第57話 「あれ、声が、遅れて、聞こえるよ」に助けられた身


 @2LimCGHrAi1さん(未だになんと呼べばよいのか分からない)とは以前から色々とお互いの言いたいことをぶつけ合っているのでありますが、更新されているエッセイを読み返していたら、自分が、自分の思いもよらないことをコメントに残していたので、振り返りたいと思います。


 中指を突き立てたら鼻に刺さってだらりと血が出た / @2LimCGHrAi1さん

 芸は身にタスク

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054894044489/episodes/1177354054895899338


 口が動かせなくなったときに「口が動かせない」と伝えるには、口を動かす必要がある。可及的速やかにテンパりながら解決策を探したところ、見つかった光明は高校の演劇部で培った腹話術だった――。


 あらすじだけで面白いですね。こういう現実味の無い現実のお話はとても好きです。エッセイになるべきお話という感じがして。僕もこんなことを書いてみたいと思った好例ですね。


 さて、このお話を読んで「プロとアマチュア」について考えさせられました。みなさん、誰もが一芸あると思うんです。ただ、それが自分や人の役に立つかは別の話。みなさんは自分の趣味が役に立たないという虚無感に苛まれることはないでしょうか?


 まず、役に立つ例だと、通訳とか、絵描きとか、小説家とか漫画家などが身近ですね。僕は彼ら、彼女らに勝手に救われています。彼らは対価としてお金を受け取っており、結果として芸は人を助けて、身も助かっているのです。お金でプロアマを区切っているところが資本主義に毒された現代人という感じはしますが、分かり易い価値基準なので良いでしょう。


 芸に対して対価が発生する。いわゆるプロの世界。思えばこの世は携帯電話や財布などの身近なモノから無形を具象化させた芸術にいたるまでプロに支えられています。


 対して、役に立たない芸もたくさんあります。現に、僕はキーボードに手を置けば生産性のない文章を生産し、クラブを持てば一喜一憂しながら芝を刈り、ギターを持てば久石譲が顔をしかめるであろう演奏を披露し、ハンドルを握れば退屈しのぎにひざを叩く。

 どこに役に立ち、人を助けられる要素があるでしょうか。あるとすれば「ひざを叩くくらいなら私を叩いて欲しい」と助手席から足を伸ばす危険運転幇助女がいるとか、「へたくそでもいいから俺の胸毛を弾いて欲しい」といった完全変態おじさんがこの世に存在することが条件でしょう。なんだか助かってほしくありませんね。


 上記エッセイのコメント欄でaoiaoiさんや灘乙子さんが言及しているように、自分にしか通用しない芸(スポーツとかが顕著でしょうか)に打ち込んでいる場合、その芸に客観的な価値はあるのかと、ふと思ってしまう時があります。

 

 スノーボードで二回転出来たからって何になるんだ。珍しい硬貨を集めたからって誰が得をする? みたいなね。


 そうした趣味を通じて配偶者や友人を見つけるとか、人間関係が円滑になったとか、そういう例はありふれていますが、一人で完結できちゃうものの場合は時々嫌な自分が顔を出します。


「役に立たない芸を磨いてなんになる。人を助けるなんてもってのほか、自己満足どころか、こう考えている時点で自分すら助けられていないんじゃないか?」と。

 

「将来、役に立つかもしれない」とか、「自己満足でなにが悪い」と反論になっていない反論を返すばかり。自己中心主義を掲げている割にはなんと貧弱な意志であるかはお察しの通りです。確かに「自分が幸福になることを考えれば、楽しいことをしていればいいじゃないか」という理屈も理解出来ます。ただ、たまにあまりにも閉じた世界で生きているのではないか、という感覚を持つ時があります。

 いわば、自分を満足させるために全面的に誰かに頼っているだけの現状に打ちのめされるんですね。人の字であれば、僕は間違いなく一画目の長い方です。支えてくれる人に寄りかかっています。僕が提供できる価値は1円にもなっていません。それにどう価値を見出していくのか。人に頼り切った自分をどう評価してあげられるのか。こういう文章を書いているといつも頭に浮かんできます。多分、これからも時々こんな考えに悩まされるのでしょう。この時もこんなことを考えていたんだな、という備忘録にしたいと思います。


 ただ、今の時点で一つ言えるのは、閉じた世界の打破を目指すとき、言葉が持つハードルは比較的低いということ。


 僕がテニスをしても、ギターを弾いても、別に誰も感動しないでしょう。一般的にスポーツや芸術で人を感動させるのは至難の業です。下手なものは見向きもされません。

 

 でも、言葉は違います。


 下手でも良い。人によっては下手なのが良いということもあります。現に僕が綴ったエッセイでも、作品でも(素直に捉えるなら)感動してくれている人もいます。エッセイなんて初めて書いたのに、読んでくれて、面白がってくれた。こんなことは他の趣味だと中々ないですよ。一言、二言でも言葉は胸を打つ時があるじゃないですか。文字を綴る。言葉にする。というのはコスパが良いんです。


 僕には役に立たない芸がたくさんあります。アマチュアの数選手権でいったら予算3回戦敗退できるくらいの自信はあります。アマチュアであることすらアマチュアです。打ち込んだ全ては身を助けていません。それは悔しいですし、プロが羨ましいです。


 ただ、文章だけはアマチュアでもいいですね。気楽だし。それが良い。

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