深淵

シロクマKun

第1話 前編



 その時、僕はめちゃくちゃ後悔していた。


 塾に参考書を置き忘れたりしなければ、

そしてそれをわざわざ取りに戻らなければ、

帰りが遅くなっちゃった分、お母さんに小言を言われるのが嫌で、

近道なんてしなければ、

近道した公園で、チラチラ光る赤い光に興味なんて持たなければ

こんな目に合わずに済んだのに。


 今、僕は不良っぽい3人組に取り囲まれていた。


 この人気ひとけのない夜の公園で。


 この公園を抜ければ僕の家はすぐそこなんだけど、ここはちょっと悪い奴等がたまる場所でもあった。それは学校でも注意するよう言われてたし、お母さんにもしょっちゅう念を押されてた事だ。 

 でも、今夜は塾の帰りが遅くなっちゃったから、そんな事はすっかり忘れてしまってた。この公園は割と広くて、いろんな知らない木もたくさん繁ってる。その広さに対して街灯は全然足りてないから、夜は本当の森みたいになる。だから、コソコソ悪さをするには丁度いい場所なんだ。


 出来るだけ足早に公園を通り抜けようとしてた僕だけど、チラチラと空中を漂う赤い光につい、興味を持ってしまった。虫かな?って思った。

 春っていう時期的にも、やや都会っていう場所的にも、流石にホタルだとは思わなかったけど、空中に8の字を描くような軌道やらが何かを訴えてるような気がした。 

 その光に誘われるように近付いた僕は激しく後悔する事になる。


 ドタバタと地面を駆け回る足音。

 まだ幼い、甲高い笑い声。


 そこで僕が目にしたのは、小学5、6年くらいの男子が三人、おのおのがタバコをくわえ、ふざけてそのタバコの火で空中に字を描こうとしていた姿だった。


 僕の存在に、三人はすぐに気が付いた。はしゃぎ回ってたのがピタリと止まる。


「お前、何見てんだよ⁉」


 一番体格のいいヤツが、声に怒りを込めて凄んできた。多分、タバコを吸ってた罪悪感より、変なカッコ悪い姿を見られたって事の方が、彼らの怒りを買ってしまったように感じた。

 その怒りに恐怖を覚え立ち竦む僕は、あっという間に三人に囲まれてしまった。

 

「おい、何か言えよ⁉」

 多分リーダー格であろう、正面の体格のいいヤツが、火の付いたタバコを下から僕の顔のすぐ前まで持ってくる。それだけで僕の足はガタガタ震え、まともに喋る事もままならなかった。


「あ、あっあっあ…」

 何も見てない、誰にも言わない、敵対しない、関わりたくない、そんな事を必死に伝えようとしたけど、まるで言葉にならなかった。

 僕は粗雑な暴力的な人間に圧倒的に弱かった。喧嘩した事もない。

 ただただイジメを受けるだけの人間だった。 

 自分に暴力的な言動や行動が向けられると、途端に体がガチガチになり、逃げる事さえできない有様だった。 


「何コイツ? めっちゃ震えてるんだけどwww」

 右後ろに回り込んでた細めのノッポが笑いながら言う。

 僕な余りにもヘタレな様子に三人組は、タバコを吸ってるのを見られたという危機感はすっかり飛び、逆に獲物を見つけた肉食獣の様な威圧感を身に纏い始めた。


「どうしたの〜、ボクちゃん? 怖いんでちゅか〜?」

 リーダー格が嘲るように笑いながら、僕をからかう。

 そんな時、左側に回ってたちょっと背の低いヤツが僕の顔を覗き込みながら言った。

「なぁコイツ、山田ババアのクラスに来たヤツじゃね?」

「ああ、ババアのクセにガキ作った山田の6年4組かよ?」と、リーダー格。

「あっ、本当だ! 前に隣の教室で見たわw」

 ノッポも僕の顔を見上げて確信したみたいだった。

 リーダー格が僕を上から下まで見て、その視線が胸の辺りで止まる。


 その視線の先にあった物、それは紐でぶら下げていた塾の入館証だった。

 それには塾の名前と、僕の名前、そして僕の顔写真が印刷されている。

 普段は塾にいる間だけ首からぶら下げてるんだけど、今夜は早く帰ろうと焦るあまり、外すのを忘れてた。

 ヤバい、隠さなくてはと思ったが僕は腕さえ動かせなかった。

 次の瞬間にはもう、入館証は容赦なくリーダー格に奪われていた。


「ふーん、鈴木貴浩たかひろ……か」リーダーが僕の名前を読み上げる。

「そうそう、そんな名前だったよ」

 チビがまるで手柄を上げたかのように、嬉々として言た。


「おいお前、偉そうに塾なんか行ってんの? なぁ、お前みたいなのが塾とか行っていいと思ってんの?」リーダーが威圧的に僕を睨みつける。

 他の二人が、そうだそうだと囃し立てた。


「じゅ、塾はこの学校に来る前から行ってるんだ。で、でももう辞めるつもりだから……」

「ふーん、ならコレいらないよな?」と、入館証を目の前でヒラヒラさせるリーダー格。


「い、いや、それはないと困るから……」

 入館証自体は無くしたと言えば、再発行してもらえるだろう。お母さんにはひどく怒られると思うけど。

 それより心配なのは、こんな奴等に何か悪用されないか?って事だ。それに、ウチの学校は、夜に塾に行く事なんて許可してないし。それを言いふらされたら、とってもまずい事になる。


「返して欲しいか? ならタバコの事はチクらないよな?」

 リーダー格がそう言いながら、顔をぐいっとと近付けてきた。


「う、うん。い、言わないし、僕は何も見てない……」


 三人が三人とも、醜悪な笑いを浮かべた。僕はこういう笑い方をする人間が心の中で何を考えているか知っている。自分よりも圧倒的に下の人間を見つけた時、何をしても決して逆らわないおもちゃのような存在を見つけた時、そして、その人間を操れる何かを手にした時、心に闇を持つ人間は歓喜に震えるんだ。


「言葉だけじゃ信用できないからな。取り敢えずコレは預かっとく」

 リーダー格がニヤニヤ笑いながら、そう僕に言った。


 それは僕にとっては死刑宣告にも等しい言葉だった。





◇◇◇



 自宅マンションに到着し、どんよりした気分でオートロックを解除していると、後ろから慌ただしい声がした。


「あーっ、待って待って! 私も入れて」

 振り向くと、若くて綺麗な女の人がかけて来て、僕にぶつかる寸前で止まるところだった。


「調度良かったー。バックの中から鍵探すの、面倒なんだよねー。」

 そう言いながら、女性は僕に笑いかける。


「サヤ姉……、あっ、吉澤先生、こんばんは。」

 僕は言い直しながら挨拶した。


「はい、こんばんわ。って、学校じゃないんだから、いつも通りサヤ姉でいいよ? タカヒロ君」


 彼女は2年生のクラスを受け持つ先生なんだけど、お互いの母親同士が友達という事もあり、昔から家族ぐるみで付き合いのある人だった。僕の事を弟のようにかわいがってくれるし、僕もこの綺麗なお姉さんの事が大好きだった。勿論、学校ではなるべく自然にふるまってるけど。


 僕等は一緒にエレベーターに乗り込んだ。サヤ姉は8階、僕は12階だ。

 狭いエレベーターの中で、ふいに女の人のいい香りがした。

 サヤ姉がぐっと顔を近付けてきたからだ。下から上目遣いに僕を見ながら言う。

「タカヒロ君、顔青いよ? 何かあった?」心配そうに僕の顔を覗き込む。

「な、何にもないよ。」僕はサヤ姉の綺麗な目をまともに見れなかった。


「そう? 新しい学校は慣れた?」

「う、うん、まだちょっと……かな。」


 そう言ってるうちに8階に着いた。


「何でも相談してね? じゃ、おやすみ、また明日」

 僕に優しく微笑みながら、サヤ姉は降りていった。



◇◇◇





 家に着いたら案の定、お母さんの小言が待っていた。


『遅かったわね、タカヒロ? ちゃんと真っ直ぐ帰ってくれないと、お母さん心配しちゃうでしょ?』姿は見えないけど、キッチンの方から声がする。


 僕はその言葉を無視して、さっさと自分の部屋に逃げ込んだ。

 部屋の中では、おじいちゃんが待っていた。


『おお、タカヒロ、帰ったか。お母さんは怒ってるがな、男の子はアッチコッチ遊び回るくらいがいいんだぞ?』

 そう言っておじいちゃんは笑った。 

僕はおじいちゃん子だ。おじいちゃんは昔消防士やってて、体もガッチリしてるし、すごく頼りになる。僕はお母さんや、サヤ姉には相談できない事でも、おじいちゃんだけには話せた。おじいちゃんは何でも話を聞いてくれるし、その都度的確なアドバイスもしてくれる。僕は迷わず、今日あった事をおじいちゃんに相談した。


 おじいちゃんは黙って僕の話を最後まで聞くと、静かに口を開いた。


『タカヒロ、お前はどうしたい?道は2つだけ。戦うか、逃げるか、だな。それだけは自分で決めなさい。どっちを選んでも、おじいちゃんが全力で味方してやるから。一度、ゆっくり考えてみなさい』


 そう言うと、おじいちゃんは部屋から出て行った。




◇◇◇




 朝、起きた時には僕の心は決まっていた。

 逃げ続けるのはもう嫌だった。僕はおじいちゃんに訴えた。

 戦いたい、って。

 おじいちゃんは満足そうに僕の頭を撫でてくれた。

 そして、僕が今日すべき事を教えてくれた。

 僕は早速、おじいちゃんのアドバイスを実行するべく、朝御飯も食べずに飛び出した。出る時、お母さんが何か喚いていたけど、そんな事は気にしない。


 まだ朝早かったから、早々に目的を果たせたし、そのまま余裕で学校に着いた。心ここにあらずって感じのフワフワした気分で授業を終え、昼休みの給食を終えた時、三人組が僕に接触してきた。そのまま、人気のない倉庫裏に連れて行かれる。 


「コレさぁ、3万で引き取ってくれない?」

 リーダー格が塾の入館証をヒラヒラさせながら、僕にそう持ち掛けてきた。


『ああいう奴等は必ず金を要求してくる。そして一度金を渡したら二度、三度と更にエスカレートしながら要求してくるようになる』


 昨日、おじいちゃんが教えてくれた通りだった。完全に想定内だったから、

僕も動揺する事はなかった。おじいちゃんのアドバイス通り、お金を払うのを承諾し、受け渡す場所と時間を伝える。

 三人は完全に僕を見下しているのか、まるで疑うことなく、その取引を受け入れた。

 時間は今夜8時、場所は昨日の公園だ。

 ここまで来たら、後は決行するのみ、だ。


 僕は静かに決意を固めた。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る