二章 十三節


 もう二度と会わないと決めていた。


 アメリアはイザベラから着信があっても取らなかった。レオに『イザベラに近付かないで欲しい』と言われたからではない。気落ちしたイザベラの側に友人として居たかったがそれよりも養父であるレオとの関係が正常なものになる事を望んでいた。『友人』として望まれない自分がレオとイザベラの現在の関係を『正常なもの』ではないと表するのはおこがましいと理解している。しかし互いに想いやっていながらもそれを言葉にできずにぎくしゃくと続けるのは端から眺めていても辛い。当事者ならば尚辛いだろう。自分が二人の仲に割って入って時間を無駄にさせるよりも限られた時間の中、二人で解決する方がいい。父と子でなくとも、仕事上のパートナーでなくとも二人に適した距離をとれる筈だ。


 だから二度と会わないと決めていた。


 しかし今しがた、レオから電話が掛かって来た。『イザベラが幾度となく君を呼ぶので来て欲しい』と。容態を問うが『来たら分かる』とレオは通話を切った。


 行きたいのは山々だが父を放る訳にはいかない。アメリアは郊外のサービスエリアに停めた黒いレディに凭れて両腕を組む。今日は弟子の成長具合を監察しに師であるローレンスが同行したのだ。まだ向かわなければならない現場が幾つか残っている。それに仕事が無くても家がある首都から大分離れた場所に父さん一人置いて行けない。


 唇を噛み締め悶々としていると、トイレからローレンスが戻って来た。


「え、と。……どうしたの?」ローレンスは湿ったハンカチを仕舞う。


「な、なんでもありません」眉下げたアメリアは携帯電話をジャケットの内ポケットに仕舞う。


「そんな感じには見えないよ? 困った顔をしてる」


 眉を下げるローレンスにアメリアは唇の両端を吊り上げチシャ猫のような笑顔を無理矢理作った。


 失笑したローレンスは問う。


「携帯電話を仕舞ったって事はメール? お友達から?」


 アメリアは瞳を見開く。


「……鈍感なのに今日は冴えてる。変なの」


 ローレンスは肩を落とした。失言に慌てたアメリアは掌で口を覆う。


「お友達なんだね?」ローレンスは苦笑を浮かべた。


「はい。……距離を置こうって決めてたけど」


「喧嘩したの?」


「いいえ。あたしよりもお父さんとの時間を大切にして欲しくて。……でもそのお父さんに『イザベラがどうしても来て欲しいって言ってる』ってさっきメールで」


 ローレンスは視線をアメリアの瞳から足許に落とす。濡れたコンクリートに佇む娘のエンジニアブーツが見えた。気持ちが落ち着かないのだろう。もぞもぞと小刻みに動いている。心根の優しいローレンスには彼女の気持ちは痛い程理解出来た。


 アメリアは分別が無い娘ではない。以前も友人の件で急な休みを取る際はとても申し訳無さそうに幾度も謝った。今回も同じ友人だ。『監察期間』に入った上に休みを取りたいと言い辛いのだろう。ましてや仕事中だ。師である自分にそんな話は持ちかけられまい。


「親子の時間も大切だけれども友達の時間も大切じゃないかい?」


「ん……命の時間が短いみたいなんです。見習いのあたしじゃよく分からなくて。……イザベラ、お父さんとあまり気持ちが通じてないんです。本当は互いに想いやっているのに。あたし……父さんがいないから……そう言うの見てると辛くて。でもどうすれば良いか分からなくて」


 薄い胸がちりりと痛む。唇を噛み締めたローレンスは視線を逸らす。血が繋がった親子なのにそれを娘に否定されるとはこんなにもやるせない事なのか。アメリアもまた僕に対してこんな気持ちを抱いているのだろう。


 言わなきゃいけない。僕が父親だって事を。でも今はそんな事言えるタイミングではないし、心の準備もしていない。……娘を傷付けているのに保身に廻る……こんなちっぽけで臆病な自分が嫌になる。


 ローレンスは小さな溜め息を吐くと自分に言い聞かせるように言葉を紡いだ。


「親子の問題だからね。なるようにしかならないよ。神が人間の世界に口出し出来ないように、親子関係も他者には手出し出来ないんだ」


「う……ん」アメリアは俯く。


「そんな時は友達が居てあげるべきだと想うな。何とかしなきゃいけないのは当事者だけど、息抜きさせてあげられるのは友達の役目だろう?」


 優しい声音にアメリアは顔を上げる。するとローレンスが微笑んでいるのが見えた。いつもの微笑と違ってぎこちないように想えたがアメリアはこっくりと頷いた。


「行ってあげて」ローレンスは黒いレディのキーを渡した。


「でも……仕事も残ってるし、それに父さんを置いて行くなんて」


「大丈夫だよ。タクシー捕まえればいいし、僕だっていい大人だから一人で帰れるさ。イザベラは今、誰よりも君を必要としているよ。君じゃなきゃダメなんだ」





 冷えた地を車輪が転がる。コトコトと静かな音が死者の森に響く。アメリアが押す車椅子に座したイザベラは白いダウンジャケットに身を包み、マフラーを巻いていた。ざっくり編まれたコーラルピンクのマフラーがイザベラの唇を隠す。日射しが出ているとは言え、アメリアよりも地に近い背丈になったイザベラには寒い日であった。


「日射しが出ているって聞いたから暖かいと想ったけど……レオの言う事聞いて正解だった。……オイル式カイロを持って行けだの、靴下を二枚履いて行けだの、車椅子の押し方レクチャーしたりだの過保護で辟易してたのに」虚ろなシトリン色の瞳に墓地の森を映すイザベラは鼻を鳴らす。


「レオって車椅子の相手に慣れた感じがしたな」裸の樹々の間から降り注ぐ光を顔に浴びつつアメリアは微笑む。


「いつかこうなるって予想していたみたいだから。車も車椅子積めるタイプにいち早く切り替えたの。……そこまで用意周到なら光を失う前に首輪着けてでも医者に引っ張って行けたのにね」


 眉を下げたアメリアは黙す。


 コトコトと車椅子が進む音だけが死者の森に響く。


 盲いたイザベラは笑う。


「……そんなに深刻にならないでよ。私まだ死んでないでしょ。医者に引っ張って行こうなんて無理よ。医者嫌いだもの私。診察されるなら見えなくなる方がマシ。それにアメリアの辛気臭い顔を見なくて済むと想うと清々する」


 唇を尖らせたアメリアはクスクスと笑むイザベラと共に墓地を進んだ。苔生した墓石の前を幾つも幾つも通り過ぎた。


 盲いたもののいつも座していた墓石の場所は分かるらしい。気付かずに素通りしようとしたアメリアをイザベラは制す。


「ここよ。この墓石」


 アメリアは車椅子を止める。


「どうして分かるの? 眼が見えるあたしでさえ気付かなかったのに」


 マフラーを外しつつイザベラは微笑む。


「……空気の流れがここだけ違うから」


「空気?」


 外したマフラーをイザベラは差し伸べる。アメリアはそれを受取った。


「そう、空気。巧く言えないけど……他の墓と違って荒涼とせずに穏やかな感じがする。泉が湧き出るみたい。幸せな墓って言ったら語弊があるけどそんな感じ。……掘り返したら亡骸じゃなくて温暖でのんびりとした田舎が現れそう」


 失笑するアメリアにイザベラは舌打ちする。


「ガキ臭いと想ってるんでしょ?」


 アメリアは笑みを零しつつも片手で口を覆う。


「ううん」


「嘘」


「うん。嘘」


「ほら見なさい」イザベラは鼻を鳴らした。


「でも……イザベラが言うんだったら本当にそんな素敵な場所に通じてるのかもしれない。長い事このお墓に座って吸血鬼を待っていた訳でしょ? それを感じるって事はきっと故人は幸せな所へ逝ったんだよ」


「だといいね」


 マフラーを畳んだアメリアは車椅子のハンドルに引っ掛けたデイパックにそれを仕舞いつつ墓石を見遣った。いつもイザベラが座していた墓石には母たるユウの名が刻まれていた。


 瞳を見開き、アメリアは声を失う。母さんの墓ってここだったんだ。イザベラが座っていたから気付かなかったんだ。……どんなに探しても見つからない訳だ。そっか。こんな近くにあったんだ。『泉が湧き出るみたい。幸せな墓。掘り返したら亡骸じゃなくて温暖でのんびりとした田舎が現れそう』って……母さんはランゲルハンス島で幸福に暮らしているからあながち間違いじゃない。死者の声を聴く人間は逝先まで見えるのだろう。


 手を止めて物思いに耽るアメリアにイザベラは気付く。


「……どうしたの?」


 我に返ったアメリアはデイパックのファスナーを閉める。


「ごめん。ちょっと考え事してた。幸せな墓なら何故吸血鬼は毎月命日にやって来るんだろうね?」


「それを散歩がてらに今日解明しようって話でしょ。二十二日の今日か明日が勝負よ。イブとクリスマスは神の力が強まるから吸血鬼は外出しないだろうし」


 苦笑するアメリアは呟く。


「仕事サボって探偵ごっこなんてしていいのかな。父さんごめん」


「サボりじゃない。私のお守りでしょ」


「そうだったね」


「言うようになったじゃない」イザベラは鼻を鳴らした。


 毎回墓石に座して待っていては吸血鬼も出るに出られないだろう。それに今回は車椅子もある。かなり目立つだろう。二人は墓石の近くの植え込みに身を顰めて吸血鬼を待つ事にした。


 レオが気を利かせて持たせた水筒からハーブティーを注ぐと二人は暖をとる。湯気が立ち昇り、イザベラの白い頬がほんのりと色づく。


「これで焼き菓子でもあればピクニックね」


 両手でメラミンカップを包み込むイザベラはハーブティーを一口、喉に送ると瞳を伏せた。シトリン色の瞳に白く長い睫毛が庇を作る。瞳に映る薄い影にアメリアは知性と色気を感じた。


 この間レオが話してくれたボリスって人……イザベラのお父さん、こんな感じに眼差しをしてるのかな。もの静かで知の泉のような人だって……。


 黙すアメリアが気になったイザベラは問う。


「何?」


 アメリアは瞬時に肩を跳ね上げる。


「えっ……。もしかしてイザベラ、見えてる?」


「そんな訳ないでしょ。いつもポツポツと喋る口が留守だから、人の顔色窺ってるんだろうって」


「鋭い」アメリアは苦笑を浮かべた。


「……大分前から眼が霞んでいたから見えなくなるのは覚悟していたの。孤児院に居る時よりも臥せる割合も高いし、徐々に体が悪くなってる自覚はあるもの。……いつか見えなくなる時の為にって家の間取りを覚えたり階段の数を覚えたりした」


「……見えなくなるのは嫌じゃなかった? あたしだったら怖い」


「正直言えばムカつく。『なんで私なの?』って想った。正直言えばアメリアの眼球を奪って自分の眼窩に嵌めたい所。始めから抱いている物を理不尽に取り上げられるのは悲しい。でも眼が見えなくなったってそれで人生が終わりって訳じゃない。これから何年……ううん何カ月生きられるか分からないけど、それまで鬱々としてるなんて詰まらないでしょう? たまたま眼が見えない人生を送る事になった。それだけ」


 アメリアは言葉を失った。


 気配に気付いたイザベラは言葉を紡ぐ。


「私、気付いている。もう長くないって事くらい。仕事を通じて後悔も幸福も、怒りも悲しみも喜びも触れて来た。……魂の現場で触れて来た事だから……後悔しないように生きたいって。短い間なら尚更」


「強いな……イザベラは」


「強くなんかない。……自分の期限が分かっていても『生きたい』って想う。だから吸血鬼の可能性に賭けてみた。……それが医療よりも論理的ではない事でもどんなに子供っぽい事でも自分が望んだ方法だから。永遠の命を手に入れて家族を見守れるなんて素敵な事じゃない?」


「家族ってレオ?」


「聞かないでよ。恥ずかしい」イザベラは頬を染めた。


「ふうん」


「……もしかして話聞いたの?」


「何それ。聞いてない」


 眉根を寄せるイザベラにアメリアは唇を引き結ぶ。しまった。口を滑らせた。この話はあたしがして良い話じゃない。レオの口から紡がれなければならない話だ。


 口籠るアメリアにイザベラは鼻を鳴らす。


「……私を仲間外れにアメリアとレオだけで秘密の話? クリスマスに重大発表とか止めてよ。にやついたレオが『クリスマスプレゼントがあるんだ。先ずは一つ目。イザベラ、新しいママだ』ってアメリアを紹介するとか止めてよ? 眼が見えなくなる以上に最悪よ」


 カップに口を付けていたアメリアはハーブティーを噴き出した。


「更には『もう一つは来年家族がもう一人増える。妹か弟の名前を考えて』とか止めてよね?」


「そんな事絶対に無いから!」頬を真っ赤に染めたアメリアは唾を飛ばしつつ抗議する。


「だって以前泊まった時、私が寝室に退がったらアメリアとレオ、リビングにしけこんでいたじゃない? レオって大人の女に興味ないから子供っぽい女好きそうだし、今まで我慢していた分がっつくだろうなって」


「レオとあたし、何でも無いから! ってかレオに嫌われてるだろうからそれは絶対にない!」アメリアは口許を拭った。


「ふうん。じゃあ『男と女』の話じゃ無ければ話って何?」イザベラは眉を顰めた。


 アメリアは眉を下げる。どうやって誤摩化そうか。


 もそもぞと口を動かし視線を彷徨わせるアメリアをイザベラは盲いたシトリン色の瞳で睨みつける。焦点こそ合わない。しかしその眼付きは獲物を品定めする猛禽の眼付きだった。


 有無を言わせぬ気迫にアメリアはたじろいだ。……まるで母さんが本気であたしを叱ってるみたい。ケンタウロスのドロテオとの賭けがバレて頬を引っ叩かれた時みたい。


 進退窮まったアメリアが背に脂汗が伝うのを感じていると墓の方から足音が聴こえた。同じく聴力を頼りにしているイザベラも気配を感じ取ると声を潜める。


「……来た」


 アメリアはこっくりと頷くと植え込みから頭が出ないよう地に体を伏せた。冷えた土が容赦なく熱を奪う。唇を噛み締め耳を澄ました。


 冷えた土を規則的に踏み吸血鬼の足音は徐々に近付く。体重が軽いのか音も軽い。体力もあまりないのか弾む息もアメリアの耳に届いた。


 墓石を前にした吸血鬼は立ち止まる。カサカサとビニールが風にそよぐ。アメリアは息を飲む。するとツンと澄ました生花の香りが鼻腔を突いた。


「……やあ。久し振り」


 ブーケを供えた吸血鬼の声にアメリアの眼と鼻と喉の奥が熱くなる。毎日耳にする穏やかな声……父さんの声だ。


 アメリアは熱くなった目頭を押さえつつ植え込みの隙間から墓所を窺う。滝のような黒髪を結ったローレンスは大輪のユリのブーケが置かれた墓石を見詰めていた。


「先月は来られなくてごめんね。十年振りに戻れたのにまともに顔出せなくて……って言っても君はここにはいないものね。結局、これは僕の独りよがりかな」


 溜め息を吐いたローレンスは屈む。


「今日は……君がリュウと共に逝ってしまった日だね。ごめん。あの時、僕はどうする事も出来なかった。水色のマフラーで手首を縛り合った君とリュウがベランダから落ちる様が眼に焼き付いて離れない。この十年、民間人を巻き込んだ戦場、毎日命のやり取りをするダウンタウンの廃墟に居ようとも君を失った瞬間を忘れた事は無い。永遠に失ったのに再び君に触れられたなんて……。全てを忘れて君の隣で笑って過ごせたらって心の奥底では想ってた。……でも悔やまない。僕には僕の使命があったから。僕の背を押してくれた君に感謝している。だから……僕のお嫁さんは君だけだ」


 アメリアの頬に温かい涙が幾筋も伝う。……父さんは母さんを忘れた訳じゃなかったんだ。ずっと想っていてくれたんだ。


 視界が涙でぼやける。雨天の道路のように頼りない。洟を啜りたいが我慢したアメリアは耳を澄ませる。


「あの島で過ごした日々……懐かしいね。こっちに戻ってから夜が訪れる度に想い出すよ。温かい寝床で瞼を閉じた人々が魂を島に彷徨わせるのに……ハンスと契約を交わしても、死を許されない僕はそれが出来ない。だから君の笑顔を瞼の裏に描いては想いを馳せている。……それしか出来ないんだ」


 ユウの墓石に語りかけていたローレンスは手の甲で濡れた頬を拭う。


「ごめん。ここに来る度……いつも涙を見せるね。それにいつも同じ話だ。……君に会えないから過去の話を紡ぐしか出来ない」


 洟を啜る短い音が絶え間なく墓所に響く。ローレンスは大きく鼻を啜ると深く息を吐く。


「……そう想っていた」


 植え込みに身を顰めて嗚咽を上げるまいと唇を噛み締めていたアメリアの肩がぴくりと跳ねる。……どう言う事? 充血した眼を見開いたアメリアは植え込みの隙間から墓所を窺う。


「どうして……君が苦労するような事を抱えたの? 僕に」


 ローレンスが言葉を言い切らぬ内に携帯電話の着信音が鳴る。アメリアとイザベラは両肩を跳ね上げた。しかし自分が設定した着信音ではない。


 じゃあ誰の? アメリアは眉を下げる。


 すると小さな溜め息を吐いたローレンスがジャケットの内ポケットから携帯電話を取り出す。彼は液晶画面を見下ろすと電話に出る。アメリアとイザベラは胸を撫で下ろした。


「……うん。少し顔を出せたから……大丈夫だよ。気にしないで、パンドラ。彼が来ているなら顔を出さない訳に行かないもの」


 耳を澄ませていたアメリアは話の要領を掴む。どうやらローレンスはパンドラに呼び出されたらしい。きっと死神が集うバーであるステュクスへ向かうのだろう。ローレンスが庇っていた様を窺うにパンドラもローレンスにとって今日が大切な日である事を知っていたようだ。しかし……最後に何を言いかけたのか。


 一点を見つめアメリアが考え込んでいるとローレンスは墓石を一度だけ撫で、その場を後にした。


 足音が遠ざかり、イザベラがアメリアの肩を揺する。


「……行っちゃった」


 意識を引き戻されたアメリアはイザベラを見遣る。


「……ごめ。ぼぉっとしてた」


「声掛けられなかった」イザベラは長い溜め息を吐いた。


「……掛けなくて良かったの?」アメリアは眉を下げる。掛けた瞬間、自分の存在が明るみに出る。……そんな事にならなくて良かったが。


「掛けられない。……あんなにも苦しんで悲しんでいるもの。だのに『私を噛んで吸血鬼にして』なんて言える? 例え共に永遠を生きたって彼の苦しみを私は払ってやれない。私にその権利は無い。彼を笑わせてあげられるのはあの墓に眠る女性しかいない」


「……そっか」


「吸血鬼は諦める。吸血鬼、精一杯生きてるみたいだから。そんな人に余計な重荷を背負わせられない。……私も精一杯生きたらいい。幸いに彼と違って命に限りがあるもの。……レオやアメリアを亡くして墓の前であんな想いを永遠に味わうのは私には堪えられない」


「……そう」アメリアは瞳を伏せる。


「とても強い人、あの吸血鬼」


 アメリアは息を飲み、瞳を見開く。


「強い?」


 イザベラは唇の両端を微かに上げて微笑む。


「声からして弱そうで儚そうな男だけれども素直で心根が優しくて強い人。独りぽっちで永遠を生きて来たんだもの。その女性と知り合った時は幸福なんて言葉では言い表せなかったでしょうね。……失った時から今に続く悲しみも深い物だろうけど。……こんな生い立ちだから吸血鬼の気持ちよく分かる。……私は偏屈になったけど吸血鬼は違う。だからこそ彼に甘えてはならないって想った。彼に頼らず、彼みたいに最期まで強くありたいと想った」


 アメリアは瞼を伏せる。……自分も甘えていたのかもしれない。永遠を独りぽっちで生きる決意をした父に『実の娘』である事を気付いて貰うだなんておこがましい。しかしハデスに『自らの口で自分がローレンスの娘である事を話してはならない』と厳命されている。母のユウが暮らすランゲルハンス島を後にした時に既に運命は決まっていたのだ。自分は島の外に出れば消える存在だったのだ。……それでいいじゃないか。母や島民達から心優しく他者の為に命を投げ打つ父の話を聞かされ会いたいと切に願った。そんな父に会えたのだ。これ以上を願ってはいけない。


「……うん。きっと強い人なんだね。だからこそあたし達は甘えちゃいけないね。一歩一歩自分の生を歩まなきゃ」

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