第58話 充電のタイミングにみる楽観・悲観論


 今日はお友達の花望いふさんのエッセイにて興味深い観察があったので紹介したいと思います。


 花望日記 / 花望いふ

 8月5日:残り何%から充電する?

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054896118079/episodes/1177354054918124339


 いふさんは携帯の充電が多くないと不安で、60%ですでに充電したくなると言います。充電が減っていくときの心境を細かく観察し、それを上手に言葉にしています。60%で充電したいと感じる方の20%からの心境の変化には笑いました。0%になっても笑っているんですが。


 これを読ませてもらって感じたのは、「コップに水が半分入っている。これを『まだ半分ある』と感じる人はオプティミスト(楽観主義者)、『あと半分しかない』と感じる人はペシミスト(悲観主義者)」という有名な例えなんですよね。僕は携帯の充電に関しては「まだまだある」と感じるタイプです。


 ちなみに、僕も分析やってみたので載せておきます。

 

 充電98%──ベッドの上で憂鬱

 充電85%──まじで帰ってゴロゴロしたい

 充電76%──もうちょっと頑張ればお昼だ

 充電67%──お昼休みずっと続かないかな

 充電55%──眠い、昼寝したい

 充電40%──帰りたい

 充電30%──仕事終わったー!!

 充電20%──めっちゃビール飲もう!!

 充電15%──ビールうめー!!

 充電5%──ビールうめー!!(たまに梅酒)

 充電0%──(電池が切れたようにスヤスヤ)


 まさかの充電に対する感想ゼロ。もうちょっと充電に感想もってやれよ、とアドバイス頂けそうな布陣ですね。

 でも、普段の僕の充電に対する気持ちはこんなもんです。待ち合わせがあるとか、見知らぬ土地での旅行中とかではない限り、20%でも特に気になりません。たとえ旅行中でも勝手知ったる日本だったら「ここまでどう行けばいいですか?」とか「ここらへんで美味しいお店知ってませんか?」って聞けるしね。携帯が無くてもなんとかなるので、基本ポジティブ思考です。


 こうした「なんとかなる」思考や「根拠のない自信」を持って適当な発言を繰り返すことがあるので僕はオプティミストに見られがちです。ただ、胸を張って言いたいのは、こうした言動をするようになったのは僕がペシミストであることが発端、ということです。


 考えてみて下さい。ペシミストがペシミスティックに物事を捉え、ペシミスティックに行動したらどうなるか。十中八九、心か身体が壊れます。リスクなんてものはゼロにすることは不可能なので、不可能に挑戦し続けて心身をすり減らしていたら必然的に帰結は悲劇になります。Vice Versa逆も然りですね。オプティミストがオプティミスティックな感性に従っていたら、大きな落とし穴にはまって抜け出せなくなることは必至でしょう。


 だからですね、僕が充電を気にしなくなったのは「携帯が無くても生きていけると思わなきゃ生きていけないから」なのです。いわば開き直りです。キレ気味の開き直りです。


 小学生の時、道を歩いていたら鳥のフンがカバンに落ちた。「不運の星の下に生まれ落ちてきた」とお気に入りのカバンを前に落ち込んだけれど、「これからも珍しいことに出会うかもしれない」と思うしかなかった。

 中学生の時、気になっていた女の子が、僕のことを「カッコいい」と言ってくれていると女友達伝いに聞いた。「これはからかい上手の○宮さんの手法に違いない」と疑い「嘘だ」と言い続けた結果、仲の良い友達と付き合い始めた。もちろん「(友人が幸せになって)結果オーライだし、僕の彼女の枠はまだ空いている」と前向きにとらえる必要があった。

 高校生の時、あまりに彼女の出来ない僕は「可愛いと思う人ってだれ?」と聞かれ、「ここで好きな人を答えたら周りが盛り上がるやつだ」と邪推して、学年の可愛い人を素直に羅列したら「Askewは面食い」という根も葉もない噂が広がったことも、これから僕に対する理解が深まる良いキッカケだと考えることで事なきを得ています。


 分かるでしょうか。行動の結果や事実に伴う前提を悲観的に捉えたとしても、将来のことを楽観的に考えることでバランスをとっています。こう考えないと、僕は途中でぽっきりと折れていたに違いありません。

 僕はなりたくてペシミストになったわけじゃない。だから、特に理由なく「この世界は悪と悲惨に満ちたものだ」と捉えてしまうなら、息をするために「まぁ、なんとかなるさ」と思うしかないんです。そうじゃなければ、どうやって生きていけるでしょうか。

 最初を悲観的に捉える反動で、その先を楽観的に見る癖がつきました。これが「携帯の充電が少なくてもなんとかなるでしょ」と考えられる思考の根源です。


 いふさんのように「何かあったときに携帯が使えないと困る」と言う方は、もともと「何かが起こるかもしれない」(楽観)と心のどこかで期待しているから「じゃあ、携帯の充電が無くなったら……」(悲観)という考えでバランスをとっているのかもしれません。もちろん、前提の内容がパートナーが事故に遭うとか、大和田常務の名言を見逃すとか、ハーゲンダッツのクーポンを見逃すなどの悲観的観測を元にすることもあるでしょう。ですが、悪い情報を受け取るためだけに充電を保っておくのは良い精神状態じゃないですよね。どこかで折れる気がします。


「何か(良いこと)が起きるかもしれない。だから、充電が切れたら嫌だなぁ」と考えられるオプティミスト。

「別に将来、何がある訳じゃない。だから充電が無くなっても問題ないし、無くなることで何かが起こるかもしれない」と考えられるペシミスト。


 僕はどちらも好きです。キレ気味に開き直った人は、傍から見ていて楽しいですもんね。


 さて、みなさんは楽観主義・悲観主義どちらでしょうか? そして、それぞれの立場としてどんな思考をお持ちでしょうか?

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