二章 五節
「何故……引き取るの?」
日課の読書を中断させられたイザベラは機嫌を悪くした。
ベッドに座したイザベラの真向かいにレオは丸椅子を運ぶと遠慮なく座す。
「家族が欲しくてね」
「見た所まだ若い部類ね。だのに父親ごっこなんてしたいの? 私はまっぴらよ。孤児院を出られるのはマシだけど。あなたみたいな遠慮もクソもない男が保護者なんて嫌。子供が欲しいなら女の腹を膨らませれば良いじゃない?」イザベラはレオを睨みつけた。
脚を組んだレオは微笑む。
「その才がある者が不当に扱われるのを放って置けないんだ」
「……院長から話を聞いているようね。気障ったらしいお坊ちゃんが養父なんていけ好かない。肥溜めに潜っているようだわ。鼻水垂らしたガキに囲まれてクッキーかじってホットミルク飲まされて童謡歌わされてる方がまだマシ」
「俺にその力を貸してくれないか? 声無き者の声を叶えてやりたい」
「嫌」
「じゃあ貸さなくて良い。くれ」レオはイザベラの瞳の奥を見据えた。
率直な言葉と視線にイザベラは面喰らった。鼓動が跳ね上がり、気管が圧迫される。彼女は咳き込んだ。
「大丈夫か」
レオは水差しから水を汲むと胸を押さえて咳き込むイザベラにコップを差し出した。イザベラはレオの手を跳ね退ける。床にコップが落ち、ガラスが形を失った音が響いた。
咳き込みつつもイザベラはレオを睨む。
「自分の……始末くら、い、自分で……つけるわ」
少女と言えども他者を睨みつける瞳は捕食者……小さなヒョウを想わせるものだった。
「……すまない。余計な事をした」
呼吸を整えるイザベラに深々と頭を垂れたレオは、彼女の足が傷付かないようにガラスの破片を拾う。
「……ガキに頭なんて下げないでよ」イザベラは鼻を鳴らす。
「ガキだなんて想ってないよ」
「……じゃあ何故引き取ろうと?」
ガラスを拾う手を止めたレオは顔を上げる。
「さっき言ったじゃないか。家族が欲しいって」
「上っ面の言葉に騙される程ガキじゃないわよ」
「家族が欲しいのは本当だ。それも真実だし……君の力を欲しているのもまた真実だ。ビジネスのパートナーとしても君を欲している。無論紙面上は『養父と養子』としての関係になるけどね」
「……ビジネスだったら私に見返りはあるのよね?」
「成人に達するまで金銭を含め全ての面倒は見るつもりだったけど……他に何か望むものがあるのかい?」
イザベラはレオを見据えた後、唇を開く。
「……ビジネス以外は好きなように過ごさせて。私は最も大切なものを削って貴方に差し出すの。一人前の仕事をするの。私をガキ扱いしないで。学校なんか嫌。友達なんか嫌。家族ごっこなんか嫌。飽く迄もビジネスのパートナーとして接して」
「何故そこまで人との関係を嫌がる?」
「……約束するのしないの?」
「分かった。約束する」
「……口約束なんて嫌よ。一筆したためて頂戴」イザベラはレオを睨んだ。
呆気にとられたレオは失笑する。
「しっかりしたパートナーだ。実に頼もしい!」
「……あなた弁護士でしょ? だったら弁護士として仕事をして」
苦笑を浮かべたレオはブリーフケースから紙を取り出すと文章を記し、サインをした。そしてその書類をイザベラに渡すとペンを差し出した。
「これが俺達を繋ぐ書類だ。養子縁組の書類とは違う、安っぽく非公式ではあるけれども完璧な書類だ」
文面を読んだイザベラは瞳を閉じると意を決し、サインを記した。
「ありがとうイザベラ。俺はレオ。改めて宜しく」書類を受け取ったレオは右手を差し出した。
「握手はしない。握手をしたら失うものを作る事になるから」イザベラはレオの手を振り払った。
「そう想ってもらえるなら光栄だ」行き場の無くなった手を頬に当てレオは肘を突くと苦笑する。
イザベラは鼻を鳴らした。
「でも家族や友達じゃなくともビジネスのパートナーだって握手するだろう? 俺は依頼人と初めて会う時に握手する」微笑んだレオは再度手を差し出した。
イザベラはレオの琥珀色の瞳を見詰めた。微笑みは崩れない。視線も微動だにしない。真実を述べているようだ。
「分かった。レオ、改めて宜しく」
イザベラはレオと握手を交わした。
その日の昼、エスターの屋敷を久し振りに訪れようとしたアメリアは電話を掛けた。
応対したのはセイリオスだった。いつもアメリアの声を聞いただけでエスターに電話を代わろうとする彼に間があった。
しかしアメリアはそんな些細な事を気にせず言葉を続ける。
「今日、仕事が早く引けそうなんです。お茶の時間にお邪魔してもいいですか? 昨晩、ドライフィグのマフィンを焼いたのでエスターさん……ううん、おばあちゃんに食べて貰いたいなって」
電話の向こうのセイリオスは暫く黙していたが『わたくしも奥様もアメリアさんにお会い出来るのを楽しみにお待ちして居りますね』と通話を切った。
無駄話を好まないが愛想良く対応してくれるセイリオスの態度がアメリアは腑に落ちなかった。いつもならおばあちゃんの声を聞かせてくれるのに……。
アフタヌーンティーの時間、アメリアは仕事を切り上げエスターの屋敷を訪れた。
アメリアを出迎えるセイリオスの顔色は心無しか血の気が失せていた。いつもリビングに通されるが今日はベッドルームに通される。
エスターは具合が悪いのだろうか。背筋を伸ばしかくしゃくとしているとは言え、高齢の女性だ。
ベッドルームのドアの前で眉を下げるアメリアにセイリオスは微笑む。
「奥様はアメリア様にお会いするのを楽しみにして居られました。朝は起きていらっしゃいましたが今はお休みになられてます」
「え……。じゃあ日を改めてまた来ます」
「いいえ。お会いして下さい」
アメリアは眉を下げる。休んでいる所を邪魔しては悪い。
「えと……じゃあリビングで待たせて下さい。待ちくたびれさせたあたしが悪いんです。待ちます」
「いいえ。それではわたくしが叱られます。是非ともお会いして下さい」
腑に落ちないがアメリアは渋々と頷いた。するとセイリオスはドアを開き、彼女を中へ促した。
アメリアが部屋に一歩踏み入れると目前に大きなベッドが鎮座していた。高い天蓋からは白いレースの天幕が垂れ、翼のようだ。レースは屋敷の主人を守護している。棺の四隅で翼を広げてファラオを守護する女神のようだ、とアメリアは想った。
ベッドルームに漂うポプリの芳香に鼻腔をくすぐられたアメリアはくしゃみをする。しかし天幕越しのエスターが起きる気配はない。
よく休んでる……。だのにあたしなんかがベッドルームへ入って良いのかな?
アメリアは暫く狼狽えていたがベッドへ近付いた。
「……失礼します」
断りの言葉を呟くがエスターは起きない。アメリアはベッドの側にあった猫脚の椅子に腰を掛けた。
天幕のレース越しに覗くエスターの顔は美しかった。レースの皺に頬の皺が隠れ、若々しく見える。年の所為で色素が抜け切った髪でさえ、プラチナブロンドに見間違う程だった。
流石女優。エスターが漂わせる美しさと気品にアメリアは小さな溜め息を吐く。
しかしいつもの『おばあちゃん』のエスターが恋しくなる。
間近で覗きたくなったアメリアは席を立つと天幕をめくり、エスターに近付く。
起こさないようにそうっと……そうっと……。
息を殺したアメリアはエスターを見下ろした。
間近で覗くエスターはいつもの優しい『おばあちゃん』だった。セイリオスと話している時は凛としているがアメリアに向ける表情は柔和だ。それと同じく瞼を下ろしているエスターは口許に微笑みを浮かべていた。
その微笑みにアメリアはつい声を掛けてしまった。
「おばあちゃん」
部屋に声が響く。アメリアは片手で口を押さえた。声を潜めるべきだった。これではおばあちゃんが起きてしまう。
眉を下げたアメリアはエスターを見下ろす。エスターに起きる気配はない。
ほっと小さな溜め息を吐いたのも束の間、アメリアはある事に気が付いた。
エスターの胸が動いていない。
瞼の中の眼球運動は兎も角、寝ている間も人間は呼吸をする。だのに胸が動いていないのだ。
一瞬にしてアメリアの心は凍り付いた。
信じたくない。しかしセイリオスのいつもと違う態度も、初めてベッドルームに通された事も事実を認めれば辻褄が合う。
「……お、おばあちゃん?」
再度声を、先程よりも通った声を掛けるがエスターは瞼を上げない。
そんな……お別れするだなんて想ってもみなかった。だって……だって、いつまでも一緒に居てくれると想ってたから。もっと顔を出せば良かった。もっとお話しすれば良かった。お別れするならあたしが関わりたかった。そしたら少しは覚悟出来たのに……。仕事の対象者リストにおばあちゃん入ってなかったもの……そんな……突然過ぎるよ。
アメリアは膝を落とした。
眠るように息絶えているエスターの側でアメリアは為す術無く、唇を噛み締めた。
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