第9話@スパイスの味
「翔、どうしたの?」
唯とも結構距離は縮まっていたように思う。けれど僕は反射的に避けてしまった。
「何でもないよ。」
中山さんからのメールだった。
***
夏の六時半はまだまだ明るい。掃除を終え、施設の中で夕食の準備に取り掛かろうとするその時にあの男は訪れたそうだ。あとから見ても僕からするとそいつには興味がまるでわかなかった。眉毛の長さ、整い具合、前髪の遊ばせ、その他もろもろ、気にはなるが仕方がない。仕方がなかった。
「すいません、中山さんでいらっしゃいますか?」
「そうですが…。」
「うちの息子を引き取りに来ました。」
「うちの息子を引き取りに、ですか…?」
中山さんは、僕にできるだけ背負うものを少なくしようと思っての気遣いをしてくれているように話してくれていたように思う。
「新城晶様でよろしらかったですね?」
「はい。私の息子、新城翔を引き取りに来ました。」
「この施設の規定としましてはそう簡単に本当のお父様がいらっしゃったからと言って子供を引き渡すわけにはいかないんです。条件としては本当のお父様であることの証明、DNAによる親子関係調査が必要になります。そこから実際にお会い頂いて、というのはすべて本人、すなわち翔くんの自由意思。本人次第ということになります。」
「残された時間は短いんです。実は妻…。翔の母が白血病を患っていまして、発見が遅れたこともあっていつ命を落とすかわからないような、そんな状態なんです。そんな規定に則って翔が母親と一生会えなくなるだなんてことになったら…、かわいそうで…。」
「可哀そう、ですか?」
「えぇ…。」
「よく言えたものですね。」
「え?」
「ここに住んでいるのは全員、高校生か施設出身の大学生ボランティアまたは私たちのような職員ばかりです。ここにいる高校生たちは、小さなオトナとしての一歩を踏み出してるんですよ、すでに。可哀そう、その言葉を使う対象は自らの下だと思っている者。…翔くんは、大人ですよ。対等か、何だったら無責任なこと言ってこうやっておしかけてくる貴方よりも上の存在ですよ。」
「私よりも上、ですか…。随分と舐めた言い方をしていらっしゃるけれど私の力にかかればこのような施設、補助金を切らせることなんて簡単なんですよ。」
「どういうことですか?」
「議員としての私でくれば、翔は取り合ってくれない、下出に話していたのですがらちが明かない。」
彼は座布団のついたバッチをフラワーホールに取り付けた。
「今度の市長が亡くなったことに伴う選挙があるでしょう。私、長年この町で議長を務めてきたのでそれなりに力は持ってるんですよ。」
「随分と横柄におなりになられましたが、この施設の仕事は恵まれなかった子供たちが大人になっていく過程で一人一人と寄り添い、助け合うことです。どのような脅しをかけられたとしても、屈しないですよ。」
「さすがは中山さん、お噂はかねがね聞いておりますよ。人生何があるかはわかりませんねぇ…。あなた、小さいころに地元では名の知れた…おっと、ここでこんなこと言っては恐喝になりかねませんから、やめておきましょうか…。」
その男は窓から外の景色を見たようだ。思いのほか、外は晴れ渡っていた。
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