第83話 どうしようもなく才能は存在する


 才能。


 すべての人の前に立ちはだかる言葉である。デジタル大辞泉によると「物事を巧みになしうる生まれつきの能力」とある。生まれつきの能力なのだ。英語でも才能はGiftというが、まさに「与えられたもの」であり、後天的に身に着けられるようなものではない。


 平均身長198㎝(2019年時点)のNBA選手に憧れても、身長という生まれつきの差は残酷なまでに存在する。逆にオランダ人がジョッキーを目指しても、彼らには才能がない。彼らは世界で一番背が高いからだ。


「才能がないと嘆く前に努力をしたのか?」という言説は一理あるが、努力してもどうしようもないことはある。実際、体格、ルックスなどに関してはすべてが才能の世界である。美少女コンテストやイケメンコンテストなどは才能がないと予選すら勝ち抜けない。ある意味、才能があることが出場資格とさえいえる。


 だから、才能は考えるだけ無駄なのだ。才能の差はある。自分に才能がないことがはっきりとわかっているなら、受け入れるか、考えないようにするのが最も合理的だ。


 カッコいい奴が顔を出して「おはよー!」と言っただけで10万PVがつき、いいねが5,000ほど集まるのは才能なのだ。10万文字を書いてもいいねは5で、挨拶もされないのは才能の差である。羨むことはあれ、悩む必要はない。僕たちにはそんな才能がなかっただけの話なのだ。恨むなら、才能のない自分か、その才能を与えてくれなかったご先祖を恨むがよい。不毛なことに変わりはないが。


 だから、僕は黙っていいねを押す。


 〇


 逆に言えば、才能以外は行動や環境でどうにかなる。難しいのは、どこまでが才能なのかが判然としないことが多いことだ。ただ、一つだけ言えることは、考え方(性格ではない)は明らかに才能ではない。


 考え方は経験によって変わる。だから、こんな考え方は変えられないんだ、と諦めて受け入れるのはおかしい。嫌ならば、自分で自分に声を上げてもいいし、そのきっかけを与えたものを否定してもいいはずだ。


 つまり、僕が「そこにあったから、つい」とビリケンさんに手を添えるが如くおっぱいを触りたくなってしまうのも、すべては僕のせいではない。


 こんなくだらない文章を製造してしまうのは決して才能などではなく、僕にこのような文章を書かせるようになったみなさんや作家たち(主に森〇登美彦氏)が悪い。「おっぱいは素敵なものだ!」と主張する人が悪い!!


 あんなもの生活の役に立たないではないか!!

 ただの脂肪の塊ではないか!

 柔らかいだけではないか!!

 なんか安心するだけではないか!!


 おっぱい万歳!!



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