第29話 鼻くその地位向上委員会
目くそ鼻くそを笑う。
自分の欠点を棚に上げて他人を嘲るさまを示すことわざ。言いたいことは分かります。同じくそ仲間なのに「やーい、お前ちょっと粘度高めー」と馬鹿にしているのでしょう。鼻くそが可哀想ですね。どうして、目くそは鼻くそを笑うのでしょうか。彼らは同じくそなのに……、と鼻くそに同情しかけてはたと気づきました。果たして彼らは同じくそなのか、と。
似た言葉に「腐れ柿が熟柿を笑う」「猿の尻笑い」がありますが、柿が柿を笑う、猿が猿を笑う、このことにおいては同種であるため異論はありません。
しかし、実は彼らは似ているだけではないでしょうか。たぬきとアライグマ、ズワイガニとタラバガニ、アリとシロアリくらい異なるのに、ただ鼻くそが不当に笑われているだけではないのでしょうか。もし、鼻くそが目くそと違うのであれば、一刻も早く彼らの間違いを正さなければいけない。「正義は社会の秩序なり」と述べたアリストテレスに倣って、社会の是正を願わんとする正義感がむくむくと育ってきました。
だから僕は正義を携えて、Wikipediaに向かいます。
まずは、目くそから。
「医学用語としては
ほうほう、なるほど。
次に、鼻くそ。
「鼻水(鼻腔内の鼻腺、杯細胞などから分泌された粘液、および血管からの浸出液などの混合物)とホコリが鼻の穴の中で固まったものである」
うーん、つまり、どちらも粘液に老廃物やほこりが混じったもの、ということですね。組成的には変わりません。「猿の尻笑い」と同様、目くそ鼻くそ抗争は同族内のいざこざなのでした。
そーか、じゃあ君たちは平等の上に立っていたんだね。「我こそは現代のアリストテレスなり!」と振り上げた勇み足も行き場を無くして見事に転びました。すぐにホコリを払いながらむんずと立ち上がって、彼らに背中を向けます。これ以上は人間如きが口を出すことではない。そう言い聞かせておめおめと帰ろうとするのですが、どうしても違和感が残ります……。
何故か。
それは、ブランディングに隠された汚い思惑が見え隠れするからです。目くそ……。「目くそ」って何だか聞きなれない気がしませんか? 考えてみて下さい。朝起きて、リビングに行ったら開口一番、姉(嫁/旦那/母親)に指摘された時のことを。こうではないでしょうか。
「あんた、目やについてんで」
そうでしょう、そうでしょう。目につく野郎は「目やに」であって「目くそ」とは言わないですよね。
そもそも「くそ」という響きは非常にネガティブで下品な印象を与える言葉ですね。僕も使わないように注意しています。冷静で落ち着いた人が、ちょっとイライラしたくらいで「クソがっ!」と言ったらイメージがた落ちですからね。ブラックマンデー並みに株価大暴落です。その時点で降格決定、再上場は見込めません。
そのような重大なイメージ低下を避けるため、目くそは目やにという別名で呼ばれます。良く考えてみると、他のくそ仲間も同様です。耳くそは耳あかとも呼べるし、金くそ(製鉄のときに生じる不純物)はスラグとカッコよくなりますし、あの本家くそでさえも「うんこちゃん」なんて可愛さまで帯びてくる始末。
それでは、鼻くそは?
鼻あか、ブガー、はなっちゃん。言われませんね。鼻くそは鼻くそしか名がないのです。君の名は。と聞かれても見えるのは悲しい未来だけ。野田洋次郎も曲を作れない。ビターエンド好きの新海誠も放り出すこと間違いなし。そして、衝撃のダメ押し。
「目糞は
もうやめてあげて……。そんなに鼻くそをいじめて何が楽しいの?!
百歩譲って本家様はその可愛らしさを認めるとしても、目と耳は役割も組成もほぼ一緒でしょう。結局は粘液とホコリなどのごみが混ざったものです。なのに、なんというイメージ格差! 印象操作! これは紛れもなく名誉棄損であって、鼻くそだけが不当に責を負っています。一説によると鼻くそは体内に取り込まれることによって人の免疫力を上げるとも唱えられているのに、これはあんまりでは!
居ても立っても居られなくなって、僕は世界の秩序を取り戻すために、正義を携えて再び立ち上がります。
――鼻くそにも人権を!!
――鼻くそ呼称は差別です
――No more 鼻くそ
――真実をあなたの手に!
拡声器と横断幕と共に大通りを闊歩します。先を行くのは僕一人。当然、世の中の耳あかロビイストや、目やに保全団体の圧力が僕を押し潰そうとしますが、決して屈しません。屈してはいけない。今こそ、鼻くそが光を浴びる時なのです。
「鼻くそは鼻くそでいいじゃねーか」
『良くない! 鼻くそにもホコリがある!』
「どうして欲しいんだよ」
『彼らにも別称を! ホコリ高き別称を!』
「くそなら、くそらしくしてろ」
『くそはくそでも彼らにも感情はある。彼らは傷ついている。それを分かって欲しいだけだ!』
僕は力の限り叫び続けました。あらん限りの罵声を浴びながらも、喉が枯れるまで理解を求めました。ただ、その熱意は空を切り、大方の賛同を得ることはできませんでした。僕は何も変わらない世の中に肩を落として帰路につきました。
今、居間でディスプレイに向かい、鼻をほじりながらキーボードを叩いています。鼻くその無念を書き残すために……。ふと、ティッシュペーパーに目をやると、間接照明に照らされた不遇と薄倖の結晶が僕を見つめていました。
まだまだ、始まったばかりだ――。
穏やかな春の夜。
一人の青年は決意を固めて、丸めたティッシュをゴミ箱に投げ入れました。
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