第2話 後編



 夜空にぽっかり浮かんだ月がやけに綺麗だった。


 午後8時少し前、僕は公園の北の1画に来ていた。

 昨日と同じ公園内ではあるけど、場所は少し違っている。

 ここは工事中と書かれたパネルで囲われた、立入禁止の場所だった。


 パネルをくぐって中に入ると、そこは壊れた遊具が撤去もされず、ポツポツ残っている。特に手入れもロクにされておらず、地面は半分以上、雑草で覆われていた。空き缶や食べ物のゴミが散乱しているところを見ると、立入禁止にも拘らず、時々誰かが入りこんで遊んでいるんだろう。

 パネルの反対側は、所々ベロンとめくれたり、大穴が開いている金網で、そのすぐ後ろはかなり急な壁である事を考えると、その役割をちゃんと果たしていないのは明白だった。


 その金網の穴の位置を確認していると、入り口付近のパネルがズラされ、例の三人組が中に入ってきた。案外、時間に対して律儀な不良のようだ。

 僕の姿を見つけると、途端に顔にニヤニヤが張り付いた。


「よお、ちゃんとお金持ってきてくれたんだ?感心、感心」

 まさか僕が裏切るとは夢にも思ってないんだろう。リーダーはかなり上機嫌だった。肩を怒らせて、ゆっくり歩いてくる。


「入館証は?」

 僕が尋ねると、リーダーは上着のポケットから無造作に取り出し、顔の前でヒラヒラさせた。


「じゃぁ、約束の6万と交換な?」

 リーダーがニヤニヤ笑いながら言う。

 これもおじいちゃんが予想した通りだ。 


「6万? 3万の約束だよね?」一応、抗議を試みる。

「はぁ? 聞き間違えだろ?最初から6万だよ、6万」


 こういう輩は、最初に3万をあっさり了承したと見るや、もっと吹っかけてやれ、って思考になるんだそうだ。僕は三人組との距離を測りながらゆっくりと近付いていった。相変わらず三人共、人を見下した様な薄ら笑いを浮かべている。ある程度の距離を空け、僕は立ち止まった。

 残りの距離は相手に接近させる。それは、アイツ等を出来るだけ雑草のない地面に誘導する為だ。 

 徐々に近付いてくる三人。慎重にタイミングを測る僕。


 そして、僕はいきなりリーダーに向かってダッシュした。


 完全に油断していたリーダーは何の対応もできず、まともに僕の体当たりくらった。体格の差もあり、当たりはかなり激しい。そのままの勢いで真後ろに倒れ込む。後頭部を地面に強打したのか、ゴキっという嫌な音がした。


『いいか、タカヒロ。素人をぶっ倒すのに蹴りやパンチなんぞいらん。不意打ちのタックルがいい。まず反応できんからな。勢いつけて地面に倒しさえすれば、受身の取れない素人なんぞ、それだけで大ダメージ受けるもんだ』


 頭の中でおじいちゃんのアドバイスが再生される。

 一緒に倒れ込んだ僕は素早く立ち上がりつつ、相手のダメージを確認した。 

 リーダーは白目を剥き、体は異常な痙攣を繰り返している。頭にかなり深刻なダメージを受けていると思われた。


 僕は残る二人に向き直る。二人とも、何が起こったかまだ良く理解できていないような表情だった。僕は躊躇する事なく、ノッポに向かってダッシュする。自分が次のターゲットだと自覚したであろうノッポが、逃げるのか、立ち向かうのか、どちらかわからない曖昧な動きを見せた。

 多分、自分自身でもどちらを選択するかという間を外してしまったんだろう。

 ノッポも僕のタックルをほぼマトモに食らう。ただ、やや避けようとしたのか、リーダーのように後頭部から倒れる事はなく、右則頭部よりに地面に倒れた。また骨が砕ける嫌な音が響いた。 


「がっ、ぐっ」

 ノッポは気を失うまではいかず、異様な声を発しながら苦しんでいる。

 それだけ確認した僕は最後のターゲットに向き直る。


 残るチビは、アワアワ言いながら背を向け、逃げようとしているところだった。必死に走ろうとしているが、腰が抜けそうなのか、ガクガクと歩いてるだけだった。しかも、まともな思考ができないのか、向かっているのは金網フェンスの方だ。僕は勢いをつけ、容赦なくチビの背中からぶち当たる。違いすぎる体格差の為か、小さなチビの体は面白いように吹っ飛び、金網にまで届いた。 

 そのままうまい具合に大穴の部分を突き抜ける。

 この金網の向こうは、建物で置き換えると3階から4階分くらいの高さの壁で、その下は細い道路になっている。


 チビが金網を抜けた後、少しの間があって、グチャっという音が聞こえた。

 金網の穴から下を覗くと、暗くてハッキリしないが、道路に横たわる人影と、薄っすら広がる黒い何かがかろうじて見えた。多分、血だろう。


 僕はまだ痙攣を続けているリーダーに近付いて、胸のポケットにある入館証を確認する。間違いなく、僕の塾の入館証だった。入館証を自分のポケットに仕舞うと、僕は痙攣しているリーダーを担ぎ上げた。 

 非力な僕が簡単に担げたのは、極度の興奮状態にあるからだと思う。

 いわゆる火事場の馬鹿力というヤツだ。

 そう、僕は冷静に行動しながらも、気分はかつてないほど高揚していた。

 今この瞬間も、歓喜の叫びを上げたいほどだ。

 常にイジメられ、虐げられてきたこの僕が不良達を相手に逆襲に転じたのだ。

 そして今、僕がこいつ等の生命を握っているのだ。

 ふと気付くと、僕は笑っていた。可笑しくて、楽しくて仕方なかった。


 僕は笑いながら、リーダーの体を金網フェンスの穴に投げ込む。

 何かが激しく擦れるような音がした後、またグチャっという音が聞こえた。


 もう僕は満面の笑顔でノッポに近づく。

 ノッポは意識はハッキリしているらしく、なにやら激しく喚いていた。

 何を言ってるのか聞き取れなかったけど、僕は構わず、ノッポを持ち上げた。

 コイツは縦に長いし、暴れて運びにくいから、持ち上げてすぐ、そのまま地面に落としてやった。頭が先につく角度で落としたから、ゴリっていう、首辺りの骨が逝った音がした。さっきまでうるさかったのが静かになる。もう一度持ち上げ、フェンスの穴から下に落とした。 


 穴から下を確認する。

 道路に人影が三つ。いや最早、「人」ではなく、単なる肉の塊だろう。


 よし、最後の仕上げだ。

 僕はポケットに入れていたビニール袋を出した。

 袋の中には、タバコの吸殻が数本入っている。そう、これはアイツ等に初めて遭遇した時、アイツ等が吸ってたタバコだ。

 僕はおじいちゃんのアドバイス通り、今朝あの場所へ行き、これを拾っておいたのだ。

 その吸殻を適当にばら撒く。


 おじいちゃんが描いた筋書きはこうだ。


 不良小学生達が公園内の立入禁止場所に入り込み、喫煙したり、悪ふざけをしてる内、誤ってフェンスの穴から下に落ちてしまった。、と。


 パンチや蹴り、刃物なんかを使わなかったのも、タックルでできた傷と、フェンスから落ちてできた傷とは、見分けが付かないだろう、って事だからだ。

 本当におじいちゃんのアドバイスは的確で頼りになる。

 早く帰っておじいちゃんに報告しよう。きっとすごく褒めてくれるだろう。


 僕は全力で家まで走った。



◇◇◇




 朝、僕はとても清々しい気分で目覚めた。

 こんなに気分がいいのはどれくらい振りだろう。

 普段はモタモタと朝の支度をする僕だけど、今朝はあっという間に済ませてしまった。

 玄関で靴を履きながら、お母さんとおじいちゃんに

「行ってきます!」と挨拶した。


『行ってらっしゃい、車に気を付けるのよ?』

『おお、行ってきなさい』


 相変わらず姿は見えなかったけど、お母さんとおじいちゃんが返してくれた。



◇◇



 エレベーターで降りていると8階で止まり、サヤ姉が乗ってきた。

 サヤ姉は今日は一段と綺麗だった。


「おはよう、サヤ姉」僕はにこやかに挨拶する。

「おはよう、タカヒロ君。あれれ?今日は元気だね?何かいい事あった?」

 サヤ姉が僕の顔をマジマジと覗き込みながら言った。

「え? 特にはないよ」

 そう言いつつも、つい締まりのない顔になってしまう。

「ふーん? まぁ元気なのはいい事だわ」

 そう優しく笑うサヤ姉。


 何気ない会話をしながら一緒にエレベーターを降り、マンションを出る。

 遠くの方でパトカーのサイレンの音が聞こえた。


「そうだ、今朝シチュー多く作っちゃったから、また今夜でも差し入れに行くね?」と言うサヤ姉に

「うん、いつもありがとう」と笑顔を返す僕。


「気にしないで。 だってタカヒロ君?」


「え?」


 …ああ、また始まった。


 サヤ姉は綺麗でとても頭もいいんだけど、時々訳のわからない事を口にする。僕が一人暮らしだって? とんでもない。

 僕にはお母さんもおじいちゃんもいて、ずっと一緒に住んでるのに。

 今朝だって、姿は見えなかったけど、ちゃんと二人に挨拶してきたのに。


 ……あれ? そういえば、ずいぶん長い事、お母さんの顔見てない気がする……? お母さんってどんな顔だっけ……?

 えっ? おじいちゃんってどんな声してたっけ? 何だか頭がモヤモヤする……


 サヤ姉が変な事を言い出した時、何故か僕の心はザワザワしてしまうから、すぐに心に蓋をする。

 曖昧に笑いながら、サヤ姉の言葉を右から左に受け流す。

 でも、断片的に耳に単語が残ってしまう。


 ……交通事故で……もうすぐ一周忌……

 

 それらも僕にとっては何の意味も持たない言葉だ。

 曖昧に返事していると、サヤ姉はいつも困ったような顔をして黙り込んでしまう。暫く沈黙が続いたまま歩いていると、またサイレンの音が聞こえた。


「……さっきからパトカーのサイレン多いよね? 何かあったのかな?」

 サヤ姉が独り言のように呟く。

 僕はあいかわらず、薄っすら笑っているだけだった。




 やがて僕らは小学校に着いた。


 するとサヤ姉が、いや、吉澤先生が僕の背中をポンと叩く。


「じゃあ、今日も頑張ろうね、タカヒロく……」


 言いかけて、吉澤先生はペロッと舌を出した。


「いっけない! 学校じゃ、ちゃんとしないとね?」

 そう笑いながら、吉澤先生は改めて僕に言った。







「さあ、今日も頑張りましょう。 鈴木先生」















「深淵」

 了







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

深淵 シロクマKun @minakuma

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ