第2話
ある意味、もっともこの場にいてはいけない人物である。
お宮さんは、僕の見たこともないような哀しげな表情を浮かべ、ぽつんとそこに立ってこちらを見ていた。
「ま、マキナ先輩っ! いつからそこにっ?」
えぐっちゃんは驚いた様子で、悲鳴に近い声を辺りに響かせる。
そりゃそうだ。今し方「全部うちがやった」と、己の嘘を白状していたのだから。
お宮さんが疑問を投げかけてきたことから、タイミング的にもえぐっちゃんの暴露はおおよそ耳にしていることだろう。……気まずい。
「よしのんがえぐっちゃんのお兄ちゃんと話しているときから」
それって……ほとんど全部聞いてたってことじゃないか。ますます気まずい。
「ねえ、えぐっちゃん、答えてよ……」
「う、うぐう……」
かつての仲間である彼女らの間に流れる空気は、他人の僕が眺めるだけでも居たたまれないものがある。
しかしお宮さんは、いったいどちらのことを訊いているのだろう。
えぐっちゃんの告白? それともオカルトサイトが嘘だったってこと?
普通に考えれば――告白についてだろう。
お宮さんがどんなにオカルト好きだからといっても、世の中で自分一人だけに向けられる愛しさよりも気持ちが奪われることはないはずだ。何てったって僕ら、花の高校生なのだから。
「《ご近所オカルト》って、えぐっちゃんの嘘なの?」
……やっぱりそっちかあ。うん、わかってた。
お宮さんは大のオカルト好き、いや、むしろオカルト信者と言っても過言ではない。
それほどに、お宮さんの毎日には、現代科学で解明できない超常現象がなくてはならない部分だろう。
だからさほど親しいわけでもない僕を連れ出してまで《幸運の男神さま》捜しに、貴重な高校生活を費やしているのだ。
そんなお宮さんだからこその、この質問なのだろうけど……。
でもまあ、考えてみれば《ご近所オカルト》がえぐっちゃんの自作自演なら、そもそも二人の出会いの根幹が揺らいでしまうことになる。
意中の人と接点を持ちたいがため、といえば聞こえはいいけど、やっていることはストーカーのそれと何ら変わりない。バレたときに却って印象を悪くする。
と、思ったのだけど。
「……よかった。それを聞いて確信したよ」
なぜかお宮さんは、ほっと胸をなで下ろして、いつもの笑顔を取り戻した。
「……あの、先輩?」
「ど、どういうこと、お宮さん?」
首を傾げるえぐっちゃん。
それまで黙ってことの推移を見守っていた僕も、思わず疑問を声に出して訊いていた。
「えぐっちゃん、私、言ったよね。私たちのコンビ《エクスマキナ》は不滅だって」
「…………は、はあ」
「私が《幸運の男神さま》を探していたのは、もちろん《ご近所オカルト》に掲載されていたからだけど、それだけじゃない。業界最大手のサイト《オカルトマニアックス》にも、同じような情報があげられていたから」
お宮さんは自信満々に、そして鼻息荒く言った。
ようやくいつもの強引さを取り戻してくれたのは嬉しいけど、はっきり言って意味不明だ。
「え、まさか……? そ、そんなはずは? あの《オカルトマニアックス》で?」
よく知らないけど、驚愕の表情を浮かべるえぐっちゃんの様子と、彼女らの会話の脈絡からすると《オカルトマニアックス》ってのはサイトの名前のようだ。しかも最大手らしい。
えぐっちゃんの反応に満足げに頷き、お宮さんは意気揚々と続ける。
「そう。つまりこういうこと。私は主に、この二つのサイトの情報を元に《幸運の男神さま》を捜していたわけだけど、双方ともに同じネタを取り上げているにも関わらず、目撃情報がちょっと食い違っている部分があってね。片方を信じるなら、もう片方の情報が成立しないって状況に参ってたわけ」
「えっ? ほ、本当ですか、それ?」
声を上げたのはえぐっちゃんだ。
親しくもない僕にでも、彼女の驚いている様子が手に取るようにわかる。
「だ、だって、《幸運の男神さま》はうちが作ったホラ話で……」
「もちろん、本当だよ。なんなら今、《オカルトマニアックス》を見てみるといいよ。本当に掲載されているから。肝心な情報は会員限定のページにしかないけど」
えぐっちゃんはすぐに自分のスマホを取り出し、件のページを検索しているようだ。
ややあって、該当箇所を見つけたのか、「げっ、本当に載ってる!」と素っ頓狂に叫んだ。
僕も自分の目で確かめるため、スマホで《オカルトマニアックス》に接続する。
「ね、本当だったでしょ?」
「……たしかに、載ってるね。これが本物なのかはわからないけど」
お宮さんの言うように、さすが業界大手というだけあって、このサイトにはいかがわしい与太話やホラ話、都市伝説や学校の会談に至るまで、その情報の種類は多岐に渡っていた。
無論、件の《幸運の男神さま》もちゃんと掲載されていた。
「……で、その片方の《ご近所オカルト》の情報が偽物だってわかったから、『よかった』ってことなの?」
「うん、そうだよ?」
あっけらかんと、お宮さんは応える。
まったくこの人は……どこまでオカルト信者なんだよ。
てっきりえぐっちゃんからの告白(サイト捏造も含めもろもろ)にショックを受けているかと思ったのに。……タフだなあ。
「詳しくは見てもらえばわかると思うけど、《幸運の男神さま》に関して、《ご近所オカルト》と《オカルトマニアックス》の一番の違い――それは、この神さまの見た目」
僕の心のうちなど露知らず、お宮さんは熱を上げていく。
「見た目って……ああ、イケメンじゃないとか、そういうこと?」
「ううん、違う違う。えぐっちゃんのサイトには、この男神さまが人間の姿に見えると書いてあるんだけど、大手側では人間とは書いてない」
「じゃあ何? どんな姿をしているっていうの?」
本音を言えば、その神さまの存在自体を信じてはいない。
僕が尋ねたのは、そうしなければお宮さんがいつまで経ってもこの話を締めない性質の持ち主だと知っているからである。つまり、はやいところ、この話題を切り上げたいがために促しただけ。
その、はずだった。
「猫よ。目撃証言のすべてにそう書いてあった」
「猫……?」
僕には思い当たる人物……いや、猫が一匹いる。
そしてタイミングがいいのか悪いのか、丁度スマホの画面の中に、僕はある文字を見つけた。
「……アマデウス……だって?」
「そ、アマデウスって言うらしいよ、その画像の猫」
言われてページをスクロールして見たけど、猫の画像は見あたらない。
「画像なんてどこに載っているの?」
「ああ、そっか。画像は会員限定ページだけかも。ちょっと待って、今見せるから。……ええと、あれ、繋がんないな」
充電は切れてないのにおかしいな、と一人呟きながら、お宮さんはスマホを操作している。
「うーん、まあいいか。また今度……あっ、ほら、あそこにいる猫! 丁度あの子みたいな感じの白猫だったよ」
スマホの接続不良を諦めたお宮さんが指さす先に、見たことのある白い猫がいた。
白い猫は僕らに興味があるのか、駆け足でこちらに近付いてくる。
「ほら、こっちおいで……って、猫ちゃんはよしのんがお好みだったかあ」
白猫は僕の足下まで来て、何か言いたそうにこちらを見上げている。
「オッドアイ……おまえ、さっき神社にいた猫か」
しゃがんで白猫の頭をなでてやる。白猫は「……ナーウ」と気怠そうに鳴いた。
「よしのん、この猫と知り合いなの?」
「いや、知り合いってわけじゃないけど……たまたまさっき寄っていた神社にいてさ」
つい数時間前のことを軽く説明しながら、僕は足下の白猫の様子を伺う。
「この様子じゃ、まだ誰からも食い物もらってないみたいだな。悪いけど、今も食い物持ってないんだよ」
僕がそう言うと、白猫はくるりと踵を返し、スタスタと歩き出す。
帰ったかと思った矢先、白猫は立ち止まり、振り返って僕に視線を向けた。
「あの子、よしのんについてきてもらいたいみたいだよ。行ってあげた方がよくない? お腹空いているみたいだし、それに……もしかしたら、この子が『アマデウス』かもしれない」
「アマデウスじゃないよ。だってアマデウスは……」
うちにいるから。そう言い掛けて止める。
「うん? ひょっとして、よしのん、何かご存じ?」
「い、いや、別に何でもないよ。ただ、何となくそんな気がしただけ」
危なくうちにいる全裸おっさんのことを口にしてしまうところだった。
まあ別に話してもいいんだけど、それによってお宮さんみたいなオカルト信者がうちの周辺に現れるようになったら困る。周辺に人だかりができれば、白峰さんだってうちに来にくくなるだろうし……。
そういえば、アマデウスの名前って、白峰さんに教えてもらったんだっけ。
白峰さんはもしかしたら《オカルトマニアックス》の会員なのかもしれない。
「まあ、餌くらい買ってあげてもいいか」
「そうこなくっちゃ!」
この場を引き上げる言い訳に、この白猫を利用させてもらおう。
いつまでもここいても仕方がない。白峰さんは無事だったし、いやそもそも最初から何事も起きていないわけだから、これ以上、僕がここに留まる理由はない。未だ誤解が解けていない枝楠マネージャーには、後日誤りにこよう。
「それじゃえぐっちゃん、また今度ね!」
お宮さんの言葉を合図に、僕とアニキは、白猫についていく形でその場を後にする。
ほんの数メートルほど歩いたそのとき、背後でジャリ、と地面に固い物体が擦れるような音がした。
音に気をとられて、何の気なしに振り返ると――。
それまで桃源郷に意識を飛ばしていたであろう枝楠マネージャーが、こちらにクロスボウを向けて立っていた。
「え、枝楠っ……!」
ただでさえ感情豊かとは言い難いその鉄面皮に、今は一片の色彩も見受けられない。
枝楠マネージャーは手にしたクロスボウを、はっきりと僕だけに向けている。
「おいっ、止めろっ、枝楠!」
「ちょ、ちょっとえぐっちゃんのお兄ちゃんっ!」
僕よりも先に歩いていたアニキもお宮さんも、枝楠マネージャーの異変に気が付いたようだ。
二人とも、矢を放たせまいと、制止の言葉を叫んだ。
しかし、枝楠にそれが届いているのかはわからない。
眉一つ動かさず、彼はただ、僕の目を射抜くように見続けている。
傍らに立つ妹も、兄の所行に恐怖を抱いているのか、一言も発さずにブルブルと体を震わせている。
蒸し暑い夏の夜。しかしここだけは、空気の温度が冷えているようだ。
にらみ合ってから、どれくらいの時間が経過しただろうか。
十分か、あるいは二十分ほどか。それとも一時間ほどか?
体感はとても長くに思える時間。しかし実際には数秒といったところだろう。
僕もアニキもお宮さんも、そしてえぐっちゃんも。皆、一様に動けないままだ。
静寂が、辺りを支配していた。
「……ストーカーめ。ボクが成敗してくれる」
沈黙を破る枝楠の声。
枝楠の腕に力が込められているのが、少し離れて立っている僕の位置からでもわかった。
――打たれる。
僕は瞼を閉じてその場にしゃがみ込み、全身に力を込めて身構えた。
瞬間、タタタッと誰かの走る音が複数聞こえ、そして――
――シュンッ!
静けさを切り裂く音。次いで、タスッ! と矢がどこかに刺さったような、鈍くくぐもった音。
「っ……。…………ん?」
しばらく待ってみたものの、僕の体のどこからも痛みは感じられない。
……外れた? それとも……。
矢が自分を射抜く場面を想像していたけど、案外、痛みはないのかもしれない。
聞いた話では、矢とか銃弾にえぐられた部分は、裂くような鋭い痛みではなく、最初は熱をもっているように感じられるらしい。
目を閉じたまま、僕は自分の体に熱をもった部位があるか確かめる。
けれど、熱も痛みも、どこにも不具合はないようだ。
少しばかり安心した僕は、警戒心を抱きつつも、おそるおそるぎゅっと閉じていた瞼をゆっくりと開く。
――と、そこには信じられないような、現実とは思えないような光景があった。
僕と枝楠を結ぶ直線上の丁度真ん中辺りに白峰夢乃さんが倒れていた。
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