第4話
お兄ちゃんに何をするつもりだと大声で喚く枝楠マネージャーの妹――えぐっちゃんをなだめるため、僕は簡単に、ここへとたどり来た経緯を説明した。
あくまで僕は、白峰さんを助け出す。その目的で動いていたらいつの間にかここに来ていたのだ、と。
「それで? もしかしてアンタ、うちに許してもらえるとでも思ってんの?」
「ゆ、許す? 僕、きみに何かしたっけ?」
「はあっ? まだすっとぼけるつもり? 自分の胸に聞いてみたら?」
相も変わらずクロスボウの射出口を僕に向けたまま、えぐっちゃんは鋭く言い放つ。
「と、とぼけるつもりなんてないけど……」
僕は相手との会話が成立していないと感じていた。
この眼鏡少女は、僕が自分の犯した罪に気が付いていないと指摘しているようだ。
「本当に気が付いていないってんなら、アンタ、相当のバカね」
「ばっ、バカって言う奴がバカだっ」
「落ち着け、実。深呼吸だ」
「う、うん、ありがとう、アニキ……」
アニキに言われて、冷静さを取り戻す。
やっぱりアニキは優しくて頼れる漢だ。なんだか、アニキといるとほっとするっていうか、包まれているような安心感があるっていうか……って、僕は何を考えているんだ。
「ふん、今はアンタが筋肉バカの恋人なんだ。なるほど……二股かけた不埒者ってことね」
「ちょ、ちょっと待て! 僕とアニキはそんな関係じゃないっ!」
聞き捨てならない台詞である。後半もそうだけど、前半は特に。
無意識にニヤケた面でも晒していたのだろう。僕は自分の顔を叩きたい衝動にかられた。
顔を綻ばせたのは、友人としてアニキの暖かさ(精神的な意味)に触れたからであって、決して恋人関係のそれ(物理的な意味)ではない。
「枝楠の妹さんよ、実の言っている通り、オレたちは恋人なんていう甘っちょろい関係じゃねえ」
すぐに慌ててしまう僕とは違って、冷静に場を見ているアニキ。
おかげで、えぐっちゃんの誤解を解くことができそうだ。
「アニキ! そ、そうだよね、僕とアニキは――」
「漢と漢の関係さ」
アニキは僕の肩をがっしりと掴んで、優しく諭すように言った。
「オレたちは、互いに汗を飛び散らせ、肌を交わし、呼吸を荒くした仲だ」
それってひょっとして、体育館での特訓のことを指しているのだろうか。だとしたら、もっと他に言い方があるのでは。
「やっぱりそうなんじゃない。それって相思相愛の仲ってことでしょ」
ほら、案の定、えぐっちゃんはアニキの説明を真に受けてしまった。
「そっ、それよりも、僕は二股なんてかけてないぞ! 名誉毀損だっ」
こうなったら強引に話を本筋に戻すほかない。
僕は日の落ちて暗くなりかけた駐車場に、大音声を響かせる。
「自覚もないなんて、つくづくバカね」
「ぐっ……ぼ、僕は白峰さん一筋だっ! 二股なんて、一度だってしたこともないし、これからもするつもりはないっ!」
二股どころか、一股だって経験もないのに。
そこまで言おうかと思ったけど、すんでのところで留まった。
敵に対して、自分の恥部を晒すこともあるまい。それに、この一言でもしも相手が僕を信用してくれたとしても、僕が負うダメージは計り知れない。却下。
「白峰? ああ、お兄ちゃんの事務所にいるアイドルね。一般『小』市民のアンタが芸能人と交際できるわけないでしょ。自惚れも大概にしておいたら?」
「う、うるさいっ! よけいなお世話だっ!」
そんなこと、コイツに言われなくても、自分が一番よく理解している。
僕が白峰さん一筋だと言ったのは、恋人としてではなく、ファンとしてだ。
恋人になろうなんて……考えなくはないけど。
「じゃあ、これからうちがアンタに気付かせてあげる。ありがたく思いなさい」
ニヤリと口元を歪め、えぐっちゃんは構えていたクロスボウをおろした。
僕に対して武器など必要ない、と考えているような、そんな不敵な笑み。
「……な、何を気付かせるっていうんだ」
「アンタのバカさ加減を、よ。そもそも一介の高校生風情が、駆け出しとはいえアイドルと一緒にいるってのが普通じゃない。取り立てて特技もなく、外見が著しく秀でているわけでもないぼっちのアンタが、どうして多くの人を虜にするアイドルに好かれるの? その理由がないでしょ?」
「それは……その……」
言い返せなかった。
一般市民とアイドルが仲良くなれないわけじゃない。それはわかっている。相手の述べているのが感情任せの屁理屈だってことも。
たとええぐっちゃんの理屈が間違っていると指摘しても、だからといって僕が白峰さんと付き合うことができるとは限らない。そう思うと、言い返すこともできなかった。
「だいたい、アイドルなんて虚栄心の固まりよ。アンタの好きな白峰だって同じ」
黙っている僕を見て満足そうに笑いながら、えぐっちゃんは高説を披露し続ける。
「自分の可愛さを自覚して、それを武器に男を食い物にしているのがアイドル。アンタは無自覚かもしれないけど、アイドルの笑顔なんてその目的以外の何物でもない。ちょっと笑顔を振りまかれたからって、勘違いするのはバカな男って証拠」
えぐっちゃんは、そう言って僕とアニキを交互に見た。
「…………まれ」
「ああ、一応フォローがてら言っておくけど、それはアンタに限った話じゃない。世の男どもはみんな、おしなべてバカってこと。アンタはそのボンクラどもに埋もれた平均的なバカってこと――」
「黙れえええええっ!」
僕は、思い切り叫んだ。
「……えっ、な、何よ。突然、叫んだりして」
えぐっちゃんはたじろぎ、動揺を顔に表している。
「いきなりじゃないっ! お宮さんの友人だから、今までは尊重していたんだっ!」
周囲にある酸素をすべて己の体に取り込むがごとく息を吸い込むと、僕は続ける。
「僕は罵られても結構だ。認めたくはないけど、きみが指摘したのはほとんど事実だから。だけど、白峰さんやアニキを悪く言うのは我慢がならないっ!」
「さぶさぶっ。そういうの、なんかシラケるっていうか、空気読めない正義感ていうの? だからアンタ、今までぼっちだったんじゃない? 白峰も、そこにつけ込んで――」
「きみは知らないだろうけど、白峰さんは本当に優しくてすてきな人だ。確かに天然なところはある。でも、それは計算されたものじゃない。第一、僕一人なんかにその高度なコミュ力を駆使して得られる利益なんて、ほんの微々たるものだろうがっ。彼女が僕と仲良くしてくれているのは、ただ単純に友達になりたいって思ってくれているからだっ!」
「ど、どうしてそんなこと、アンタなんかにわかるの……?」
「彼女――白峰さんの頑張っている姿を、陰でずっと見てきた。だから、わかる」
白峰さんのデビュー前から、僕はずっと彼女のファンだった。
神社で初めて出会った日のことも、デビューに向けてビラ配りしていた姿も、念願叶ってデビューが決まったときに流した涙のことも。
僕はボランティア――黒子として、彼女の努力を傍で見てきた。
それを思うと、たとえ相手がお宮さんの親しい友達であろうと、黙っていることはできなかった。
「ず、ずいぶんと自信満々じゃない。二股男のくせに……ぼっちのくせに」
「ぐっ……た、たしかに僕はぼっちかもしれな……って、どうして僕がぼっちだって知っているんだ」
「ふう……ここまで鈍いとは。仕方ない、アンタへの制裁方法を変えるか」
怒りが僕を支配しているせいか気が付かなかったけど、考えてみればこれはおかしい。
えぐっちゃんは僕よりも一つ年下のはず。なら、違う学校に通う僕の生態について知る術など、どこにあるのだろう。
お宮さんから仕入れるのが正規のルートではあるけど、たしか彼女らは現在、連絡を頻繁にとっていないのではなかったか。
怒りよりも疑念で満たされつつある僕に、えぐっちゃんは漆黒の髪を風になびかせて言った。
「それは、うちがトム・ダーティだからよ」
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