第66話 言い訳をやめる


 僕は言い訳を考えるのが上手い。「言い訳が上手い」のではなく「言い訳を考えるのが上手い」。言い訳が上手かったら――説明と言葉選びが上手かったら、どんなに楽だったでしょうか。僕の場合「言い訳を考える」行動を起こすのが得意なだけで、内容まで気が回りません。


 つまり、考えられた言い訳は大抵使い物になりません。ただ、言い訳が浮かんでくるのです。


 足の小指をぶつけたら「最短を攻めた結果」

 勢いつけすぎて豆乳をこぼしたら「重力加速度の体感」

 拾い食いで腹を下したら「正常な免疫系の確認」

 すかしのつもりで高い音が出たら「肛門括約筋の筋力増大」

 女性にフラれたら「切り替えのための儀式」

 カクヨム出来なかったら「リア充の余波」


 これらによって、以下のような自己像を創り上げています。


「常にチャレンジ精神を持ち、物理現象を観察する知的好奇心があり、健康のためにあえて毒を食らう豪胆さもあれば、音の高低をつかさどる繊細なコントロールにも気を遣い、物事にはけじめをつけ、活発に飛び回っている」男性だと。


 上記のように考えた上で、全部、もっともだとは思っていません。そもそも肛門括約筋をトレーニングした覚えがありません。当たり前です。それにリア充だったらむしろカクヨムが捗ります。エッセイなんて特に何かないと書けませんから。


 分かってはいるのですが、上記のような思考がふと浮かんでくるのです。偏屈ですね。偏屈の根本には卑屈があります。卑屈が過ぎると自己弁護のために言い訳が多くなります。ありのままの自分が情けなさ過ぎて、それを認めてしまってはあまりにも悲惨だからです。

 

 事実を記すと、こうです。


「自分の身体ですら空間座標を把握できず、ただグラスに注ぐだけなのに豆乳を溢すくらい不器用で、危機管理能力と衛生観念が欠如し、肛門括約筋を上手く使えず、人間的魅力を欠き、偏った思考を昇華出来ない」男性。


 ダメ人間ですね。ダメダメ人間です。だから、僕は少しでも自分を良い方向にプロデュースしようと常日頃考えているのです。


 と、こうして「言い訳を考える」言い訳を考えています。

 言い訳ぐせは根深いですね。


 

 そこで、僕は「言い訳を止めよう」と決めました。


 しばらく「ありのままの自分」を見てみようかと思います。いわゆる「自分探し」です。自分探しってなぜだか楽なイメージがありますが、どっちかというと苦行ですよ。よほどありのままの自分に満足していない限りは苦行です。


 ですが、20代最後の年ですし、ちょっと言い訳と虚飾の波に埋もれた自分を探してみようかと思います。


 もし、ありのままの自分がどこにもいなくとも、それはかつての自画像が間違っていたんだと認めるきっかけにもなりますしね。


 こうして、探す前から見つからなかった時の言い訳を用意しています。先は長いです。


 

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