第36話 寝かしのススメ
肉を焼く。
ただそれだけなのに意外と奥が深いのがBBQ。肉を叩き、塩コショウを振り、コンロに肉を置くという一連の作業。これが単純なように見えて僕には全く真似が出来ませんでした。コンロの温度、焼き目の付け方、火の通し時間、取り出しのタイミング――。何ひとつ分からなかったからです。
これが家族の為に料理を覚えた男性と、食べれたらOKというゆるい一人暮らし男性の差……。料理上手の先輩の姿を見て痛烈に身に沁みました。密かにショックを受ける後輩の横で、先輩は美味しそうに焼きあがったお肉を取り出します。見事な焼き上がり。じゅうじゅうと音を上げながら香ばしい肉とガーリックの匂いが食欲をそそります。「すぐにでも食べたい」と底の見えない食欲が触手を伸ばしかけたところで、先輩はお肉を丁寧かつおもむろにアルミホイルで包みました。僕の頭にはハテナが浮かんでいます。
「え、美味しそうなのにまだ食べないんですか?」
「うん、すぐには切らない。寝かせるんだよ」
「何のために……?」
「こうすると熱が均等に行き渡って、うまみが逃げないの」
僕は最後の最後まで感服しっぱなしでした。
そして、初めて肉を寝かせる意味を知ったのです。
○
僕はこの経験を通して、書き始めた当初から守っていることが一つあります。
「書き上げた文章をその日のうちに公開しないこと」
一番意識している自分ルールです。最低でも一日、通常は三日程度寝かせる。今は筆が乗っているのでストックが多くあります(本日は4月18日です)が、ストックがなくとも守るようにしています。
文章というものは何度推敲を重ねても完成しません。読み返す度、どこかに綻びを見つけてしまいます。そして、それは絶えることが無い。
そもそも僕はプロットを書かずに書くことが多いので、書き上げた時点では目も当てられない文章が出来上がります。どうしても全体の構成がいびつになる。展開がおかしい。先に言うべきことを後に持ってきている。言い回しが不自然。奇をてらい過ぎ。不相応な接続詞、助詞。単純な誤字、言い間違い。数え切れないほどの恥部が置きっぱなしに……。
半裸で踊っているのを見られるのはしょうがない。でも、半裸で踊った後に「実はここで一回服を着たんだな」とか「密かにズボンがずり落ちるように肘で押し下げているな」とかを見抜かれて死にたくなるのと一緒です。どうせなら綺麗な半裸踊りを見て欲しい。
幸いこれらの恥部は時間を置くことでフィルターを通したように鮮明になるので、このまま公開しなくて良かった……と安堵半分、呆れ半分で自己添削を重ねていきます。
しかし、一向に終わりは見えません。「これはっ!!」とこぶしを握って書き上げた文章でも、必ずと言っていいほど直すべき点がもぐら叩きのようにぽろぽろ出てきます。もうむかつくほど出てきます。そこで怒りに任せて思い切りぶっ叩くと、今度は違う所がにょきっと生える。おいおい、勘弁してくれよ、と何度もぶっ叩きますが、その度にどこかが歪みます。眉毛をぴくぴくさせ、暴発しそうな怒りをこらえながら冷静にゆっくり押すと、また違う部分からこれまたゆっくりと生える。ブチ切れて渾身の力で叩きつけると目にもとまらぬ速さで突起が顔面を打ち抜いて、僕は天を仰いで地面に叩きつけられます。歪む視界、頬を伝う鉄臭い熱さ。僕はどうにもならない苛立ちと悔しさに涙を流しながら、青い空を漂う雲を見上げているうちに公開時間が来るのです。
文章と言うのはどうしてこうもじゃじゃ馬なのでしょうか。おとなしくしてろと言えば柵を壊して逃走を図り、今日は暴れて良いよと言えばその気じゃないとそっぽを向かれ、良いことを言おうと思えば何故か胡散臭さがぐんぐん増し、気を抜きたい時にばかり硬くなる。
一向に完成しないまま、まさに「魂を込めた妥協と諦めの結石」がぽろんと零れ落ちていきます。それでも、書き上げたばかりの時よりも形が整うんです。
このような体験を繰り返しているからこそ、僕は勢いで書き上げた文章をそのまま出すことは出来ません。どう考えても公開した後で修正しまくりつつ「こんなことならば先に修正していれば良かった。もっとましな裸を披露出来たのに」と後悔することが目に浮かびますから。実際、散々推敲を重ねて公開したのに、泣きそうになりながら修正しています。
文章を寝かせる。これはとても大切です。
ただ、この作業は果てが無いので公開日時は書き上げた時に決めるのが良いです。そして、妥協と諦めと共にその時を迎えましょう。そうすることで少なくとも表面にしか行き渡っていなかった熱を持った変態さは文章の内部へと行き渡り、全体にわたって何だか妙ちくりんな雰囲気を携えた文章へと進化するのです。
進化、するのです。決してこれは退化などではない。
いくら世間に認められなかろうが「よし、こっちの方が変態チックだな」と思えることは進化なのです。異論は認めません。
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