第26話 「悲劇のヒロイン症候群」から抜け出すために


 職場のメンバーで焼き肉に行った時のこと。左利きの同僚がいたので「左利きってカッコいいよな」という話になりました。スポーツでもアドバンテージになるし、右利き用のものが多いから両手が器用になるし、頭が良さそうなイメージがあるし。

 すると、彼女は「でも、左利きは右利きがスタンダードの社会で知らぬ間にストレスを感じるから短命らしい」(※1)という話をしてくれて、盛り上がりました。


 でもなー、それはそれでカッコいいよなー。と思っていたのですが、僕はふとそこで思いつきます。


 ちょっとまて、ストレスが原因なら僕にも当てはまるんじゃ。

 そこで、僕は思いつきを話してみました。


「じゃあ、恋愛至上主義の現代社会に生きる独り身は短命になる可能性があるのでは」

 

 街を見れば、やれクリスマスだ、やれバレンタインだ、やれそば打ち体験コンパだ、やれ座禅婚活だ、やれ既婚者合コンだ、と社会は人々を恋愛へと駆り立てます。ウィーンでオペラを観た後に、近くのホテルで元祖ザッハトルテを好きで食べているだけなのに、変な視線を感じたりします。パートナーがいることが前提の会話やそれがさも当たり前だという無言の圧力は”普通の”人生を歩んできた人たちから無意識のうちに漂っています。アメリカは特に。


 はい、もちろん総スカンを食らいました。


「何言ってるかわかんない」

「日本はまだ独り身に優しい」

「韓国や中国は日本以上にあたりが強い」

「東南アジアだったら親族からの圧力につぶされる」


 などなど、同僚、先輩、副社長などから色々なコメントを受けて楽しかったです。


 そこで、気付いたのは「僕は他の国に生まれなくて幸せだったなぁ」ということです。僕というアプローチ下手の人間が他の国に生まれていたら、察する文化である日本以上に見向きもされていなかったであろうからです。


 こんな簡単なことも見れなくなるなんて、恥ずかしいな、とお肉を食べながら自省しました。

 だから、幸せを感じる方法について考えてみました。



 もしも、今

「あなたは幸せですか?」

 という質問を受けたら胸を張って「幸せです」と答えることができます。


 五体満足だし、息が出来るし、なによりやりたいように出来ていますから。


 仮に事故で手足がなくなっても、僕は僕の身体を使って人間の能力を超える義手や義足の開発の補助に情熱を燃やせる人になりたいと願っています(なれるかは別)。ロマンがありますよね。実際は絶望に溺れるかもしれませんし、半身不随や胴体がなくなったらかなりきついですけれど。


 そんなことを考えると、僕はかなり「幸せ」なのだと思います。


 でも、気持ちが落ち込んだ時は考え方が逆になるのです。今まで経験してきた不幸を数えて、自らを惨めなものに貶めていきます。悲劇のヒロイン症候群ですね。こうなるとやっかい。


 不幸は貯蓄、幸せは消耗品

 

 こんな考えが幅を広げてきます。幸せを感じていることがもったいなくて、幸せに浸ることは、持っている有限の幸福をがりがりと削り取っているように感じます。そのくせ、降り掛かった不幸はいつまでも浄化されずに沈殿、堆積し、ぽこぽこと不快な臭気を放つガスを生みます。そうしたヘドロが、透明だった水を澱ませていきます。


 どうして自分はこうなんだろう。

 なんで何もかも上手くいかないんだろう。


 答えの出しようもない自問がぐるぐると脳内を駆け巡り、渦をつくって煩悶の底へ成す術なく流されていきそうになる時があります。




 そんな時は文字を書きましょう。


 文字を書くと、あ、意外と幸せじゃん。と気付く時があります。


 自分の文字に向かい合う時、自分と感情の間に透明なスクリーンが一枚入ります。スクリーンの先にある感情から放たれた文字が、スクリーン上に映し出されています。何百文字が面々と放たれ、醜悪な単語も、見るに堪えない言葉遣いも、文にすらなっていない文字のかたまりがすさまじい速度で打刻されていきます。


 しばらく、その文字列をつらつらと眺めていると、頷きながらも、涙が出そうになりながらも、ふいに、違和感が生まれてくるんですよね。


「あれ、ここまでのことなんだっけ?」と。


 自分の文字を見ることで、周りを見る余裕が一瞬生まれます。この町で、この地方で、この地域で、この国で、この大陸で、この丸の上で、この時の流れの中で、僕は本当に不幸な存在なんだろうか、なんて。


 生きる権利を奪われていない、商品モノとして扱われていない、首を鎖につながれていない、轟音と共に友人の内臓や血潮が乱れ飛んでもいない。水がある、ご飯がある、寝床がある、トイレがある、人がいる、息が出来る。


 そういう風に出来ることを数えていると、いつしか、身体を包んでいた真っ暗な氷が溶けていて、煌めく水面が見えてきます。


 不幸は貯蓄、幸せは消耗品と言いましたが、間違いですね。


 どちらも貯めたり使ったり出来るようなものじゃないです。いわば自然現象。ふいに振ってきて、去っていく天恵(天災)ですよ。もちろん、どうしようもない災害に遭って、落ち込むことも大いにあるでしょう。

 でも、そんな時は自分と周りを見つめ直すことで、少しくらいの不幸ならなんとか出来そうな気がしてきます。

 




 忘れないよう、今日の教訓を標語にして終わりたいと思います。


 ――幸せになりたいなら、ウサギになれ。









 決まりました……?

 あれ、視野を広く持て、という標語にしたかったのですが、よくわかりませんね。「ウサギに死角はない」と言われるほど、哺乳類の中でも特に広い視野を持つウサギを出してみましたが、これは誤解を生みそうだ。モフモフしていて、草をもしゃもしゃして、可愛い。やっぱりウサギはなごむんだけど、だからこそ「可愛がられる存在になれ」と受け取られてしまう気がする。


 しょうがない。

 視野の話は捨てて、言いたいことを言います。シンプルにいきましょう。









 ――幸せになりたいなら、文字を書け。


 









 うん、よし、決まった。

 ええこと言えました。



 そして、この文章を書いていて思いました。

「あ、意外と独り身でも大丈夫じゃん」


 この考えがヤバいのは知っているので、早めに素敵な人を見つけたいと思います。



 

 





 ※1 左利きが短命であることに、科学的な決め手はないようです

 左利きは右利きより平均寿命が9歳短いとの研究結果 根拠に乏しい?(2015年10月)

 https://news.livedoor.com/article/detail/10671382/

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る