説が好きだった僕は「夜は短し歩けよ乙女」「四畳半神話大系」「太陽の塔」とその森見ワールドに引きずり込まれ、本屋で森見さんを見かけたら買っていたのです。そこで手に取ったのが「美女と竹林」という作品。
「今回はどんな情けない京大生が出てくるのだろう」
と、ワクワクしていたら、そこに出てきたのは情けない京大生、森見先生本人ではありませんか。先生には申し訳ないですが、少しがっかりしたのを覚えています。
「僕はあなたの情けない小説が読みたいのであって、あなたの情けない日常が知りたいわけではない」
と。
さらっと流し読んで、美女と竹林は本棚の肥やしとなるのです。
〇
それから約10年がたったアメリカ某所。一人の童貞は、緑の竹林が印象的な装丁の本を引っ張り出してきて表紙をめくります。
間接照明で照らされるキングベッドの上で、時々、気持ちの悪い笑いを浮かべる男。その様はまるで「髪型変わってるの気付いてるのなら言えよ! そういうとこやぞ!」と女友達に怒られた男のようでした。
しばらくにやにやとしてから、眠気に負けたのか本を閉じる男。ぽす、と3個ある枕のひとつに頭を沈め、天井を見上げて一言。
「おもしろいやん」
〇
なんでいきなりナレーター口調になったのかは謎ですが、そういう経験をしたんですね。で、今、思い出しました。
そうなんです。エッセイ嫌いだった奴が、エッセイ好きになり、こともあろうにエッセイストを自称してしまっているのです。
ほんと恥ずかしい。エッセイの価値がわかっていなかった自分が。こんなに面白いというのに、全くそれを感じ取れていなかったんですね。それはひとえに「他人に興味がなかった」からだと思うんです。悪い意味で自己中心的だった。自分のことでいっぱいいっぱいだったのでしょう。変われやしないのに「どうやって変わればいいのか」ということばっかり考えて、人のことはどうでも良かったんですね。
今では自分以外のものを見る余裕が少し持てています。言い換えれば、人が好きになってきたのです。
きっかけが何かはわからないのですが、エッセイのおかげでこうして毎日幸せに楽しく暮らしていますので、良い変化だと思っています。竹林で悪戦苦闘し、すぐ現実逃避する情けない森見さんの日常も楽しめます。良かった良かった。
さて、みなさんはエッセイが好きでしたか? 元々、嫌いでしたーって人がいるのか気になります。
あ、ちなみに、エッセイの好みは変わりましたが、おっぱいは昔から好きです。これだけは森見さんも変えられなかったみたいですね。もしかしたら、おっぱい好きというのは性格(変えられないもの)なのかもしれません。ですので、もし、皆さんが「
「おっぱいが好きな性格」
彼女募集中、とも付け加えておいて下さい。
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